154帖 物乞いビジネス

『今は昔、広く異国ことくにのことを知らぬ男、異国の地を旅す』



 一旦、果物屋の角に戻り今度は反対方向へ行ってみる。香辛料屋、バナナ屋、アクセサリー屋、生地屋と過ぎたところにサモサ屋がある。中国の新疆シンジィァンで食べた「サムサ」と似たようなもんやけど、この店のは三角錐に近い形でカレーを付けて食べるみたい。一皿5個のカレーソース付きで3ルピー。多賀先輩と一緒に食べてみることに。


 まずは何もつけずに食べる。香辛料で味付けされたジャガイモや玉葱、豆に羊肉のミンチが入ってて、サムサよりあっさりしてた。これにカレーソースをつけると、味に深みが出て絶品。ペロッと食べてしもたんでサモサだけ追加して食べた。


 また隣からは香ばしい匂いがしてきた。シシカバブー屋や。新疆で食べたのより肉塊が少し大きめ。見てるだけで涎が出てきたんで早速1本購入してかぶりつく。肉はちょっとパサパサ気味やったけど、独特の香辛料が効いてて美味しい。後味がめっちゃ辛かったけど、もう1本追加した。


 これで朝昼兼用の食事は終了で、またバザールの散策の再開や。少し進むと店と店の間に一人のおっちゃんが座ってた。一見するとおっちゃんの足は無い様に見える。おっちゃんの前には小銭や1ルピー紙幣が入ったアルミの器が置いてあった。


 これが昨晩、山中くんらが言うてた「物乞い」か!


「どうか、恵んでください」


 と、おっちゃんは悲しそうな目で訴えてきた。事故や病気が原因で足を無くした人もいるやろけど、山中くんの話に拠るとパキスタンは地下資源も乏しく貧しい農業国で、その中でも最も貧しい部類の人々は子どもが生まれると手や足を切断し、「物乞い」として生きていくことを強いることがあるらしい。残念ながら普通に働くよりその方がマシな生活が送れる。その背景には、イスラム教の教え「恵まれないものには進んで施しをする義務」がある。そうする事によって自らは浄められ、困窮者も救われる。従って、まともに働くより喜捨を受けて生活する方がええこともあると言うのである。


「おっっちゃんは足がないのんか?」

「そうなんだ。事故で足を無くしたんだ」

「それは辛いな」

「お金を恵んでください」


 どうしよかなと悩んでたら、隣の多賀先輩はサッと小銭を器の中に入れてた。パキスタンの小銭に中国の小銭も混ざってたけど。

 それを見て僕もポケットの中を探り、掴んだ小銭を全部器の中に入れた。


「おお、ありがとうございます」


 とおっちゃんがお辞儀をした時に、僕が器に入れた50パイサ硬貨が溢れて転がり始めた。とっさにおっちゃんの行動を見て僕はびっくりした。


 足、あるやん!


 右足をさっと出して転がる硬貨を拾って元に戻り、何食わぬ顔で佇んでた。それをジッと見てた僕におっちゃんは一言呟く。


「問題ない」


 山中くんが言うてた「ニセモノも結構いますよ」とはこの事かと思たけど、上げてしもたもんはしゃあないわな。


「まんまと引っかかったなあ」

「そやけど、貧しそうやったしええんちゃいますか」

「そやな。また巡り巡って返ってくるで」


 そう思て諦め、また歩き出す。

 バザールの端っこまで行き、一応バザールと見届けると僕らはもと来た道を引き返した。そん時には既にあの「物乞い」の姿はもう無かった。


「あの人、今日の営業は終了したんですかね」

「あはは、もうノルマ達成したし帰ったんちゃうか」

「なかなかええビジネスですね」


 僕らは果物屋まで戻りまたマンゴジュースを飲んで、山中くんや南郷くんのお土産に10ルピーのスイカを買うてホテルに戻った。



 ホテルに戻ると、二人ともベッドに座って話をしてる。


「山中くん、もう大丈夫なんか」

「はい、薬のお陰で良くなりました。ありがとうございました」

「水分補給にスイカ食べますか。冷たくないけど。日本の塩もあるで」

「いいですね、是非」


 僕はスイカを4等分してみんなに配る。「アジシオ」を掛けてむしゃぶりついた。味は日本と同じ。


「北野さん、アフガニスタン人の難民キャンプに行きたいって言ってましたよね」

「うん、行きたいわ」

「ペシャワールの南に難民キャンプがあるって話を思い出したんですよ」

「そうなんや」

「明日、行ってみませんか」

「ええなぁ。そやけど……、どうやって行くんや?」

「確かぁ、バスがあったと思うんですよ」

「バスで行けるんや」

「多分ですよ。元気になったので後で調べてみますよ」

「おお、流石やな。頼りになるなぁ」

「えへへ、スイカのお礼です」

「ほなよろしくです。あっ、そや。さっきバザールで『物乞い』のおっちゃんに会うたわ」


 と、さっきの「物乞い」に引っかかった話をした。


「あはは、やっぱり引っかかりましたか。僕らも初めは寄付しましたよ」

「いつもあそこに居るんで、たまに買い物のついでにからかってるんですよ。あのおじさんは両足がある上に、自転車で通勤してますからね」

「通勤って、あそこが職場っちゅうことか?」

「そうですよ。一日分の食費が溜まったら帰るそうです」

「そう言えば、帰りにはもう居らんかったしな。俺らの寄付でノルマ達成したんやろか」

「そやけどいろんな人が居るんやなぁ」


 その後も4人でベッドに横ななり、いろいろとペシャワール周辺の面白そうな場所の話や噂話をして過ごした。


 しばらくして僕がチラチラと時計を見て気にしてたんを多賀先輩が見つけてしもた。


「北野、さっきから時計見て何してんや」

「えーっと、4時になったら電話したいなと思て」

「電話て……、日本へか?」

「はい」

「家に掛けるんですか?」

「いやー……」

「わかった美穂ちゃんやろ」

「ええ、まぁ」

「なんでこのタイミングやねん。あっ、分かった。今日が美穂ちゃんの誕生日とか?」

「なんで分かるんですか!」


 こういう感性は鋭い多賀先輩。


「そんなもん分かるがなぁ」

「美穂さんって、もしかして北野さんの彼女さんですか」

「ええ、まぁ。そうです」

「ええー、日本に置いてきたんですかぁ?」

「連れて来る訳にいかんしなぁ」

「それは、かわいそうだー。それなら……、直ぐにPCOに行った方がいいですよ」

「ええ、何。PCOって?」

「えっと、『Publicパブリック Callコール Officeオフィス』の略なんですけど、電話局みたいなものですかね。国際電話は、そこから掛けられるんですけど、繋がるまで結構時間がかかるんですよ」

「そうなんや」

「今すぐ行って……、繋がったとして日本時間の8時過ぎると思いますよ」

「分かった。ほんならすぐ行くわ。そやけど、どこにあるか知ってる?」

「知ってますよ。僕も東京に掛けましたから」


 PCOの場所と申し込み方法を教えて貰ろて僕は直ぐにホテルを出た。結構近くにあって、ホテルの前の通りを10分程歩いたら着いた。


 入り口にはライフルを持った警備員が立ってる。中に入り、受付で日本に電話をしたいと申し出ると、用紙を渡された。そこに美穂の家の住所と電話番号を書いて渡すと、椅子に座って待ってるように言われた。


 椅子には5人のパキスタン人が座ってる。そのうちの1人は女性や。上から下まで黒ずくめで、顔も黒いドゥバッタで覆って見えへんかった。電話をするときは外すんやろか等と考えながら僕も椅子に腰掛けた。

 壁には料金表らしきものがある。ウルドゥー語で書いたるけど、世界地図と数字から凡そのことは判った。日本へは3分で120ルピーらしい。


 僕は国際電話を掛けるんが初めてやったからドキドキしてた。待ってる間、なるべく3分で終わらす為に何を話そうか考えてたけど、それ以前にどうやって繋がるんか心配してた。オペレーターと英語で喋るんかなとか、いろいろ聞かれたらちゃんと答えられるやろかと心配事ばかり頭に浮かんできて、話す内容を考える余裕はなかった。


 30分くらい待ったやろか、受付のおっちゃんが僕を見て何か言うてるんに気が付いた。


「僕ですか?」

「そうだ。2番の電話で話しなさい」


 そう言われて、僕は壁にずらりと並んでる電話の「2番」電話の前に立ち、徐ろに受話器をあげた。



 つづく

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