142帖 日本人による日本人の為の情報ネットワーク

『今は昔、広く異国ことくにのことを知らぬ男、異国の地を旅す』



 午後6時の夕食タイムに食堂へ集まったんは日本人4人と欧米系の2人の6人だけやった。

 僕ら日本人は同じテーブルに着いて自己紹介を始める。カリマバード(フンザ)に来て3日目の横山くんと雨森くんは東京の大学の3回生で、1年間休学して世界中を旅してるとのこと。インドからパキスタンに来て、明日から中国に向けて旅立つらしい。


「それにしても、休学してこのコースを巡る人はめっちゃ多いですね」

「そうですね。僕らもそういう人とインドで何人か会いましたよ。えーと、雨森。何と言う人だった」

「真野さん、坂本さん、やったかな」

「ええー、知ってるで。その人らとカシュガルで会うたわ」

「まじですか。偶然ですね。ああでも、僕らも同じ人と何回もホテルが一緒だったことがありましたね」

「へー、そんなんあるんや」

「ええ。大学を休学して旅をしてる人も多いですけど、北野さんみたいに卒業してから旅をしてる人も結構居ましたよ」

「あーははは。やっぱいるんや」

「それに一旦就職して、会社を辞めてインドに来てた人はそれこそ沢山居ますよ」

「はは、俺の事やんけ」

「へー、多賀さんは仕事辞めて来てるんですか」

「そーや」


 自慢気な態度で返事をしてる多賀先輩を見て、みんなで笑ろてしもた。

 久し振りの日本人との会話に盛り上がってたら、奥の厨房からおっちゃんがメニューの紙を持ってやって来た。


 メニューには、これも日本人旅行者が書いたもんなんやろか、日本語と英語で表記されてた。そのメニューは至ってシンプルで、「カレー(ライス・ナン)サラダ付」、「フライドポテト」、「フライドチキン」、「チャイ」「ラッシー」の5点しか書いてない。

 それを見て雨森くんは、


「おじさん、今日のカレーは何ですか?」


 と聞いた。みんなの視線はおっちゃんに集まる。おっちゃんは一瞬ビクっとして一言、


「ミート」


 と言うだけやった。

 もしかしてこのおっちゃん、「ホテルマン」やのに人見知り?


「ミートってことは、羊肉ですね。日によって変わりますが、カレーのメニューは一種類です」

「ああ、そういう事なんや。ほんなら、北野はどうする?」

「ええーとそうですねー。うーん、ほんなら僕はミートで。多賀先輩は?」

「俺はなー、うーん……。悩むけど俺はやっぱりミートやな。あっ、お前。真似すんなや」

「すんません、どうしても肉食いたいんで。って、一種類しかありまへんやん」


 別になんでもない僕と多賀先輩の会話やったけど、横山くんと雨森くんには結構受けてた。


「二人の会話って、なんだか漫才みたいですよね」

「そうかなぁ、普通に喋ってるだけやねんけどなぁ」

「って言うか、関西弁自体がもう漫才として成立してますよ」

「そうか、そんなにおもろいか。それやったらホンマに漫才しよか。なぁ北野」

「ハイ、こんばんわー。北野でーす」

「多賀でーっす」

「って、ネタ考えてませんやか」

「もうええわ」

「ありがとございました」


 ほんまにネタを考えてへんかったし、ちょっとノリでやってみた。そやけど、たったこれだけの会話で二人には大ウケしてしもたわ。


 そんな僕らの隣でおっちゃんは、クスっともせずに僕らの注文を待ってる。当たり前か。ほんで申し訳なくなってさっさと注文をした。

 僕はミートカレーとライスとフライドポテトを注文し、多賀先輩も「同じもんを」と注文してた。もちろん横山くんと雨森くんも同じもんを注文する。おじさんはそれをいちいちメモ帳に記入して、黙って厨房に入って行った。


