208帖 なんで旅してるのん?

『今は昔、広く異国ことくにのことを知らぬ男、異国の地を旅す』



 列車は12時を過ぎ頃、Lahoreラホールに到着した。廊下を歩いてた車掌に確認すると12時40分に発車するという事なんで腹ペコの僕らは列車を降り、ホームの中程にある屋台へ行ってカレーを食べる。辛い上に炎天下の暑い中で食べたんで汗が吹き出てきたんやけど、シャルワール・カミーズ效果で汗は直ぐに乾く。

 他の屋台も見ながらゆっくり散歩し、出発5分前にはコンパートメントに戻った。


 お腹も満たされちょっときつ目の冷房が効いてるコンパートメントは快適やった。ただ車窓から見える風景は以前として殺風景な砂漠が続くだけ。僕も日夏っちゃんも暫くは眺めてたけど飽きてきて、また学生時代の話になった。


 日夏っちゃんはロシア語学科やったけど、ほんまはポーランド語やフィンランド語の様な北欧諸国の言語や文化に興味があったらしい。そやし今回の様に積極的にポーランド留学を決めたと言う感じ。ほんで日夏っちゃんは留学の為の移動がこの旅の目的なんやけど、敢えてシルクロードを選んだんはやっぱり色んな国々を見ておきたかったからしい。


「それだけの理由で、女一人でよう旅立ったなぁ」

「そう? 英語とロシア語が喋れたら、世界の殆どは旅出来るのよ」

「いや、そう言う問題や無いけどなぁ」

「でも、中国では殆ど英語が通じなかったから苦労したわぁ」

「そりゃそうやろ」

「それに、この留学する時がチャンスじゃない。こんな事ってめったに出来へんやん」

「まぁなぁ。それでもよう親が許してくれたなぁ。まだ湾岸戦争が終わって間もないのに」

「うん。そこはね……。それにパキスタンからトルコまでは飛行機で行くって言ってあるから」

「ええー、飛行機とちゃうやん。列車やでこれ。それに、これからイランも通るんやでぇ」

「だから、憲ちゃんが居るんじゃない」


 なんか都合のええ考え方やな。場合によっては俺が責任負わされるみたいやん。


「まぁ、イラン出るまでちゅうか僕がイラクに行くまでは一緒に居ったるけどな」

「おおきに。ほんで憲ちゃんは何で旅してるのん?」

「僕かぁ」


 思わず考え込んでしもた。で、まず最初に出てきたんは、


「僕も似たようなもんかなぁ。就職したらこんな旅はできへんやろ」


 という事やった。ほんまはもっと深い理由がある。


「そやねー」

「そやし、就職は幾つか決まっててんけど、今しか無いって思て飛び出して来きてん」

「それこそおばちゃんやおっちゃんがよう許したねー」


 顔を知られてるだけに辛いなぁ……。


「いや、おふくろはやっぱ泣いてたわ」

「やっぱり。この親不孝者めが」

「まぁ、そうなんやろなぁ……」


 ふと、母の顔が思い浮かんでしもた。今頃どうしてるんやろ。いっぺん絵葉書でも送ろうかなぁ。よう考えたら安否報告をまだ1回もしてへんわ……。


「ほんで、憲ちゃんはなんでイラクに行くんよ?」

「何でてかぁ。うーん、話せば長ごなるけど……」



 僕が4回生の時、1990年8月2日にイラクがクウェートに侵攻したと言うニュースを次の日のテレビで見て知った。


「今どき、こんだけ国際連合で世界秩序が保たれてるのになんちゅう事をする国や」


 と、その時はアホな国もあるもんやと思てる程度やった。日本はまだバブル景気の勢いもあり就活も民間企業3社から内定を取り、地方公務員の採用試験も無事に一次を突破して、


「さぁー、この夏は何処へ旅に行こうかなぁ」


 と、僕はバイトで貯めた貯金の使いみちを考えてワクワクしてた。

 もちろん毎日報道されるイラク関連のニュースに興味が無かった訳でもなく、戦争が如何に愚かか理解してたミリタリー好きと言う変わった僕ではあったが、今後イラクはどうなるのか、クウェートは解放されるのか、アメリカ軍やNATO軍の動きはどうなるのか、ある意味期待して毎日を過ごしてた。


 その後も毎日イラク関連の報道は目にするものの、アメリカの最新兵器がいつ使われるのかが興味の中心やった。

 それが日本人を含む滞留外国人を「人間の盾」として人質にする辺りから、テレビ報道の中心はイラクの残虐さに焦点が絞られていった。

 僕が、


「イラクのフセイン大統領は悪い奴やなぁ」


 と思い始めたのもその頃や。国連安保理の決議も無視し、これは大規模な戦争になるやろうと連日のイラク報道に見入ってた。


 それが、秋も終わりに差し掛かった頃、バイトと卒業研究の合間に下宿でテレビを見てた僕に衝撃が走った。

 いつものイラク報道とは明らかに異なった雰囲気のニュースが流れてた。それは、この戦争でイラクがクウェートに侵攻しただけでなく、自国内の少数民族クルド人に対しても残虐行為と言うか、イラク国内から追い出す為のクルド人に対する攻撃を報道するものやった。

