160帖 旧市街のバザール

『今は昔、広く異国ことくにのことを知らぬ男、異国の地を旅す』



 6月30日の日曜日、6時前。今朝は日の出前に目が醒めた。

 僕は、ここペシャワールに来てから気になってたことがある。それは毎朝、日の出前に何処か遠くの方からペルシャ風の旋律で流れてくる放送や。それもかなりの音量で聞こえるんで、不本意ながらいつもこの放送で目が覚める。

 仏教で言うところの「お経」みたいなもんを今朝はそれを確かめるべく僕はまだ寝ている皆んなを置いて一人ホテルを出る。


 昼と違って朝のペシャワールは気持ちがええほど涼しかった。

 ホテルの前では、あの放送が他の建物に反響して何処から聞こえてくるか分からんかったけど、何となくバザールの方へ歩いて行った。店はまだ開いてへんけど、その前を数人のおっちゃん達が一定方向に向かって歩いてるんが分かる。その方向から放送は聞こえてくる。

 僕も皆と同じ方向に歩く。ほんでもう一つのSaddarサダル Road《ロード》に出ると、その放送は更に大音量で聞こえてきた。


 サダルロードの南西方向に大きなモスクが有り、付属の高い塔の上のスピーカーからそれは流されてた。

 前を歩くおっちゃんに聞いてみた。


「ちょっとすんません。あの放送は何ですか?」

「ああ、あれは今からお祈りが始まるという合図だ」

「なるほどー!」

「お前は、ムスリムか?」

「いえ、違います」

「そうか。それなら中に入れないから、外から見ておくといい」

「分かりました。おおきにです」


 僕はモスクの前まで行き、吸い込まれる様に中へ入ってく人々を眺めてた。それらはすべて男の人や。今日は日曜日ってこともあるんやろう、モスクは超満員になり、やがて放送が終わると合図も無いのに一斉にお祈りが始まる。皆同じリズムで、北西を向いてひれ伏していた。

 それに納得した僕は、あくびをしながらホテルへと戻る。頭の中では、さっきのペルシャ風の「歌」がずっと流れてた。



 ホテルに戻って僕は二度寝をしてたけど、9時前にはみんな起き出したんで僕も起きる。

 今日は旧市街の日曜バザールが面白いらしいんで、皆で一緒に行動しようと言う事になった。

 早速ホテルを出たけど、もう既に外の日差しはめっちゃきつく気温は既に30度を越えてたし、少し歩いただけで汗が流れてくる。旧市街まで歩いて40分以上かかると言うことなんで、それでは「死ぬ」と思い僕はバスで行くことを提案した。

 丁度手前のバスストップにギンギラバスが停まってたんで、南郷くんが駆け寄り、運転手に行き先を確認してた。


「このバスは1ルピーで旧市街に行くそうです」

「よっしゃ、乗ろう」


 15分程でKhyberカイバル Bazaarバザールというバスストップに着く。目の前はバザールで、大勢の人でごった返してた。旧市街の道幅は狭く、建物が迫ってたせいで空は狭かった。道の両脇に屋台や出店がひしめき合い、通りは人で埋め尽くされてる。その人混みを分け入る様に馬車やロバ車、リキシャーが蠢いてた。35度を越えた気温と香辛料や動物の糞尿、排気ガスの混ざった匂いが一種異様な世界を作り出して、僕や多賀先輩はワクワクしてた。


 日曜バザールだけあって、いつもは男の人だけの買いもん客に混ざって女性客も結構居る。若い女性やおばさんは原色に近い色のシャルワール・カミーズに色とりどりのドゥバッタを纏っている。どの顔も彫りは深く目は鋭く、めっちゃ綺麗な顔立ちや。もはやアジアと言うより中東に近い雰囲気やった。うーん、まだ中東には行ってないから、ただの想像ですけど……。


 ちょっと年齢の高い女性、つまりおばあさんは上からしたまですべて黒一色で統一されてた。年代によってファッションが違うのか伝統なんかわ分からんけど、この異様な雰囲気のバザールをより一層神秘的にしてくれた。


 バザールは、どこまでも続いてる。と言うよりも旧市街全体がバザールの様になってた。まるで冒険映画のセットの様やった。

 僕は朝飯代わりにカバブー3本買い、食べながら歩く。屋台が過ぎると、食料品の店が続いてた。野菜に果物、香辛料に肉等ありとあらゆる食材が売ってる。初めて見るもんも結構あった。


