カリマバード(フンザ)→ギルキット

146帖 屋台のチャイ屋

『今は昔、広く異国ことくにのことを知らぬ男、異国の地を旅す』



Rawalpindiラワールピンディになんかあるんですか?」


 なんでそんなに急いで行きたいんやろう。


「いやそういうわけや無いねんけどな、パキスタンをグルっと周ってみたなったんや」


「いいすよ。僕はもっとここに居てみたいけど、また戻って来たらええし」

「ほんなら明日、出発でええか」

「明日っすね」


 無口なおっちゃんが料理を運んできてくれた。もちろん朝と同じ野菜カレー。辛さで汗が吹き出る中、やっぱりヒィーヒィー言いながら食べる。


 そのとき急に電気が消えた。雨が降ると停電すると身体に染み付いてた僕は、予めヘッドライトを持ってきてた。それを付けテーブルに置いて残りを食べる。

 暫くすると、無口なおっちゃんがローソクを持ってきてくれた。ローソクの明かりでの二人っきりの食事は静かやった。


 部屋に戻ってきた僕らは、月明りも無い真っ暗の中では何もすることがないし、ベッドに潜り込んで寝ることにする。


 僕は寝ながらラワールピンディ行きの事を考えてた。

 もう少しフンザに居て、他の村や氷河の見物をしてみたい。お土産屋も行ってみたい。お土産屋にいったらここでの産業や、もしかしたらここでの人々の暮らしぶりなんかも垣間見えるかも知れん。それにあの学校も見てみたい。いろいろ見て感じてみたい事がたくさんある。

 そやけど、ここで多賀先輩と別れるのも辛いし、どうしたもんかいなーと思案してたらいつの間にか寝てしもてた。



 6月22日、土曜日。

 目が覚めると、多賀先輩は荷物のパッキングをしてた。昨日の夜、僕は結論を出す前に寝てしもた。寝ぼけた頭で多賀先輩と行くか、それとも一人で残るか考えた。


 いずれ多賀先輩と別れる事になる。今別れてしもたらこれから先、多賀先輩と共に貴重な経験をすることは出来へん。一人になったらまたここへ戻ってきたらええ。


 そう考えて僕は多賀先輩と共に行動する事を選択した。僕も急いで荷物をパッキングし、リュックを背負って部屋を出た。


 雨は上がってたけど空は曇ってて、辺り一面から白い霧が立ち上ってた。

 本館の食堂に行き、朝食を頼む。今日のカレーはダル(豆)カレー。少しずつこの辛さにも慣れてきたけど、やっぱり後半はヒィーヒィー言うて食べてた。

 食べ終わる頃にオーナーのじいさんが食堂に入ってきた。


「もう行ってしまうのか」

「はい、一旦ラワールピンディに行って、パキスタンを周遊します」

「そうか、それはいい」

「また必ず戻ってきますよ。僕はHunzaフンザをしっかりと楽しんでないんで、また来ますよ」

「そうか、それでは楽しみに待ってるよ」


 食べ終わってリュックを背負い、食堂を出た。オーナーのじいさんは外まで見送りに来てくれた。ハグと握手をして再会を誓い、僕らは坂道を下り始めた。

 ガニッシュからの直登ルートは昨日の雨で泥々。リュックの重量もあってほぼ滑りながらの下りやった。


 ガニッシュのバス停の前には既に数人の人集りがあり、僕らはその列の一番後ろに並んだ。10分待っても20分待ってもバスは来うへん。

 それで列の前のおっちゃんに、


「バスはいつ来るんですか?」


 と聞いてみたが答えは、


「分からない」


 だった。


「時刻表ぐらい置いとけよなー」

「そやかてスストを出るバス次第でしょう。ガニッシュ発のバスがあったらええけど」

「どうする」

「どうする言うてもどうにもならんですやん。待つしかありませんで」

「そやなー。ほんならはっさんの店に行ってくるわ」

「はい、順番とっときます」


 多賀先輩はすぐ隣のはっさんの店に行って、パックのジュースとチョコレートを買うてきた。交代で僕もはっさんの店に行く。


「アッサームアライクン」

「おお、アッサームアライクン。もういってしまうのか」

「はい、でもまた戻ってきますよ」

「そうか、それはいいことだ。またカリマバードまで送ってやるよ」

「おおきにです」


 僕もパックのジュースとチョコレート、それにはっさんがフンザの名物やと言うてた乾燥杏をを買うて、バス停に戻った。

 それから暫くして1台のワゴン車がやってくる。グルミット始発とあって、中は誰も乗ってなかった。順番に乗り込んでいくけど、僕らの2人前の人で満員になってしもた。前に居たおっちゃんは、


