182帖 ビザ延長物語・完結編 立ち聞きする悪い奴

『今は昔、広く異国ことくにのことを知らぬ男、異国の地を旅す』



 7月15日、月曜日。

 いよいよビザが切れるさかい、今日こそは絶対にビザを延長せんと後がない。


「ビザ、切れたらどうなんのやろう」


 と言う多賀先輩の戯言は無視してFRO(外国人登録事務所)に向かって歩いた。


 今日もラワールピンディは朝から暑い。Rawalpindiラワールピンディも基本は砂漠の中のオアシスやからそないにジメジメしてる訳やないけど、FROに着くまでに大量の汗をかいてしもた。


 FROでは書類とパスポートを提出すると簡単にビザの延長ができたんで、そのまま涼しいロビーでこれからの行動について話し合うた。因みに、ビザの有効期限は8月20日になってる。


「今日はどうします?」

「どっか行きたいとこあるんけ?」

「特に無いですけど、やっぱ日本大使館に行ってみよかなと思てます」

「そうけー。もう一人でも行けるやろ」

「まあぁ、行けますよ」

「ほんなら俺はまた旧市街地でもぶらついてくるわ」 

「了解です。ほんなら夕方にホテルで」

「おっしゃぁ」


 と言う事で、FROを出た所で多賀先輩と別れた。


 僕はGTSのバス停から赤いバスに乗り、Islamabadイスラマバードへ向かう。バスには系統があるんやろうけど、そんな事は分からんし適当に乗ったらやっぱりまた知らん所が終点やった。そやけど今度はオフィス街やしなんとかなるやろうと思てまず北に向かって歩き出した。20分位歩くとなんとなく見覚えがある通りに出たんで今度は東に向かう。

 予想は見事に的中して大統領府の前に出てこられた。そこから南に行ったら日本大使館はある。


 大使館の入り口からはパキスタン人の長い行列が出来てて、入り口では警備の警察官らしきおっちゃんが居って出入りをチェックしてる。

 僕はその列の最後尾に並んだ。待てど暮らせど列は一向に進まへん。直射日光の暑さにイライラしてたら僕の後ろに並んでた兄ちゃんが声を掛けてきた。


「あなたも日本のビザを取得したいのか?」

「えっ?」

「これは日本のビザを取得するために並んでるんだよ。あなたはヤパンじゃないのか」

「そうです、日本人です」

「それならあっちから入ればいい」

「そうなんや。ありがとう」


 と列を離れようとしたら、その兄ちゃんがまた話しかけてきた。


「あなたの名前を教えてくれないか?」

「なんでなん?」

「僕は日本で働きたいのだが、許可がなかなか下りないんだよ。もう2ヶ月も待ってるよ。でも日本人に友達がいると、少しでもビザが取りやすくなるんだよ」

「そうなんや。それならいいよ。北野憲太といいます」

「キタノ、ケンタだな」

「そうそう。京都に住んでます」

「おお、京都ね。私も京都に行って働きたい」

「京都に行くパキスタン人って多いのか」

「ああ、私の知人も京都で働いてるよ」

「そうなんや。やっぱり日本の方が儲かるのんか?」

「そりゃ違うさ。1,2年働けば、パキスタンでは大金持ちになれる」

「そうかぁ」

「いやー助かったよ。ありがとう」

「いいえ。こちらこそ」


 僕らは簡単にパキスタンのビザを取れたけど、パキスタンの人は日本のビザをなかなか取れへんのや。なんかこんな事で貧富の差を感じてしもたわ。


 列を横目に入り口まで行き警備員にパスポートを見せると、何のチェックも無しにあっさり入れた。

 入って直ぐ右に机があって、その上に箱が置いてある。旅行者らしき先客が手紙をあさってる。


「手紙の受け取りですか?」

「ああ、こんにちは」

「こんちはー」

「そうなんだよ。先週から何回も来てるんだけどね、まだ来てないみたいなんだよなー」

「日本からそんなにかかるんですか」

「いやー2,3日で届くと思うんだけどねぇ……。あっ、どうぞ。僕はまた明日にするよ」

「すんません。どうもです」


 箱の中には結構な量の手紙が入ってる。勿論差出人も受取人も名前はローマ字で書かかれてるし分かりづらい。一つ一つしっかり確認しながら、一応全部見たけど美穂からの手紙は来てなかった。


 そりゃそうやな。僕から全然出してないしな。


 そう思た僕は、大使館を出て郵便局を探した。何となくこっちにありそうな気がして歩いて行くと、2区画ほど行ったとこの角に庶民的なレストランがあって、カバブーを焼いてるええ匂いがしてきた。

