カリマバード(フンザ)
197帖 ランベル鞭毛虫
『今は昔、広く
晩飯の時、びっくりした事にあの無口なおっさん従業員が給仕をしてくれた。無事に復職させて貰えたんやとそのおっちゃんの顔を見てたら目が合うてしもた。珍しくおっちゃんは恥ずかしそうにニヤっと笑ろてた。
今日は客は僕だけってのもあったんかオーナーのじいさんは自分の食事を持って僕の向かいに座ってきたさかいに、僕はじいさんにトレッキングの話しの続きをした後、逆に色々と爺さんに聞いてみた。
ホテルの事やじいさん自身の事、奥さんや子どもの事など。それに対してじいさんは淡々としかも丁寧に話してくれた。
じいさんは若い頃は、建築職人として家や堤防や橋等を作ってたらしい。カラコルムハイウェイの建設にも携わったみたい。ほんで、このホテルも年取ってから自分で作ったと言うてた。なかなかいい建物やと褒めると嬉しそうに自慢してた。
じいさんの奥さんは結婚して間もなく事故で亡くしたらしい。それで2番めの奥さんを貰ろたらしいけど、その奥さんは3人の息子を残して十数年前に亡くなったそうや。
じいさんの3人の息子はみんな街に働きに出て、ここ数年は帰って来てないらしい。
その代わり、こうやってホテルに泊まりに来てくれる若者が息子・娘の様に感じると言うてた。そやしホテルの宿泊代は、じいさんと無口なおっさんが食べて行けるだけの金額に設定してるとの事。他と比べると施設面での違いはあれど、確かに宿泊代は他のホテルの3分の1かそれ以下で安い。
何度も泊まりに来る僕は良い息子だと言うて微笑んでたけど、その奥には何か寂しいものを感じてしもた。
食事と話が終わり、僕は部屋に戻ってベッドに横になりながら窓から月明かりに照らされてる七千二百五十七メートルの
すると急に便意を催し、急いでトイレに駆け込む。そしたらさっき食べたカレーがそのまま出てきた。最後はチャイ様な茶色い液体がシャーっと便器に流れていく。それは見事な排便っぷりで、食べたもんは全く消化されずそのまんまの状態で出てきた。激しい下痢やったけど、なんでか腹痛は無かった。
念の為、昨日も飲んだ和漢の薬を飲んで寝ることにした。
7月31日の水曜日。
朝食を摂るもやっぱり十数分後には見事なまでにそのまんま便器に流した。こりゃあかんと思い和漢の薬を飲んでも、数分後には紅茶色した水と一緒に黒い粒が排出されてしまう。これはますますヤバイと思い、取り敢えず村にある病院に行ってみることにした。
ホテルから
一人の老人に「ここへ座れ」と言われたんで座って待ってると、女性の看護師がやって来て僕の症状を聞いてくれた。英語では詳しく説明できへんかったけど、とにかく紅茶の様な水の便が出るという事は伝えた。
暫く待ち、僕の番になって診察室に入ると医師に服を脱ぐように言われ、聴診器でお腹の辺りを押さえられる。そしてベッドに寝かされ触診が始まった。
「ここは痛いか?」
「いいえ」
「ここはどうだ」
「痛くないです」
「ここにはガスが溜まってるね」
「ちょっと苦しいです」
そう答えると、椅子に座るように言われる。
「あなたはランベル鞭毛虫症だね」
ああ、あれかぁ。氷河で水を飲む時に三雲さんが言うてたやつや。やっぱり氷河の水が汚染されてたんやぁ……。
そう思て不安な顔をしてたら医師が、
「心配ない。薬を飲めば3、4週間で治るよ」
と慰めてくれる。
「ただし、明日の朝までは何も食べては行けない。薬を飲むだけだ」
と言うてオレンジ色のシートを3枚と黄色いシートを2枚、その場で手渡された。そのシートには「
「これを朝と夜に1日に2回飲めば大丈夫」
