クエッタ→クヒ・タフターン

210帖 アイドルになった日夏っちゃん

『今は昔、広く異国ことくにのことを知らぬ男、異国の地を旅す』



 8月9日の金曜日。朝早くに朝食を食べ、中藪さんと待ち合わせて駅へ向かう。

 気温27度、湿度……カラッカラ。日差しはきついし、日夏っちゃんの体調はそんなにええとは思えん。ただ、僕は元気や。


 駅前には水曜日の列車が無くなったせいかイラン行きの切符を求める人の長い行列ができてて、僕らもその列の最後尾に並んだ。ざっと5、60人は居るやろか。

 この列には、イランへ行くパキスタン人も居ればイランへ帰るイラン人も並んでるんやろう。ということは、この列の中にイラン人が居る訳やけど、誰がイラン人なんか見分けはつかへん。試しに後に並んだ怪しいおっちゃんに、


「すんません。おじさんはイラン人ですか、それともパキスタン人ですか」


 と聞いてみると、


「私はトルコに住んでいる……」


 最後の所が聞き取れへんかったけど、全く見当違いの答えが返ってきた。


「おおきに」


 と言うて前を向く。なかなか上手くはいかんみたいやし、できればイランの情報を聞きたかったけどそれは困難な様相を呈してきた。


 それでもイラン人っぽい人をそれとなく探してたら、ちょっと気付い事がある。この切符を買う列には、まぁパキスタンなら当然と言えば当然なんやろうけど女性が一人も並んでへんかった。ふと後を見ると最後尾に並んだ家族連れは、旦那だけ列に並んで奥さんや娘さんは前の方に歩いて行き、待合室の様な所に入って行った。

 それを見て僕はピンとくる。


「なるほど。日夏っちゃん! 女の人は列に並ばへんみたいやで」

「ええ、そうなん」

「うん。あそこに入り口があるやろう。あれが多分、女性専用の待合室やわ。そこで待っといたらええで。切符は僕が買うといたるわ」

「そうなんや。それじゃヨロシクね」


 風邪がまだ治ってない日夏っちゃんの身体を労って僕が言うた事を分かったか分からんかったかは知らんけど、いそいそと列を離れ待合室に入って行った。

 

 それから並ぶこと1時間半で漸く切符が買えた。寝台車や1等座席車は売り切れで買えた切符は2等座席車やったけど、その代わり学割で24ルピーと言うめっちゃ格安やった。ホテルの1泊分でイラン国境に行けるし、余ってるパキスタンルピーを使い切れそうやと思うと少し嬉しくなってきた。


 待合室まで行き日夏っちゃんを呼び出すと、なんか嬉しそうにして出てきた。なんと待合室で女性同士でいっぱい写真を撮ったらしい。


「それやったら僕のカメラも預けたのに……」


 と、めっちゃ残念に思た。


 列車が出る3時までまだ時間があるんで、切符も確保できた事やしそれならと僕らは3人でバザールをうろつく事にした。

 始めて見る「異世界バザール」に日夏っちゃんは興奮してたけど、相変わらず体調は良くなかったみたいや。それでも「これから体力勝負や」と言うことでカレーや肉をたらふく食べて、列車の旅に備えた。

 いろんな店でちょっかいを掛けながら楽しんだ後、まだ発車時間には早いけど僕らは駅に向かう。


 ところが駅に着いてみると国境の街Kuhiクヒ-Taftanタフターン行きの列車はもう入線してて、既に車内に人が乗り込んでた。なるべく空いてる車両を探して移動したけど、どこもいっぱいや。その中で一番空いてる車両に居場所を決めたけど、座席は既に埋まってる。


「明日まで立ちっぱなしなんかなぁ」

「まぁしゃぁないわな。後で地べたに座るしかないな」


 と言うてたら、日夏っちゃんはボックス席に座ってる家族連れに呼ばれ、流石はパキスタンや、なんとか席を詰めて座らせて貰えた。これで体調面でも少しはましやろうと僕は安心してた。一通り挨拶や自己紹介をして和やかな雰囲気になる。

 列車が動き出すと、家族連れのお父さんや兄弟姉妹の一番上の20歳位の兄と日夏っちゃんは親しげに英語で話し始めた。話しにはあんまり興味が無かったんで聞き流してたけど、なんやら政治の話をしてるみたいやった。


