215帖 おっちゃんとキス

『今は昔、広く異国ことくにのことを知らぬ男、異国の地を旅す』



 夕方、深い眠りから醒め少し元気になった日夏っちゃんと外へ出る。勿論日夏っちゃんはシャルワール・カミーズにドゥバッタという格好や。

 昼間より涼しくなり幾分人通りの多いAbdolアブドrazaghララザ通りを二人で歩き、Chaharチャハール Baghバー Paeenパイーン通にへ入る。日夏っちゃんは服飾関係や装飾品関係の店を冷やかしながら楽しそうにしてるし、大分体調が良くなったみたいや。


 そして例のピザ屋に入り晩ご飯にする。ピザに加えてショレと言う豆のシチューも注文した。

 これはなんともスパイシーで、しかも野菜がしっかり煮込まれ濃厚な味で絶品や。久しぶりの飯に日夏っちゃんはピザをペロっと平らげ、


「今度は何にしよかなぁ」


 と2枚目を注文しに行き、2枚目も見事に完食してた。

 昨日の夜から食べてへんからしゃぁないなぁと思たけど、その食べっぷりは物凄かったわ。

 ほんでも日夏っちゃんはお腹いっぱいになってめっちゃ満足してくれたみたいやし、僕も嬉しかった。


 晩飯後、外へ出てみると空はもう既に暗くなってたけど、街灯が明るくて歩き易い。

 それにもまして更に人通りが増えた様に感じる。昼間は暑いから家に隠れてて、夜になって涼しくなると動きだすんかな?


 人々の流れに乗って歩いてると、あの公園に辿り着く。公園の中にも街灯がたくさん立てられてて、昼の様に明るい。散歩をしてる人はもちろん、絨毯を敷いて家族でピクニックみたいに晩ご飯を食べてる人も結構居る。

 そんな人達を眺めながらペルシャ風の建物に向かって歩いて行くと、遠く公園の向こうの方にもライトアップされた歴史的な建造物が見えてくる。昼間は気が付かんかったけど、こうやってライトアップされてると良く目立ち、大きなモスクか王宮みたいなもんで荘厳な雰囲気が漂ってる。


 日夏っちゃんとあのペルシャ風の建物も周りを歩いてる時、絨毯の上で晩飯を食べてた家族に声を掛けられる。勿論ペルシャ語で。

 何を言うてるか分からんかったんでボーっと立ってると手招きされ、きゅうりを食べろと言うてるみたい。


「日夏っちゃんどうする。お呼ばれする?」

「うーん……」


 悩んでる様やし僕から進んで空けて貰ろたスペースに座り、取り敢えず挨拶はパキスタン風に、


「アッサラームアライクン」


 と言うてみたら、


「サラーム」


 と省略形みたいに返ってきた。イランでは「サラーム」だけでええみたい。

 おっちゃんからきゅうりのスティックを貰ろて食べたけど、味は日本と変わらん。日夏っちゃんも隣に座って食べだす。

 するとおっちゃんはペルシャ語でいろいろ喋りだすけど全く分からんので、


「ペルシャは分かりません」


 と英語で言うとスカーフを被った奥さんが、


「分かりました。私が英語で話しましょう」


 と、なんと英語で返してくれた。

 イランに来て英語が話せる人に会うたんは国境の役人とホテルの受付の人だけ。最近までアメリカと戦争(当時)してた反米の国やし一般市民と英語が通じるなんて凄いと思てた。