 角を曲がると急に賑やかな音楽が流れてくる。露店ではラジカセが置いてあり音楽を大音量で流してて、売りもんのカセットテープが沢山並べてあった。


「お前はヤパンか?」

「そうや」

「パキスタンの歌を買わないか」

「どれが流行ってるんや」

「これなんかどうだ」


 と積み上げてあるカセットを取り、ラジカセに入れて再生ボタンを押す。イメージとしは「ガチャガチャ、ドンドン、チャンチャカ、キャンキャンキャン」と言う軽快なリズムでイントロが始まった。サービスのつもりかカセット屋のおっちゃんはボリュウムを最大限にしてくれたけど、うるさくてたまらんかった。そして男性のウルドゥー語の歌詞が流れてきた。


「どう……。これ……?」

「音がうるさくて聞こえんのやけど」

「は?」

「ボリュームを小さくしてくれ」

「ああ……。どうだ、この曲は。安くしとくぞ」


 カセットを手渡してくれた。ラベルは何処ぞでコピーした手作りやったし、中のカセットのタイトルはペルシャ文字の手書きやった。ここでは著作権は無いんやろうかと思てしもた。多分違法コピーの店やね。それでもそんな店が5、6軒並んでた。


「どうだ、買わないか」

「これはええわ」

「どんな音楽が欲しいのだ?」


 別にパキスタンの音楽に興味は無いし、ただの賑やかしで覗いただけやった。それでも、パキスタンでしか売ってない記念と言うか、お土産に買うても面白いなと思たんで、今朝のモスクの事を思い出した。


「朝に、モスクで流れてる曲はあるか?」

「モスク? ああ、お祈りの曲か。ちょっと待て」


 おっちゃんはダンボールを取り出し、その中から黄色いラベルのカセットを取り出した。


「これがモスクで掛ける歌だ」


 文字はペルシャ文字なんで読めへん。


「いっぺん再生してみて」

「OK」


 ラジカセで掛けてくれた。


「アー、ナントカカントカー……」


 朝流れてる曲や。


「これはなんぼなん?」

「これは5ルピーだ」

「じゃーそれ買うわ」

「ありがとう。ついでに、これもどうだ?」


 今度は青いラベルのカセットを出してきた。もちろんタイトルはペルシャ文字。


「これは何や?」

「これは『コーラン』だ」


 おお! イスラムの経典『コーラン』が入ってるんか。僕は直ぐに買うことにした。


「これはなんぼや」

「これも5ルピーだ」

「ほしたら、2つ買うし、8ルピーにまけてや」

「だめだ」

「なんでや、ちょっとぐらいまけてや」

「それはできない。これはアッルラーに関わる大切なものだ。値引きはできない」

「そうなんや」


 神に関わるものと言われたら、しゃあないと思てしもた。僕は渋々10ルピーを払うと、


「これはサービスだ」


 と、男性歌手の絵が書いたカセットを1本おまけしてくれた。


「おおきに」

「また、来いよ」


 値引きは出来んけどおまけは出来るんやと思いながら、カセット屋を後にした。

 他の3人はこのうるさいカセット屋ゾーンを通り過ぎて遥か向こうの店で屯してた。

 そこは貴金属を扱う店のゾーンやった。


「何見てるんですか」

「これ見てみ。銀で出来てるらしいで」

「こんなん松本の駅前でイスラエル人が売ってましたやん」


 年末年始、信州の登山の帰りに長野県の松本の駅前でウロウロしてると、アクセサリーや絵画等をあやしいイスラエル人が売ってる事がたまにあった。僕らは、次の日の始発列車まで暇やったからよく喋ってた。


「ああ、そうやな。似てるなぁ」

「あれ、偽物やて言うてましたで」

「知ってるがな。一緒に居ったがな」

「ああ、そうでしたね」


 そんな事を言うてると、おっちゃんが話掛けてきた。


「これ本物ね。シルバーね。買ってください」


 またしても怪しい日本語が聞こえてくる。折角中東の雰囲気を楽しんでたのにがっくりや。でも面白いしちょっと相手をしてみた。


「これホンマモンか?」


 指輪や腕輪、ネックレスに、ペンダントなどが売ってた。


「ホンマモノね。ピュアのシルバーね」


 そう言う割に少し黒ずんでた。僕は20歳の時に、その当時付き合ってた彼女に銀の指輪をプレゼントしよと思い、河原町のジュエリーショップを何度か行ったことがあったんで、どう見ても偽物にしか見えへんかった。

 それでも面白がって、


「これはなんぼや」


 と一番高そうな指輪の値段を聞いた。


「それ高いよ。20ルピーね」


 めっちゃ安いやん。これで僕は偽物やと確信した。


「やっぱいらんわ」

「おお、安くするね。だから、買うね」

「いや、いりません。またね」


 と言うて店を離れた。


 更に通りを進むと、革製品のゾーンや、女性用の装飾品のゾーンがある。さすがにそこは女性客で賑わってて、香水のちょっとええ匂いもしてきた。

 綺麗な女性を横目に歩いて行くと、今までの賑やかな雑踏とは違い、静かでなんとなく厳かな空気の流れる空間に出た。



 つづく

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