 初めはただの戦争難民の報道やと思てた僕は、その実情を訴える様にテレビで流されてたフセイン大統領による残虐な行為で被害を被ったクルド人の姿の映像を見て、


「新しいホラー映画の宣伝かな?」


 と思い違いをしてしもた。

 それぐらい想像を絶する悲惨な様子がテレビに映し出されてた。その大部分はマスタードガスに拠る被害の様子で、皮膚は爛れ肉や骨がむき出しの子ども達の映像も映し出されてた。顔が半分爛れ左目と口の左半分が融けてたクルド人がその残虐さをテレビカメラに向かって訴えてた姿はまさに恐怖やった。

 しかしこれは間違いなくイラクの戦争の報道であり、決してホラー映画のCMでは無かったと頭の中では分かってた。


 そんな事がほぼ毎日報道されてたけど、それがある日を境に悲惨な映像は流れなくなった。事実やとしてもあまりにも「気持ち悪い」との視聴者のクレームやったと思う。

 それでも僕は、


「これは嘘やろう。テレビ局のヤラセとちゃうか」


 と疑ってた。


 僕は広島に落とされた原爆の16フィート映画を見たことがあって、あれも地獄絵図さながらやったけど、このクルド人に対する攻撃の報道はそれに匹敵するかそれ以上やと思たから、


「民間人にそんな残酷な事をするはずがない」


 と思い込んでたのかも知れん。


 テレビには、日に日に増えるクルド難民がイラクからトルコへ逃げる長い列が連日映し出されてた。


 丁度その頃僕は公務員採用試験の二次も合格し、後は就職意向調査の面接を経て採用に至る段階まで来てた。


 そんな面接を週末に控えたある日、クルド人に対するフセイン大統領の残虐行為の報道を見て僕はふと考えた。


「この報道はほんまなんやろか? ほんまか嘘なんか確かめて見たい。もしホンマやったらクルド人はどういう思いなんやろう。クルド人に話を聞いてみたい」


 と思てしもた。

 大学の4年間、所属してたワンゲル部では「思た事は行動する」と叩き込まれてた僕は居ても立ってもいられない衝動にかられてきて、このまま週末の面接で「イエスマン」をしてしもたら、二度と確かめるチャンスは無いし、


「これは今しかないチャンスや。イラクに行って確かめて、クルド人と話をしてみよう」


 と、僕は決意した。

 またバブル景気の勢いもあるし、


「戻ってきてからでも、就職はなんとかなる。イラクは今しか行けへん」


 と思て、その週末の面接では採用を断った。もちろん民間企業にも内定の取り消しを願い出た。


 因みに公務員の面接では、


「それは困る。それにお前の代わりに落ちた奴はどないなるんや!」


 とメッチャクチャ怒られ、民間企業では、


「3月31日まで待ちます。それまでに気が変わったら何時でも電話をしてくれ」


 と人事部長にせがまれる始末やった。


 年が変わり、1991年。国連安保理の撤退期限の1月15日を過ぎた17日にアメリカを中心とする多国籍軍の攻撃が始まった。所謂「湾岸戦争」の勃発や。テレビではトマホークミサイルやALCMの発射シーンが何度も流れてた。


「とうとう始まったか」


 相当な戦力差があるし直ぐに終わるやろと僕は思てた。イラクはペルシャ湾に原油を流したりして、大規模な環境問題等も起こしてる。

 ほんで卒業間近の3月3日に停戦合意がなされ、僕のイラク行きは確定した。


 それからはどうやったらイラクに行けるか、その方法ばかりを探ってた。もちろんイラクまでの飛行機は飛んでへんし、かと行って隣国のトルコまでの飛行機代は片道でも20万近くしたさかい大分悩んだ。


 それで地図を眺めてたある日、名案が浮かんだ。

 それは、


「中国まで船で行ったら、後は陸続きやしなんとかなるやろう。最悪歩いてでもいったる!」


 と言う安易な考えやった。そう考えたんが卒業して間もない頃やったと思う。



「それからガイドブック等を買うていろいろと調べ、『現在に至る』や」

「ふーん。ほんなら憲ちゃんの目的は、そのクルド人に会うことなん?」

「まぁ、そういう事や」

「ほんで、会うてどないするの?」

「話を聞くんや」

「それでどうなるの?」

「へっ……」


 一瞬、言葉が出んかった。どうにかなるもんでも無いけど、


「それ自体が目的やねん。自分自身のこの目で確かめたいねん」

「ふーん。そんなんしたら何かメリットでもあるん?」


 何か物事を考える視点が違うと言うか、馬鹿にされてると言うか……。僕の考えを否定されてる様な気がしてきたわ。


「いや。そういう問題やないやろ」

「そやけど、話を聞きに行くだけなんやろう?」

「まぁ見たり聞いたりやなぁ、自分の目で確かめるってとこが重要やねん」

「危ない目をしててでも?」

「危ないかどうか、それは分からんけど、兎に角会って話をしてみたいと思たから、取り敢えず行ってみるねん。それから何がどうなるかは分からん」

「そんな為にわざわざ行くんやぁ」

「……」


 もう返す言葉が無くなってしもた。なんか胸糞悪い、いやーな感じが残ってしもた。そして気まずい雰囲気。


 それ以上日夏っちゃんは何にも聞いてこうへんし、僕らはお互いに黙って静かに車窓から地平線に沈む夕日を眺めるだけやった。



 つづく

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る