183帖 さいなら!
『今は昔、広く
7月16日、火曜日。
昨日の晩は涼しくなった夜の旧市街を練り歩く程元気やったのに、今日は朝から身体がだるくて頭も多少痛い様な気がするんで、僕はホテルで寝てることにした。まぁ先週の土曜日から体調が良くないのは余り変わってない。
なんと言うてもこの暑さ。日中は40度近くまで上がるし、直射日光に当たるともっと暑い。軽い熱中症か夏バテみたいなもんかも知れん。当然、安宿のこのホテルにはクーラーなんてもんは無い。朝やのに暑さで寝てても頭がボーッとしてくるわ。
それに比べて多賀先輩は元気いっぱい。今日は、バザールで知り合うたパキスタン人と「
ベッドで寝てると見えるもんは天井とファンだけ。朝から回してるけど少し風が吹いてくるだけで涼しない。これも昼を過ぎると熱風が下りてくるだけになる。水を飲まんかったら一夜干しの魚みたいに干からびてしまいそうや。
それに一人やと、「僕は一体何をしてるんや」と直ぐに落ち込んでしまう。昨日の美穂との電話やないけど、これからどうしよかと考えてたら眠ってしもた。
昼過ぎに暑くて目が覚める。何か食べなあかんと思て1階のレストランに行ったら、そこはクーラーが効いててめっちゃ涼しく、気分も少し晴れそう。ただ、そないに食欲は無いしチャイとナンだけ注文する。「カレーは要らんのか」と聞かれたけど、そこまで食べる体力も気力も無かった。
チャイとナンだけで1時間近くおったら寒気がしてきたし、精算して4階の部屋に戻った。部屋はムッとして暑かったけど、それがかえって心地よく感じる。ベッドに横になって考えることは一つ。
さて、これから何処行こか?
ペラペラとガイドブックを捲り、
どうしたらええんやろうと思うも、時間だけはどんどん過ぎていった。
陽が傾きかける頃、僕は新市街に向かって歩いてた。街の中心部に差し掛かった所は一帯がバザールになってる。綺麗な女性客で賑わうお洒落な布や服、アクセサリーを売ってるバザールや、トランクやアタッシュケースばっかり売ってるバザール等を通り越すと、そこは北部へ向かうバスのターミナル。
もし明日のバスが有れば僕は北へ向かう。無ければ南に向かう事に決めてた。
バスは停まって無かったけど、ターミナルの小さな事務所に入ってみる。
「ギルギット行きのバスはありますか?」
「申し訳ない。今日のバスはもう有りません」
「いえ、明日のバスです。できれば午前中に乗りたいんですが」
「おお。それなら大丈夫です」
「なんぼですか」
「120ルピーだ」
ギルギットからラワールピンディに来た時より高い。
「それはエアコンディショナー付きですか」
「もちろんだ」
エアコン付きの分だけ高いけど、それやったら何とか体力も持ちそう。
「学生の割引はありますか」
「いいよ。60ルピーだ」
「では予約をお願いします」
学生証を提示してお金を払い、明日の11時に出るバスのチケットを受け取る。
とうとう決めてしもた。僕は明日、北部に向かって旅立つ。
帰りに明日からのバス旅の食料と水を買い込み、ホテルに戻って多賀先輩の帰りを待ってた。
もうとっくに陽が暮れたのに多賀先輩は帰って来うへん。その分、多賀先輩に何て言おうか考える時間があったけど、なかなか考えはまとまらんかった。
そうこうしてる内に8時を過ぎた頃、多賀先輩が帰ってくる。そのまま「7-11」へ中華料理を食べに出た。
僕はチャーハンとラーメンの様なもんを注文する。ラーメンの様なもんはスープの味が薄く何を食べてるんか分からん。
「多賀先輩。明日はどうします?」
「うーん、まだ何も無いけど。北野は何したいんや」
「えーっと……、折角ラワールピンディまで戻ってきたし、僕はまたフンザに行きたいなぁと思てます」
「そうなん。ええんちゃう」
「多賀先輩も一緒に行きませんか」
「うーん……」
何か考え込みながらチャーハンを食べてる多賀先輩。暫く沈黙が続いた。
「そうやなぁ、また行ってみたい気もあるけど、俺はラホールとかカラーチに向かうわ。綺麗らしいでー。今日一緒に
やっぱり多賀先輩の気持ちは南向きか。
「そうなんですか」
「ほんで、またクエッタ行ってイランに向かうわ」
「そっかぁ」
「まぁ、気が向いたらまたカリマバードへ行くかも知れんでぇー」
「へへ……」
愛想笑いしか出来ん。多分来うへんやろうと思うけど、そう言うてくれてるのは多賀先輩の優しさやと思た。そんな多賀先輩の事を思うと、ここで別れるのが何となく辛く感じてしまう。
今までほぼ2ヶ月間一緒に居った。それも見知らぬ異国の地で、いろんな苦難も一緒に乗り越えてきた。いつかは別れる時が来ると思てたけど、まさかパキスタンで早々に別行動になるとは予想もしてへんかったし、僕は望んでもいんかったと思う。でも僕が決めた事なんや、僕は山や氷河を見てみたいんやと自分自身を半ば無理やり納得させた。
その後は今日の多賀先輩の「城」巡りの話しを聞かせて貰う。明日別れるんを感じさせへん様に気を使こてくれたんか、いつもと同じ様に面白おかしく話してくれる。
そやのに明日から多賀先輩は居らん、一人で旅をするんやと思うと、折角話してくれたのにその内容は全然頭に入ってこんかったわ。ほんでいつも通り涼しくなった街をぶらついて、いつも通りに夜は更けていった。
7月17日、水曜日。
今日から一人旅。北部へ向けて出発や。
「別に見送りはいりませんで」
と、ほんまは別れるのが辛いから付いて来て欲しなかったんやけど、
「今日は暇やから」
とバスターミナルまで多賀先輩は付いてきてくれた。
バスターミナルまでは何か喋ったら泣いてしまいそうで嫌やったから、ほぼ無言で歩いてしもた。やっと口を利けたんがバスに乗る直前。でも不思議と寂しいとか悲しいとかの気持ち無かった。
「多賀先輩、ほんまにここまで一緒に居てくれはってありがとうございました」
「そりゃそうや。感謝してもらわんと」
「そやけど交渉事は殆ど僕がしてましたで」
「そうやったかなぁ」
「そうですわ。ほんまにぃー」
「でも、おもろかったわ」
「僕もおもろかったです。ほんまに助かりました」
「へへー」
「またどっかで会えますよね」
「まぁ、会えるやろう。8月20日までパキスタンのビザあるしなぁ」
「そうですよね。もしかしたらクエッタかイラン辺りで追いつくかも」
「そやなぁ。日本人が泊まりそうな宿のノートにメッセージ残しとくわ」
「追い抜いたらすんません」
「あほ。追い越しそうやったら待っとけや」
「そうですよね。分かりました」
「まぁそれと日本に帰ったら、『ラーメン黒部』でゆっくり話ししようや」
「そうっすね。楽しみにしときますわ」
「おう」
「そしたら行きます」
「ほななぁ」
「ほしたらまた!」
僕がバスに乗り込んでも暫く多賀先輩はバスの近くで出発を待っててくれた。最後の乗客が乗り込み、ドアが閉まってバスは動き出す。
歩道に立って多賀先輩は手をゆっくり振ってくれてた。そん時、初めて多賀先輩は寂しそうな顔をした。それを見て僕は涙が流れてきた。
僕も手を振り、心の中で「さいなら!」と叫んだ。
つづく
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