 Quettaクエッタを出た列車は砂漠や谷間を走ってどんどん高度を下げていき、それと共に気温が上がっていく。そんな中でも日夏っちゃんはしゃがれた声で一生懸命話をしてる。あんまり喋らん方が身体の為やと思てたけど、1対6で喋ってるから次第に疲れが出てきてる様やった。


「大丈夫かぁ。しんどくない?」


 と声を掛けた時は、声がかすれて返事が聞き取りにくくなってた。


 心配そうに見てたら、隣に座ってる10歳位の一番下の妹さんがカバンから輪っかの様なもんを取り出してきた。プラスチックでできた輪っかはブレスレットで、腕になんにもつけてない日夏っちゃんにそれをはめようとしてた。そんな事をされる日夏っちゃんは少し嬉しそうや。


 ところが女性にしては手がでかいのか、そのブレスレットは日夏っちゃんの手の平から先へは動かんかった。

 それでも無理して入れようとしてブレスレットがパキッと折れてしまう。何回やっても同じ様に割れる。因みにお姉さんやお母さんの腕にはスルッと入っていく。どうやら日夏っちゃんの手だけが特殊構造みたいや。

 余りに壊れるもんやさかい日夏っちゃんは、


「もういいですよ」


 と断ってたけど、妹さんは何としてでも入れてやろうやる気満々や。家族みんなも、どうしたら日夏っちゃんの手に入るかあれこれと検討してる。

 そこで妹さんはお姉さんに頼んでハンドクリームみたいなもんを貰ろて日夏っちゃんの手に塗り再度挑戦してみると、これがなんとスッと入っていくではないか。それを見守ってた家族はみんな声を上げて喜んでる。一番喜んでたんは言うまでもない妹さんや。1つ入ったんで3つ4つとブレスレットを日夏っちゃんの腕に通して喜んでる。

 もちろん日夏っちゃんも嬉しそうやった。


「無事に通って良かったなぁ」


 と言うと、少し睨み返されてしもた。なんでやねん……。



 列車は相変わらず砂漠の中をひた走る。大きな夕日が地平線に今まさに沈もうとしてた時、列車は速度を落としある駅に着いた。駅名板の文字はペルシャ文字なんで何処かは判らんかったけど、とにかくホームに降りてみる。中藪さんや日夏っちゃんも降りてきた。


 するとどうやろ。シャルワール・カミーズを着た東洋人の女性が珍しいのんか、はたまたただのスケベなんか分からんけどあっという間に日夏っちゃんは数人の男性に囲まれて質問攻めに遭ってた。次から次へと飛んでくる質問に、声が出しにくい日夏っちゃんは必死にかすれた声で受け答えをしてた。

 その様子は女性アイドルがファンに囲まれてる様な感じで、日本ではそんなに沢山の男に囲まれる事はないんやろうし、ほんまはしんどいやろけど表情はめっちゃ嬉しそうやった。一緒に記念写真を撮ったりして束の間のアイドル待遇やった。

 しかもこの先、駅に停まるたんびに列車を降りた日夏っちゃんの周りには人集りができて、みんなのアイドルになってた。


「もう嫌やわー。肩とかいっぱい触られたし」


 と言う割には駅毎に降りてアイドル活動をして満足げな顔をしてた。


「嫌やったら降りんかったらええやん」


 と思たけど、また睨まれそうやから黙っといた。



 この列車の内部は進行方向の左の3分の2が座席で、あとは通路になってる。

 闇夜が迫ってきた頃、僕はその通路の窓枠に肘をつき窓から頭を半分出して砂漠の夜を眺めてた。

 星空と砂漠の境目しか分からへん景色に、僕はこれから始まる未だ見ぬイランの旅路を想像してた。「つい最近までアメリカと戦争してた石油が採れる砂漠の国」程度しか認識が無いんでいろいろと妄想してしまう。考えれば考える程過酷な状況や怖い事しか頭に思い浮かばんかった。


 そんな事を考えながら少し涼しくなってきた風に当たってたら、通路に突き出してた僕のお尻が誰かに当たってしもた。僕は通路にお尻を突き出し過ぎて通行の邪魔になってると思て少し引っ込めたけど、まだ誰かに当たってる。


 これは申し訳ないと思て窓の外から頭を引っ込めて後ろを振り返ってみる。すると後ろではとんでもない事になってて僕はめっちゃびっくりしてしもた。



 つづく

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