ドゥホック→サルサンク

235帖 難民キャンプ

『今は昔、広く異国ことくにのことを知らぬ男、異国の地を旅す』



 8月20日、火曜日。

 朝ゆっくりと目覚め、のんびりと部屋で朝食を頂く。その後家族の皆さんにお礼を言うて家を出た。


 車に乗った僕らはDuhokドゥホックの市街地を走り、郊外に出る。

 一面砂漠の風景やけど、山の影になってる所にテントの様な物がある。


「あれは何ですか?」

「あれは避難民のキャンプだな。行ってみよう」


 アリー氏の知り合いがもしかしたら居るかも知れんらしい。道から外れ、キャンプの手前で車を降りる。

 ざっと見て30張位やろか、給水車や食事用のテントや医療用の赤新月社のテントもある。

 アリー氏は知人を探しに行く。僕は一番手前のテントではなく、草木で作った掘っ立て小屋の人達に話を聞きに行った。


 近づいて行くと3人の歳の頃は小学校低学年位の少年達に囲まれる。手には水の入ったバケツとコップを持ってる。どうやら水を売りに来てるみたいや。別に喉は渇いてへんかったけど、


「1杯おくれ」


 と言うと喜んでそのバケツの中の無色透明の水をコップで掬ってくれた。その様子は余り衛生的では無かったけど、注目して見つめられてたんで飲まずには居られん。飲み干してコップを返すとお金を頂戴と手を出してくる。僕は1ディナール札を出して渡すと、少年らは喜んで走って行った。


 ちょっと払い過ぎたかな?


 そう思たけど僕が持ってる最小単位が1ディナール札で、しかもイラクでお金を払ろたんがこれが初めてやさかい、まぁええかと思た。


 すると掘っ立て小屋の中に座ってた老人に声を掛けられる。老人は英語が話せへんかったけど隣に座ってる息子が通訳をしてくれる。一通り自己紹介をして老人の身の上を聞く。


 この家族はMosūlモスルの近郊の村で農業をしてたらしい。ところが先月に爆撃に会いここへ逃げてきたという。奥さんともう一人の息子はその爆弾のせいで亡くなってしもたそうや。

 その爆弾と言うのが化学薬品の入った爆弾で、その老人も首筋から左手首の辺りまでケロイドの様に皮膚が爛れてる。息子も左半身がヤラれたそうで、確かに左耳が爛れてる。これを治す薬は赤新月社には無いらしい。


 日本で見たニュース映像はホンマやったんや。


 見るも無残な姿をして居られたけど、命が助かっただけでも幸せやと言うてる。早く戦争が終わってまた農業をやりたいとも言うてた。


 そこへアリー氏が戻ってくる。


「知り合いはいましたか?」

「いや、ここにも居なかったよ」

「また別のキャンプがあったら探しましょう」

「そうだな。それじゃ先を急ごうか」


 そう言うアリー氏の表情に希望の色は無かった。


 その家族に別れを言い、再び車に乗った僕らは山間部を北東方向に進む。時々大型のトラックとすれ違ごたけど、どのトラックにも「UN(国連)」の旗が付けられてて援助物資を運んでるみたい。国連のトラックもここを通ってるという事は、やっぱりこのルートしか安全に通れへんみたいや。


 1時間程走って大きなオアシスの村に到着する。家の戸数は少ないけど広大な農地が広がってる村で、Sarsankサルサンクと言うらしい。この村の知り合いが、これからの僕の旅をサポートしてくれるそうや。


 橋を渡り、ガソリンスタンドと数件の商店がある交差点を曲がって進み、村外れの大きなお屋敷の前で車は停まった。


 車を降りてお屋敷の中へ入ると沢山の子どもの声が聞こえてくる。姿を見せると、東洋人が珍しいのかあっという間に囲まれてしまう。小さい子は5、6歳。大きい子は17、8歳位かな。全部で10人位居る。


「この子達はみんなハディヤ氏の子どもだ」

「めっちゃ子沢山ですね」

「あはは」


 とアリー氏は笑うだけやった。


 もしかして一夫多妻制なんか?


 ムスリムならそれはあり得るなぁと思てたら、奥から温厚そうなおっちゃんが出てくる。そのおっちゃんにアリー氏が僕の事を紹介してくれた。


「こんにちわ」

「こんにちは。よーこそKurdistanクルディスタンへ。さぁ中へどうぞ」


 大きな居間へ通されソファーに座らされる。僕は温厚そうなおっちゃん、ハディヤ氏に、自己紹介とイラクに来た目的を話す。ハディヤ氏は微笑みながら僕の話を聞いてくれてる。今度は逆に、ハディヤ氏の事をアリー氏が説明してくれた。


 ハディヤ氏は、大きな農場を経営しててこの村のリーダーでもあるそうや。顔が広く、アリー氏も困った事があると尋ねにくるそうや。また、村に無かった学校も作るほど教育熱心や。僕が一番驚いたのは、さっき外で遊んでた子どもの殆どは、この戦争で両親を亡くした子ども達で、そんな子どもを探してきては養子として育ててるという事。それだけの人望と財力があるんやとびっくりしてしもた。


「それで南の方の都市には行けるんでしょうか?」

「ああ、いつでも行けるよ」

「ありがとうございます」

「でも、長旅でお疲れでしょう。暫くはこの村でゆっくりするといい。ここは爆弾を落とされることもない小さな村で何も無いですが、安全ですからゆっくりと旅の疲れを癒やしてからでいいでしょう」


 そう言われるのに無理に急ぐ事は失礼やと思た。


「分かりました。ありがとうございます」

「では、お部屋に案内しましょう」


 ここでアリー氏とはお別れ。


「帰る時は迎えに来るから連絡をくれ」


 と言うてくれた。一宿一飯のお礼をしてアリー氏を見送った。



 つづく

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