 僕はたまらずその店に入り、カバブーと焼き飯の様なプラウ、それとサモサを頼んで食べた。プラウもサモサも香辛料が効いててめっちゃ美味しかったわ。店を出る時には、郵便局の場所を教えて貰ろた。


 更に2区画歩くと、「Regionalリージョナル Postポスト Officeオフィス」という郵便局に着く。中に入ってカウンターの端で昨日買うた絵葉書を出して住所とメッセージを書く。絵葉書のええとこは、文章を書く量が少なくて済むとこや。美穂宛には、「元気ですか」とか「元気です」とか書き、それとペシャワールからここまでの経緯も付け加える。もう一枚は、下宿の隣の喫茶店のおばちゃん宛て。京都を出発する前に、心配やからたまには手紙を送ってと住所まで渡されたさかいに、これにも同じ様な事を書く。


 書き終わった後、窓口で日本までの切手代を聞くと葉書は4ルピーやった。めっちゃ安い。綺麗な切手を買うて葉書に貼り、国際郵便の青いポストに投函した後、郵便局前のバス停からラワールピンディ行きのバスに乗ってホテルに戻った。


 ホテルに戻ったけど、まだ多賀先輩は帰って来てないみたいやし、僕はベッドに横になってガイドブックを読んでた。

 するとドアをノックする音と受付のおっちゃんの声が聞こえてくる。


「ミスターキタノ!」

「はい」

「電話です。急いで受付まで来て下さい」


 えっ! 電話?


 確かにおっちゃんは「キタノ」って言うてたけど、誰がパキスタンのホテルに電話してくるんやろかと考えながら階段を下りる。もしかして、多賀先輩が何かやらかして警察に捕まったんやろか。それやったら面倒臭いなぁと思いながら受付の電話に出る。


「Hello?」

「あっ、憲さん?」


 プツプツと雑音が混じってたけど、電話の声は間違いなく美穂。日本からの国際電話や。


「おお、美穂。元気?」

「うん、元気やで。憲さんは?」

「まぁまぁ元気。暑うてたまらんわ」

「そうそう、こないだ電話ありがとう。留守しててごめんなぁ」

「ええよええよ。こっちと5時間も時差があるしな」

「そうやねー。今ラワールピンディってとこに居るんやろ」

「うん」

「そんなに暑いの?」

「そうやなぁ、今日の昼は37度やったわ」

「わーあつうー。身体は大丈夫なん?」

「おお、大丈夫。あっそうや。今日、絵葉書送ったし」

「ええ、そうなん。嬉しい。楽しみやわー」

「まぁ大したもんや無いけど」

「私も手紙書くわ」

「そやけど何処に送るんや」

「この後、憲さんは何処へ行くの」

「あ……」


 まだこの後の予定を考えてへんかったわ。


「えーっと、まだ未定なんやけど。取り敢えずまだ暫くはパキスタンに居るで」

「そうなん。そしたらまた何処行くか分かったら教えてなぁ」

「うん分かった。だいたい一ヶ所に1週間以上居るし、また移動したら連絡するわ」

「うん、ありがとう」

「こちらこそ、電話ありがとうな」

「ううん。久々に……憲さんの声を……、聞きたかったんよ」


 美穂は泣いてんのか?


「どうしたん。大丈夫か?」

「うん……、大丈夫。今日……憲さんの声が聞けたから……、元気になれたよ」

「そうかぁ」

「うん。気を付けて行ってね」

「うん。分かってる。僕も美穂の声を聞けて……、なんか元気になったわ」

「また電話してね。それと手紙と」

「おお、またするわ」

「それじゃ切るね」

「うん。おやすみ」

「おやすみー」


 おっちゃんに受話器を返してお礼を言うたら、なんかニヤニヤして僕の方を見てる。このおっちゃんは日本語がわからんはずやから話の内容は聞かれてないと思うけど……。それとも僕の顔がニヤついてたんやろか?


「声聞けて良かったのう」


 げげっ!


 後ろから多賀先輩の声がした。いつの間に戻ってたんや!


「ええ、もしかして聞いてはりました?」

「いや、聞いてへんで」

「うそや! 聞いてたやろー」

「いやー、声聞いて元気になったやなんて、聞いてへんがな」

「ほら、やっぱり。趣味悪いでっせ。人の電話を立ち聞きするやなんて」

「そやし、聞いてへんて。あはは……」

「もうー!!」


 多賀先輩は逃げるように階段を登って行った。なんかめっちゃ恥ずかしなってしもたわ。



 つづく

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