「凄ですね。なんで英語が話せるんですか?」

「私は高校で英語の教師をしています」

「なるほど。それは助かります」

「ところであなた方は何処から来ましたか?」

「私達は日本から来ました」

「オー、ヤポン!」


 僕らが日本人やと分かると一層親しげな雰囲気になってくる。


 イランって親日の国やったかな? 分からん……。


 その後簡単に自己紹介をしたけど、その間も僕はかなりの数の野菜スティックやトマトを頂いた。田舎もんの僕には美味しい生野菜が何よりのご馳走や。


 代わって日夏っちゃんが得意の英語で質問に応えたり、逆に質問したりしてる。それを奥さんがペルシャ語に訳しておっちゃんや小学生ぐらいの息子と娘に説明する。

 するとおっちゃんが日夏っちゃんを見て、


「ウーシン、ウーシン」


 と言うてくる。初めなんの事やろうと思て不思議にしてたら奥さんが、


「ウーシンって知ってますか」


 と聞いてくる。


「ウーシンってなんや?」

「ウーシンねー。なんやろねー」


 逆に、


「ウーシンとはなんですか?」


 と聞いてみる。


「ウーシンは日本のテレビ番組ですよ。知りませんか?」

「ウーシンってテレビあった?」

「私、そんなん知らんでー」

「ウーシンなぁ。なんやろなぁ。ウーシン、ウーシン……」


 僕は、いろいろ考える。アーシン、イーシン、ウーシン、エーシン……。


「あっ、オーシン。おしんや! 朝ドラでやってた『おしん』とちゃうか。ね、おしんですよね!」

「オー、オーシン!!」


 おっちゃんと意思が通じ合うて思わず握手して喜んだ。おっちゃんが言いたいのは、日夏っちゃんが「おしん」に似てるという事みたい。


 日本人の女性はみんなおしんに見えるんやろか?


 イランでは「おしん」のドラマが流行ってたらしい。僕は「おしん」を見てなかったんで、代わりに日夏っちゃんが応対してた。

 おっちゃんはドラマの中の主人公に会えたみたいにめっちゃ喜んでる。子ども達も奥さんも目をキラキラされて日夏っちゃんを見つめてる。


「もういっその事、おしんですって言うたらどうや?」

「そんなん無理やわぁ」


 と言いながらも日夏っちゃんは嬉しそうにしてる。


 おしんで盛り上がった後、今度はおっちゃんが「シンゲン」って言うてきた。


「シンゲンって武田信玄の事?」


 と聞くと、


「オー、タキダ シンゲン! シンゲン!」


 と言うて嬉しそうにしてる。そやし僕はサブザックからノートと黒のマーカーを出して漢字で「武田信玄」と書いて渡すと、おっちゃんは歓声を上げながら眺めてた。


「シ・ン・ゲ・ン?」


 と4文字でシンゲンと読むと思てたらしく、


「上の2文字で『タケダ』で、下の2文字で『シンゲン』と読むんやで」


 と言うと奥さんがおっちゃんに説明してくれたら喜んでる。


「シンゲンの話を聞かせて下さい」


 と言うおっちゃんのお願いに、歴史シミュレーションゲームで武田信玄でプレイするのが好きだった僕は黒澤明監督の映画「影武者」や新田次郎氏の「武田信玄」を読んでたんでそこそこ話は出来るけど、そこまで英語でよう説明できんし日夏っちゃんに英語に翻訳してもらい、奥さんがペルシャ語に訳すと言うめっちゃ面倒臭い方法で話をする。

 今テレビで「武田信玄」をやってるらしく、信玄がどうなるかめっちゃ興味があったみたい。そんなんで30分程、武田信玄ネタで盛り上がった。


 最後に僕がどうしても不思議に思てた事を質問してみる。


Eṣfahānイスファハーンの人はいつも夕食はこうやって公園で食べるのですか」

「そうね。その方が涼しいし、気持ちがいいでしょ」

「毎日ですか?」

「そう。ほぼ毎日ね」

「なるほどー」

「あなた方の様に、いろいろな人とも会えますから」


 そうなんや。決して家にエアコンが無い訳では無いやろけど、実に面白いええ習慣やと思た。


 別れ際しっかりとお礼を言うて立つと、おっちゃんも立って握手をしてくれる。そしてそのまま右の頬どおしを合わせてキスをし、そのあと左の頬にもキスをする。


 おっちゃんとキスをするのは初めてや!


 びっくりしてしもたけど、これが挨拶やった。これはちょっと慣れそうにない習慣やわ。


 貴重な体験をして僕らはホテルへ戻った。



 つづく

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