204帖 大人になった僕

『今は昔、広く異国ことくにのことを知らぬ男、異国の地を旅す』



 その後バスは順調に走り、外は朝日で明るくなってきた。道も穏やかになりもう直ぐMansehraマンセラに着くんとちゃうやろかと窓の外を見ようと横を向くと、日夏っちゃんは窓に持てれてぐっすりと寝てた。

 起きてる時は大人っぽくキリッとした表情やけど、完全に安心してる寝顔は結構幼く可愛らしかった。その分、僕は寝不足でめっちゃぶっちゃいくな顔をしてるんやろう。まぁ元々か……。


 思った通り直ぐにマンセラのドライブインで朝食休憩になる。


 8月5日、月曜日の午前7時前。

 僕らはバスを降りて食堂に行き、端っこのテーブルで軽めの朝食を済ませた。その間も、アクビばっかり出てくる。


「そんなに眠たいの?」

「そや。ずっと起きとったがな」

「ええー。寝れへんかったん」

「うーん、寝れへんと言うか、寝られへんかったと言うか……、寝んかった」

「寝たら良かったのにー」

「あほ! また痴漢みたいな事されんように見張っとったんやで」

「ええ、そうなん。もう大丈夫やから……」


 なんやそれ。人が折角心配してたのに……。


「ほんならこれから寝るわ。まだ4時間位あるし」


 宣告通り僕はRawalpindiラワールピンディまでしっかりと寝る。首は痛かったけど、お陰でスッキリしたわ。


 駅前でバスを降りた僕らは、まずホテルを探そうって事になったし、安宿のCantonmentキャントンメント Viewビュー Innインを勧めようとしたら、


「結構疲れたし、そこそこのホテルでゆっくりしたいわぁ」


 と言われてしもた。


「どんなとこがええんや?」

「そやねー、柔らかいベッドとエアコンと……、暖かいシャワーが浴びたいよー」

「ちょっと高こなるで」

「いいよ。ここらできちんとしたホテルに泊まろうよ。綺麗なホテルがいいな!」

「そんなん、めっちゃ高いって!」

「そやけど、今まで10ルピーとかやったでしょ。たまにはええやん」

「まぁええけど……」


 そやから駅前からそこそこのホテル見つけて聞いて回ったけど、って聞いたんは英語がペラペラの日夏っちゃんやけど、尽く満室で断られてしもた。どうやら夏休みの旅行客で一杯らしい。

 たまたまあるホテルで空き部屋があったけど、ツインルームで680ルピーで目が飛び出そうやったからそこは諦めた。


 重いリュックを背負いながらホテルを探して歩き続け、段々と駅から離れてBank Roadバンクロードまで来てしもた。

 そこで漸くParkパークlandランド Interインターnationalナショナルってホテルでツインルームが220ルピーで見つかった。

 比較的新しく清潔そうやったんで気に入った日夏っちゃんは勝手に決めてしもた。


 まぁ、ええけど……。


 部屋は日本で言うビジネスホテルのちょっと広め版って感じ。ベッドの幅も広くふかふかでゆっくりできそうやけど、今まで泊まったホテルの10倍の料金には閉口してしもた。


 荷物を置いたら早速ホテルのレストランで昼飯や。欧風の料理は値段も高く、いつも大体1食10から15ルピーやったけど、ここでは40ルピーも取られた。

 食べた料理の味もなんか中途半端で、


「欧風と言うよりポーランド料理っぽいね」


 と日夏っちゃんが言うてた通り、ポーランド料理風なんやろ。まぁ辛く無いだけマシかな。


 食事の後、フロントで日本の実家に電話をし終えた日夏っちゃんは、今度は買い物に行きたいと言い出す。


「何買うん?」

「チャドルを買いたいんやけど」

「チャドルってなんや?」

「イランでは女性が外出する時に着るものなの」


 イランやアフガニスタンの女性がよく着てるらしく、イランでは法律で着用が義務付けられてると日本を出る前に調べてきたらしい。


「ほんならバザールに行こっかぁ」

「うん」


 ホテルを出て少し北の方にあるバザールへ歩いて行く。

 もちろん今日も日差しが強く茹だる様な暑さや。少し歩くだけで全身から汗が出てきて服が纏わり付き非常に気持が悪い。やけに今日は湿度も高く感じた。


 バザール付近まで来ると、沢山の人通りや。


「ほら、あれ見て。あの人が着てるのがチャドルよ」


 頭の上から足元まで黒い布で覆われてる。パキスタンでもたまに見るファッションや。

 その女性は忍者の「くノ一」みたいに目だけ出してたけど、その目は鋭く、それから想像するにめっちゃ美人さんの様な気がした。


 バザールの入り口にも全身チャドルを着てる女性が居る。こちらの女性は目も出してなくて顔ら辺の布が網の目になってるとこから周りを見てるみたいで、こちらから顔を認識することは出来へん。そやけど歩き方からしてかなりのご高齢の女性っぽい。

