193帖 黄金の觔斗雲
『今は昔、広く
「午後4時51分。
四千百八十三メートルの山頂はほぼ無風。気温は14度やのにきつい日差しで丁度ええ感。酸素が薄いんでまだ息は上がったままや。
山頂は想像以上に広く、ケルンやと思てたんは石を積んだ風除けで、50センチ位で低いけど三方が囲まれてるしテント持ってきてここで幕営したら良かったわ。そやけど、いっぺん下りてテントを担いで登ってくる体力も気力もない。朝焼けに映える山々が見られたのにと悔やんでしもた。
「おおー! ええー眺めやなぁー」
三雲さんも到着して、早速カメラで風景を撮ってる。僕は水を飲みながら暫く360度のパノラマを楽しんだ。
南の直ぐ手前には低いけど
その横のたくさんの雪を抱いた7千メートル級の
西には白い
北東はフンザ川の向こうの
とにかく幾つもの白い山々が複雑に重なり合い、日本では到底味わえん絶景やった。
息も整ってきたとこで写真を撮り、三雲さんとも交代で登頂記念写真を撮った。一段落したとこで、座って行動食を食べながら暫く絶景を堪能する。
「登って良かったですね」
「おお、こんな高いとこに来たんは初めてやわ」
「ええ!
「えーそうなん。ほんでも自分の足で来たんはこれが最高峰や。今まで登った事ある山って千百二十五メートルの金剛山(大阪と奈良の境)が最高やったからなぁ」
「なるほどぉー」
「そやけど、ええ眺めやなー。何もかも忘れてしまいそうや」
「ですよね……」
五千メートルの峠をバスで越え、四千百八十三メートルの山に登って喜んでる僕はちょっと複雑な気分やったわ。
「北野さんが居らへんかったら、こんなんでけへんかったわ。ほんまにおおきにやで」
「いえいえ。僕も登れてめっちゃ嬉しいですわ。これも……、北京で会うた時からの運命やったんとちゃいます?」
「ほんまやなぁ。不思議なもんやなぁー」
「ね……」
やっぱり酸素薄いわ。ビスケット食べながら喋ると息が出来へん。
それから暫く眺めを楽しむ。そろそろ陽も沈みそうになってきたし、降りることにする。荷物をまとめてると、先に立ってた三雲さんが肩を叩いてくる。
「あれ見てみてみー」
「へっ?」
「ほら、あの雲やん。凄い色しとるで」
三雲さんはバツーラの上空にある觔斗雲を指差してた。
「あれま」
沈みかけた太陽の光の加減やろう、觔斗雲は黄金色に輝いてた。その觔斗雲は御光の指す方向に向かって進んでるように見える。こんな雲は見たことないし、どっちか判らんけど吉兆か凶兆を暗示してる様に僕には思えた。
ほんでも暫く見てると、なんとなく有り難い気持ちになってきたんで僕は思わず合掌してお念仏を唱えてしもた。
登りに4時間位掛かったけど、下りは30分ちょいで下りて来られた。暗くなる前にテントを立ててしまいたかったから、三雲さんは置いてけぼりにしてしもたけど。
テントを立ててると三雲さんも到着し、一緒にテントを設営する。荷物をテントに打ち込んで風で飛ばん様にしたら、コンロとコッヘルを出して晩飯の準備。ただ、多賀先輩みたいに三雲さんは段取りを分かってへんし、一つ一つ説明して手伝うて貰ろた。
なんとか暗くなる前にご飯を炊けたんで、缶詰をおかずに晩飯を食べる。缶詰はパキスタンなんで勿論カレーの缶詰。僕はチキンカレーの缶詰で三雲さんはキーマカレー。
缶詰やけど肉の塊がゴロゴロ入ってて美味しかった。勿論辛いさかいヒーヒー言いながら食べる。三雲さんのキーマカレーも一口貰ろたけど中身が違うだけで味は一緒やし、それに同じく辛い。
晩飯を食べ終わる頃には、空には星が出てた。予想通り満月で、月明かりでも充分後片付けが出来る。残ったご飯は明日の朝にお茶漬けで食べることにして、コッヘル等をトレペで拭いて片付ける。
それからはホテルと違ごて食べた後はなんもすることが無いさかいにロールマットを敷いて横になり二人で空を眺めながら旅の話しをする。
ここ鞍部は、丁度風を遮る向きに壁があってほぼ無風状態やけど、それでも時折吹き上がってくる風は氷河でしっかり冷やされた冷風や。耐えられへん程ではなかったし別にテントに入って話をしたらええのに僕も三雲さんもわざわざ上着を追加で着込んでまたロールマットに横になり、星空の天井に月の明かりを頼りにいつまでも喋ってた。
おっさん二人で、面白ろい話は大声で笑い、ムカつく話は文句を言いまくって鞍部のU字谷に声を響かせてた。流石に悲しい話や恋話は出てこんかったけど、今夜は大声を出そうが暴れようがこの近辺に居るんは僕らだけやし、夜遅くまで思う存分話した。
つづく
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