と念を押してくれた。そして「もう帰っていいよ」と言われたけど、診察料や薬代はどないするんかなと思て看護師の顔を見る。
「代金はなんぼですか?」
旅行保険は入って無いしなんぼするか不安やった。すると医師に、
「この病院はイマーム(地域の宗教的指導者)による基金で運営されてる。薬は政府からの支給品だから無料だ」
と言われた。イスラム教って凄いなと思いながら、丁寧にお礼を言うて僕は一銭も払うこと無く診察室を出た。どうやら僕が最後の患者らしく、まだ午前中の早い時間やのに待合室には誰も居らんかった。「流石は長寿の村やなぁ」と変に感心しながら僕は病院を後にした。
取り敢えず僕は部屋に戻り、薬を飲んでベッドに横になる。別に痛いとこは無いねんけど、なんとなく「ランベル鞭毛虫症」と言う響きに圧倒されて精神的にしんどかった。しかも頭では、「鞭毛で動く虫ってどんなんやろう」と想像したり、僕のお腹の中で蠢いてる無数の虫を想像してしもて身震いしてた。
8月1日の木曜日。
昨日の昼から何も食べてへんかったけど、今朝も何も食べず、薬だけ飲んで部屋の中で大人しくしてた。
それでも流石に夜はお腹が減ってきたんで、食堂に行ってみる。今日は4人の欧米人が宿泊してるらしく2日振に見る賑やかさやったけど、僕はランベル鞭毛虫症のショックがあったし、カレーをよく噛んで食べる。
食後、もう大丈夫かなと思て安心してたけど、やっぱり1時間後には全て便器に出してしもた。それでも昨日までの紅茶みたいなんでは無く、少し茶色い
晩飯の時間にじいさんが心配して見に来てくれたけど、
「病院に行って薬を貰ろたから」
と言うと安心して戻って行った。
8月2日の金曜日。
念の為、今日も絶食して1日中寝てた。空腹は何とか我慢出来たけど、体力が落ちていくのが辛かった。夕方になって、「このまま死んでしまうんかなぁ」と考えてたら、ほんまに意識が朦朧としてきた。
そんなボーッとしてる意識の中で、耳に入ってきた声は日本語っぽかった。しかも女の子の声も聞こえる。
いよいよ幻聴がしてきたかぁ……。
いや、そんなことはない。確かに部屋の外から聞こえるんは日本語や。
日本語が喋られる!
それだけでなんか安心できた。そう思うと早く喋ってみたくなっり、急いで靴を履き外へ出てみたけどもう姿はない。時計を見ると6時を回ってたんで夕食を食べに食堂にいったんやと考え、僕も食堂に行ってみる。
入り口を入ると、日本語で喋る男女の声が聞こえてくる。
食堂の中には僕と同じくらいの男女が2人、楽しそうに喋ってた。
「こんばんわー」
「あっ、こんばんわー」
「こんばんわ……」
男の人はちょっと年上っぽ雰囲気でボサボサの頭に如何にも旅をしてますって感じのTシャツにハーフパンツスタイル。女の子は面長で長い髪。でも目がパチっとした可愛いと言うよりも大人の美しさが漂う感じ。
うん! めっちゃ綺麗。
あまりにも綺麗で思わず眺めてしもたけど、その女の子には逆にジロジロと舐める様に見られてしもたさかい、直ぐに目を逸した。
その後も何となく見られてる様な気がしてたら、その女の子が僕に向かって話しかけてきた。
「あれ! もしかして……」
なんか顔を見られてる。しかもべっぴんさんに……。
「なぁ、憲ちゃんとちゃう?」
「へっええ!」
と変な声を上げてしもた。
今まで「憲ちゃん」やなんて母と従兄弟以外では幼稚園以来言われた事ないしびっくりしてしもた。
一体誰やねん、この子は……。
つづく
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます