ペシャワール
153帖 ガス補充屋と靴磨き屋
『今は昔、広く
6月27日木曜日。
朝になっても山中くんの容態は回復してなかった。お腹痛と微熱があるらしい。苦痛の表情を浮かべ横になってる山中くんの傍に後輩の南郷くんが寄り添い、背中を擦ってた。ここまで献身的に看病してる南郷くんと、看病される先輩の山中くんの二人の姿は、ちょっと只ならぬ関係かも知れんと疑ったりしてしもた。
それはともかく痛がってる山中くんには、日本から持ってきた奈良県は大峰山で売ってる胃腸薬を差し上げた。
「ありがとうございます。後は僕が看てますので、北野さん達はどうぞ外出して下さいね」
「大丈夫かな。何か買うてこか?」
「ああ、いいっすよ。僕が買いに行きますから」
と言う南郷くんに山中くんを任せ、お言葉に甘えて僕と多賀先輩はホテルを出た。
昨晩、山中くんや南郷くんからいろんな話を聞いてたし、「ペシャワールの街はどんなんやろう」と楽しみにしてた。
「こんな時に何ですけど、あの二人って先輩後輩ってだけやのうて、それ以上の何か深い関係がありそうやと思いません?」
「そうかぁ、お前はそういう風に見てたんか」
「えっ」
「あれこそ後輩が先輩を思いやる姿やんけ」
「ええっ! あんなんして欲しいですか」
「うーん……」
「寄り添って一緒に寝て欲しいですか? ウフっ!」
「あほ、それは要らんわ」
「僕もようしませんわ」
そんなアホな事を言いながら僕らはホテルから近くの昨日見かけたバザールに寄ってみた。
果物屋の交差点から左右に商店が連なってる。買いもん客は皆、むさ苦しいおっちゃんやったけどそれを掻き分けてバザールの通りを歩いた。野菜や果物を売ってる店が多いけど、肉屋に雑貨屋、金物屋、絨毯屋、チャイ屋、レストラン、惣菜屋、香辛料屋、ナン屋、靴屋、服屋など、生活に必要なもんは全て手に入りそう。バイクや自転車の修理屋もあったし、路上歯医者もあった。これは歯医者と言うより、歯を抜いてくれる職人さんって感じかな。
その横には木箱の上にライター用のガスボンベだけ置いてる10歳ぐらいの少年の店もあった。何の店やろと思て聞いてみる。
「ここは何を売ってるんや?」
「ライターのガスを入れてます」
「こんな使い捨てのライターでもできるんか」
「ええ、できますよ」
ガスの残り少ない僕の100円ライターを受け取ると器用に分解し、針金を叩いて潰したような特製の金具を当て、ガスボンベで一気に補充してくれた。
「はい、できましたよ」
「なんぼや?」
「1ルピーです」
「はい、1ルピー」
と1ルピー紙幣を渡そうとしたら、隣の靴磨き屋の少年が騒ぎ出した。
「兄ちゃん、こいつぼったくってるで。ほんまは50パイサや」
僕はボンベ屋の少年に問うた。
「ほんまは50パイサか?」
「すいません。そうです」
その少年はめっちゃ申し訳なさそうにしてた。
「分かった。今、正直に言うたさかい、50パイサはサービス料や」
と1ルピー紙幣を渡した。たった1ルピーの7円で100円ライターが再生出来るんやったら安いもんや。
「ありがとうございます」
嬉しそうに透き通った目を輝かせてた。隣の少年は「折角教えてやったのになんや」みたいに不貞腐れた顔をしてる。
「それからな、これからも外国人に商売する時は1ルピーにしとき」
「なぜですか?」
「外国人は金持ってるからや」
「分かりました。でも、あなたは次から50パイサです。また無くなったら来て下さい」
「よっしゃ、また来るわ」
立ち去ろうとしたら、隣の少年が、
「兄ちゃん、うちの店でもやっていってや」
と言い寄ってきた。
靴磨きかぁ。
専用のワックス持ってきてるし、自分で出来るしなぁと思てたら、
「北野、やったれや。それでこいつの稼ぎが増えるやろ」
と多賀先輩が口を挟んできた。
「そやけど、ワックス持ってきてるんですけど」
「まぁ、面白そうやし、いっぺんやってみいや」
暫く手入れをしてへんかったから皮が乾燥して防水効果も落ちてきてる。多賀先輩もそない言うてるしええかなと思た。
「しゃぁないな。靴磨きはなんぼや?」
「ほんまは2ルピーやけど、1ルピーにしたるで」
まだ小学校の4年生くらいの少年が、学校も行かんと働いてるのに半額にして貰うのは申し訳なく思た。
それに、「こいつの家は貧乏で、もっと小さな弟や妹が居て、お腹すかしてるんや」と勝手に想像してしもて、
「やっぱり2ルピーでええで」
と言うた。
「ほんまに! ほしたら、とびっきりキレイにするわ」
と言うと、僕を小さな木の椅子に座らせて靴磨きが始まった。木の道具箱からブラシやクリームのチューブや布を出して準備をしてる。こんな事をして貰うのも始めてやったし、なんかめっちゃリッチな気分やった。たった2ルピーの14円でね。
靴紐を外し、砂や泥をブラシで落とし、クリームを付けて布で丁寧に僕の革製軽登山靴を磨き出した。この仕事は結構長いことやってるんやろう、手慣れた動作は無駄がなかった。10分程経って僕の靴は光沢を取り戻した。最後に紐を元通りに通して完成。
「おお、綺麗になったわー。ありがとうなぁ」
「へへー」
少年は得意そうやった。それと何処かに自分の仕事に誇りを持ってる様に見える。
その表情を見てると、こんな小さな子どもでも生活の為に一生懸命働いてるのに、僕は仕事もせんと何してるんやという自己嫌悪に陥りそうやった。それから逃れるために、もう一度この二人の少年にお礼を言うてその場を去った。
「子どもが働いてるのに、僕らは何してるんでしょうね」
「はは。何を言うかと思えば……」
「仕事もせんとぶらついてるんですよ、僕ら」
「そやかて、働いて金稼いだからここへ来られるんや」
「ですね」
「ほんで俺らがここへ来たから、アイツらも稼げたんとちゃう」
「なるほど、そうですよね」
「そういうこっちゃ」
「それでええんっすよね」
「ええんちゃう」
また落ち込んでしまいそうなところを多賀先輩に救って貰ろたわ。
多賀先輩、おおきにです。
つづく
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