 同じ様に向こうからも全身黒ずくめチャドルの女性がやって来る。もちろん顔は全く見えへんかったけど、二人は知り合いやったのか、お互いに手を上げて近付いていってお喋りをしだした。


「あら奥さん、お久しぶりー」

「あらあら。お元気でした。私は最近腰が痛くてねー。やっと買い物に来れましたのよ」

「それは大変ですわね。私はこの通りピンピンしてますよ」


 みたいな会話をしてる。あの顔が認識できへん服装で知り合いやってどうやって分かったんやろうと不思議に思いながらバザールに入った。


 バザールを見て回ると装飾品や生地屋さんの傍に服飾関係の店がある。その端っこに幾つかのチャドルがぶら下がってた。日夏っちゃんはその店に入り、あれやこれやと試してる。外からみてたらどれも同じ様に見えたけど、生地やレースの具合に違いがあるんやろう、どれにするか迷ってるみたい。その店は女性専用みたいで男性は入れへんし、その時僕は母が買い物してるのを待ってる子どもの時の退屈さを思い出してた。


 暑いとこでめっちゃ長いこと待たされた結果、シンプルなデザインの絹の様な繻子の黒いマントにレースのベールが付いたやつを購入してた。


 店から出てきた日夏っちゃんは、やっぱり母の様に僕を適当にあしらって次は生地屋さんに入っていく。こういう時の男は、子どもだろうと大人だろうと限りなく暇で退屈や。生地屋は男性客も入ってたし、僕も日夏っちゃんに付いて店に入る。


「今度は何買うん?」

「えーっとね、パキスタンの民族衣装を作ろうと思って……」

「ああ、『シャルワール・カミーズ』かぁ」

「そう、それ。もう色も決めてるから直ぐに終わるし待っててね」


 何でも街で見掛けた女性が着てた服がめっちゃ綺麗やったらしく、自分も同じものを着てみたいとの事。色は紫色って決めてたそうやけど、生地の種類や微妙な色加減があるんかかなり悩んでるみたいやったし、やっぱりここでも相当待たさそうや。

 そやしどっかへ行こうと思たけど、店内を見てみると奥さんの生地選びには夫が、娘さんには母親と父親が付き添ってる様に男性は必ず傍に居らなあかんみたいな雰囲気やったんで僕も日夏っちゃんの傍でボーッと立ってた。

 多分、死んだ魚の目をしてたと思う。まぁ「早よしてーなー」と言わんかっただけ僕は大人になってた。



 やっと決まり、お金を払うと、


「今度は仕立屋さんに行くよ」


 と言われたんでのそのそと後を付いて行く。

 日夏っちゃんが入って行った店は「軍服と紳士服」と書いてある仕立屋で、女性用ではなかったし心配して声を掛けてみたら、


「私、男性用の服の形が気に入ってるんよ」


 とあっさり言われてしもた。

 店に入ると店員や職人は驚いた表情をして日夏っちゃんと話してる。


「どないしたん?」

「えっとねー、この店に日本人が来るのが初めてなんだって。それに女性客も初めてらしいよ。うふふ」


 と、何の意味があるのか分からん笑みを溢して嬉しそうやった。

 初めてのオーダーメイドで服を作るらしく、嬉しそうに寸法を測って貰ってた。

 なんと特急仕上げでオーダーして、明日の夕方には仕上がるそうや。


 漸く一連の買いもんが終わったんは夕方近く。僕は立ってるだけやったけどほとほと疲れてしもたわ。


 ホテルに戻った僕は疲れてベッドに横になってたけど、日夏っちゃんは買うてきたチャドルを被り鏡の前で眺めてた。あんだけ悩んで買うたのに、その顔はあんまり嬉しそうではない。

 一応、気を使こて、


「似合てるやん」


 と言うてみた。実際、綺麗な目をしてるし充分べっぴんさんに見える。そやけど、本人曰く、


「ベールを被ってみたけど、やっぱりパキスタンの人みたいに目は大きくならへんねん」


 らしい。そりゃそうやろ。あの妖艶でキリッとした目は日本人には無理や。ほんでもそんな事は言えへんし、


「それでも充分綺麗やで」


 と気を使こて言うたら、


「そんなお世辞って直ぐ分かる事言わんとってや」


 と言い返された。


 気ぃ使こただけ損したみたいや。



 つづく

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