209帖 日夏っちゃん、風邪を引く

『今は昔、広く異国ことくにのことを知らぬ男、異国の地を旅す』



 夜の7時前に列車はMultanムルターン駅に入る。停車時間は10分だけいらしいけどこれを逃すと次は10時まで停まらんし、僕はその時間を使こて晩飯を買いに行く一か八かの真剣勝負の段取りを考えてた。


「晩ご飯、なんか買うてこか?」

「うん、お願い」

「何がいい?」

「うーんとー、お肉が食べたいからカレー以外やったらなんでもいいよ」

「よし」


 久々の会話やった。


 僕は列車が停まると同時にホームに降り屋台に走る。僕が一番に降りたと思たのに、僕より先に屋台に着いてる奴が2人も居った。一体どうやって降りたんやろか?


 端っこから2つ目の屋台でサモサを2ルピー分と、ムルターンの名物やと言うてるチャンプと言う肉の塊をナンに巻いてるやつを2つ買うて、直ぐに列車に戻った。

 やっぱり外は暑く、行って帰ってくるだけで汗びとになってしもたけど、クーラーのお陰で瞬く間に乾いてしもた。

 買うてきたもんをテーブルに置き、二人で食べる。


「これおいしいやん」

「ほんまにぃ。チャンプって言う名物らしいわ」

「なんか焼き鳥みたい。こんなん食べたんは始めてやわぁ」

「そりゃ良かったなぁ」


 僕も一口食べてみる。パキスタンの肉と言えば大概は羊肉を香辛料で味付けしたもんやけど、これは少し甘辛いタレで焼いたような日本人の口にぴったりの味やった。サモサも揚げたてで中の餡もホクホクして美味しい。

 日夏っちゃんはニコニコして食べてる。なんか久しぶりに見た笑顔やわ。


 食べながら、中国での食事で何を食べたかと言う話に花が咲き、懐かしくて思てもう一度水餃子が食べとなってしもた。

 それから日が暮れて何も景色が見えん様になったら頃に車掌がベッドメイキングにやって来る。それが終わってベッドに横になってたらお互い知らん間に寝てしもてた。



 8月8日、木曜日の朝7時20分。

 Sibiシビの駅に列車が着いて目が覚めた。日夏っちゃんも起き上がってくる。


「おはよう」

「お……」


 あれ、日夏っちゃんの声がかすれてる。


「大丈夫?」

「うぅ……。喉が……」


 ちょっと顔色も悪そう。昨晩はずっと冷房が効いてたし喉がやられたみたいや。たまに咳もしてる。そうしてる間に給仕の人がモーニングを持って来てくれた。


 焼いた薄いトーストが2枚にバター、小さなサラダにスクランブルエッグとチャイがお盆に載せられてた。これで20ルピーはアホらしいけど、車内で注文したらこんなもんなんやろう。贅沢極まりない……。


「食べられそう?」

「うん。辛く無いし……、何とか食べるわ……」


 ホークとナイフで上品に食べ、僕はあっと言う間に平らげてしもた。この駅では機関車の交換をするはずやし、まだまだ発車はせえへんと思て僕はホームに降りてみる。

 今日は快晴で朝日が眩しい。標高はまだ低いはずやけどえらい涼しかかった。

 黄土色の街を眺めながらホームを歩き、シシカバブ屋の屋台で2本買うて食べ、タバコを吸ってから車両に戻る。

 日夏っちゃんも食べ終わったとこみたいで、上着を一枚着込んでた。


「大丈夫? 風邪薬あるけど、飲むかぁ」

「うーうん、大丈夫。少し寝るから……」


 と言うてまた布団に潜り込んでしもた。


 列車は動き出し、平らな砂漠を越え谷間を走り、水の無い河を渡り山を越えて13時前にクエッタの街に入ってきた。


「日夏っちゃん。もうすぐクエッタに着くで」

「そうなん」


 日夏っちゃんは相変わらずのしゃがれ声ではあったけど少し元気になってる様や。


 長い列車の旅が終わり僕らはホームに降りる。クエッタは、日差しは強いけど空気は乾燥してて相変わらず過ごし易そうや。


 改札を出ると壁に大きな張り紙がしてあった。IRANイランとかKuhiクヒ-Taftanタフターンとか書いてあって、どうやら国境行きの列車のインフォメーションみたいやし窓口に行って駅員に聞いてみた。


 本来なら水曜日と土曜日に出る列車が、故障の関係で明日の金曜日にでるらしい。それなら切符を買うと言うと、明日の朝に買いに来いと言われた。要するに前売りは無いみたいや。

 クエッタで1日はゆっくり出来ると思たのに、明日には出発せなあかんみたい。

 その事を日夏っちゃんに伝える。


「うん、ええよ。しゃーないやん」

「身体、大丈夫か。休養せんでもええか?」

「うん、昼からもホテルで寝とくよ。そしたら明日の朝には治ると思う」

「それならええねんけど……」


 とにかく一刻でも早く日夏っちゃんを寝させてやりたいと思て、前にも泊まったMuslim Innムスリム インへ急いだ。

 ほぼ3週間ぶりに来たホテルには、あの頃にいっしょに過ごした日本人は当たり前やけどもう居らんかった。もしかしたら柳川さんは居るかなと思たけど、宿帳に名前は無かった。


 部屋で日夏っちゃんを寝かせた後、僕はあの怪しい雰囲気のバザールへ向かう。明日からの1泊2日の列車旅に備えて食料を買い込む為や。


 バザールは相変わらずいろんな人種・民族の人々でごった返してて、それと共にいろんな匂いが充満してた。

 そんな匂いを嗅ぐとお腹が空いてきたんで僕はまずは腹ごしらえにと前回多賀先輩が食べてた骨付きの羊肉の塊を食べてみた。香辛料は効いてたけどジューシーでお腹がいっぱいになる。

 その後、あちこちの店を見て回り目的を忘れて思わず楽しんでしもた。「日夏っちゃんも連れてきて上げたかったなぁ」と思いながらバザールを歩いていると、ちらほらと日本人の姿も目にする。顔をじっくり見たけど、やっぱり知らん人ばっかりやった。もう知ってる人は誰も居らんと思うとめっちゃ寂しくなってしもた。


 果物とスナック類を買い込み、コーラを飲みながらホテルに戻る。部屋では洗濯物が干されてて日夏っちゃんはまだ寝たままやったし、僕もそーっとベッドに横になったらいつの間にか眠ってしもた。


 日没前に目が覚めたんで、日夏っちゃんを起こし晩ご飯を食べにレストランに連れて行く。

 すると昼間にバザールで見かけた青年が一人で食事をしてるやないか。なんか嬉しくなってしもて僕は声を掛けてしもた。


「こんばんわ」

「おお、こんばんわ」

「こんばんわ」

「一緒に座ってもいいっすか?」

「ああ、どうぞどうぞ」

「昼間、バザールにいはりましたよね」

「うん、居たよ。君も居てたでしょう?」

「はい」

「あれ? その時、君は居らへんかったやんなぁ」

「ええ。私はホテルで寝てたんですよ」

「おお、そうかぁ……。もしかして関西の人」

「はいそうです。僕は京都から来ました」

「ええ、まじ!」

「私は滋賀出身です」

「ああ、僕も出身は滋賀ですけど、今は京都に住んでます」

「そうなんやぁ。実は僕も京都なんよ」

「そうなんですかぁ。僕、修学院に下宿してます」

「ええーっ、まじかぁ。僕、松ヶ崎やでー」


 わぉ、めっちゃ近い。


「まじっすかぁ。そしたら『ラーメン黒部』って知ってます?」

「知ってるわなぁ。毎週金曜日の夜に行ってるんやで」

「ええ! ほんまですか。もしかしたら黒部で会うてたかも。僕、そこでバイトしてたんですよ」

「やっぱり! バザールで見かけた時から、何処かで見たことあるなぁと思てたんよー」


 と超ローカルな話題で盛り上がってしもた。


 この人、29歳の中藪さん。京都の総合博物館の学芸員をしてて、なんでも調べたい事があるらしく休暇を利用してパキスタンとイランをウロウロしてるとの事。それに偶然にも明日からイランに向けて列車にも乗るとか。


「ほんなら明日から一緒に行きませんか」

「いいよー。そちらのお嬢さんもよろしくね」

「こちらこそ、おねがいします。ゴホっ、ゴホっ!」


 その夜は遅くまで3人で話してた。暫く日夏っちゃんとしか話して無かったし、新鮮に思て気兼ねなく喋らせて貰らう。日夏っちゃんが先に寝た後も、あの中庭の芝生の上でお互いの旅の話しを語り合う。


 そうしてクエッタの夜は更けていった。



 つづく

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