「アンラッキー」


 と僕に向って言うと、苦笑いをしてた。

 それからは待てど暮らせど1台もバスはやって来うへん。多賀先輩は立ったままガイドブックを読んでる。


「ちょっとウロウロしてきますわ」


 と言い残し、バス停付近の商店街を散策する。売ってるもんはスストの商店街とさほど変わりないけど、在庫は豊富やった。

 ウロウロしてたら、スストの方からワゴン車のバスがやって来た。僕は慌ててバス停に戻り、リュックを背負う。

 バスから丁度3人の欧米人バックパッカーが降りてきたんで、代わりに僕らが乗り込む。ここで待ち始めてから2時間は経ってた。


Gilgitギルギットまでなんぼ?」

「50ルピーだ」

「ええ、50ルピー!!!」

「ちがう、15ルピーだ」

「OK」


 あーびっくりした。「fifty」と「fifteen」の聞き間違えね。よくあること。


 バスは物凄いスピードで走り出したけど、これが普通なんやと誰一人不安な顔をしてる人は居んかった。大きな水溜りではウォータースライダーの様に水しぶきを巻き上げて進んでいく。

 小さな吊り橋や小さな村を越えて、1時間程でGhulmetグルメットのオアシス村に着いた。ここまで来ると雲は消え、暑い太陽の光が差してきた。ここで乗客が一人降り、ついでにお茶休憩になった。

 絨毯を引いて西に向ってお祈りをしてる人は肌の黒い南部のパキスタン人や。北部パキスタンのおっちゃん達は、屋台のチャイ屋でチャイを飲んでる。同じイスラム教徒でもちょっと違うみたい。

 僕らもチャイ屋の列に並んだ。


「なんぼですか?」

「1ルピーだ」


 僕は1ルピーを出すと、真鍮製の大きなタンクの下の蛇口からチャイを2杯入れてくれた。


「1杯でいいよ」

「いや、2杯で1ルピーだから」

「分かった、ありがとう」


 僕は多賀先輩に1杯上げた。めっちゃ熱くて飲めへんかったし、冷めるのを待ちながら僕はチャイ屋の作業を興味深く眺めてた。


 50リットルは入りそうな真鍮製のタンクの下には携帯コンロがあった。


「これは何で燃えるんや」

「それはケロセンだ」

「ガソリンか?」

「いやガソリンではない。ケロセンだ」


 ケロセンってなんやと思たけど、燃料タンクにポンピングをしてるとこを見ると、どうやら灯油っぽい。

 ポンピングが終わると、上の蓋を開け、大量の紅茶の葉を入れる。そこへ今度は大量の黒砂糖を入れる。どれも目分量や。そして銀色の容器から、これまた大量の羊乳を入れる。そして、下のコンロのコックを捻り、火をつけた。

 暫くすると、グツグツと沸騰してる音が聞こえてきた。また蓋を開け、木の棒でかき混ぜてる。これで完成みたいや。


「もう1杯飲むか? サービスだ」

「ありがとう。でももうすぐバスが出るから」

「お前はどうだ」

「いや、俺もいいわ。俺はキャットタングやし」

「なんですのや、それ」

「猫の舌や」

「キャット、猫。タング、舌。ああ……。そんなん通じますか?」

「判らん」


 そんな事を話してたらバスの運転手が出発の合図を出してた。バスに戻ろうとして、僕らはハッとした。


「多賀先輩、Rakaposhiラカボシですやん」

「おおー、めっちゃ綺麗やな」


 眼の前にラカポシの山が見える。チャイ屋に気を取られて今まで気付かんかったわ。


 カリマバードでは頂上直下までしか見えてへんかったけど、ここは麓からの様子が良う分かる。ラカポシからの氷河も少し見えた。白い山肌は壮観な眺めで、直ぐ様写真を撮り、ほんでバスに乗り込んだ。


 バスが発車するとさっきのチャイ屋のおっちゃんが僕の方を見て手を振ってくれてた。



 つづく

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る