「結局、みんな同じもんやな」

「まぁ、それしかないですからね」

「メニューの意味ないですね」

「もうちょっと捻れよ、お前らー」

「ええ?」

「アホやなかなー。そこはボケるとこやんけー」

「ボケるとこって……、どうやってボケるのですか?」

「例えば『ステーキと舌平目のムニエル』とか……」


 多賀先輩、それは……。


 ちょっと冷たい空気が流れてしもた。

 空気を変える為に、各々がこれまでの旅の経験や情報を話し合うた。それは盛り上がったし、多賀先輩も何事も無かった様に会話に加わってた。やっぱり「日野ばばぁ」の伝説も出て来た。結構有名な話なんや。


「僕らは先週、カシュガルで遭うたで」

「ええっ。本当ですか」

「うん」

「どの様な人やったんですか」


 それだけでなんか脚光を浴びてしもた。


「いや、ちょっとお節介な人やけど、普通やったで」

「そうなんですか。会うと身ぐるみ剥がされるとか……」

「なんか話が大きなっとるがな。面倒見は良さそうやけど、体調崩して寝てた人も引っ張り出されとったけどなぁ」

「それは恐ろしいなぁ。大丈夫かな、これから中国へ行くのに」

「もう10日前の話やし、大丈夫やろ」

「ならいいんですけどねぇ」


 ビールでもあったらもっと盛り上がったろうに、ここはイスラム教の国「パキスタン」。仕方ないし酔ったフリをして話してた。


 料理が出てくると、話は真剣に旅の情報交換になった。


「知ってますか。ホテルにはノートが置いてあって、そこにいろいろな生の情報が旅行者によって書かれてたりするんですよ」

「ほほう」


 横山くんは立ち上がり、本棚からさっき見ようと思てた青い大学ノートを持ってくる。


「ほら。このホテルやったら、これですよ」

「あっ、何のノートかと思たらそういう事やったんやね」

「思い出を書くんとちゃうのか」

「ええ。これを見て下さい。これなんか結構詳しく書いてあるでしょう。このフンザの地図なんかも正確に書かれてて、役に立ちますよ」


 僕と多賀先輩は開いてくれたページを覗き込んだ。手書きの地図に情報が書き込まれてうる。それに、何人もの人が加筆したんやろう、いろんな色のペンで訂正もされてる。


「へー、こんなんあったらめっちゃ便利やん。北野、後で写しといてや」

「はい。なるほど。これやったらフンザの街の様子がよう分かりますね」


 やっぱりこのホテルの上に「ショップ」って書いてある。


 他のページもめくってみると、フンザ周辺の村々の地図や注意事項、ホテルの値段やそこへ行くまでの所要時間やバスの料金なんかも書かれてる。トレッキングのコースまで事細かに書かれてた。


「これはええですやん。あとで写しときますわ」

「おお、頼むわ。そやけど、これって殆ど日本語やん」


 確かに、固有名詞はアルファベットで書かれてるけど、説明は全て日本語になってる。


「ええ。こんなのを書いているのは日本人だけだと思いますよ。たまに英文も書いてありますが、ただのメッセージですね」

「へー、そうなんや。俺は旅の思い出とかを書くもんやと思てたわ」

「日本人だけじゃないですか、情報交換に使ってるのは。英文で書いてあるのは綺麗な景色だとか食事は美味かったとか、愛してるとか……」

「なるほどなー」

「他の街のホテルに行ってもこんなんあるんけ?」

「ええ、僕らが行ったホテルは大抵はありましたね。殆ど日本人が定宿にしてるホテルでしたから」

「まぁ何処へ行っても日本人が泊まってましたからね」

「結構日本人、来てるんやね」

「ええ。逆に日本人に会わなかった日は殆ど無いですよ。昨日ぐらいかなぁ」

「こういうノートはガイドブックより詳しいので新しい街に行ったなら、まずホテルに入ってノートを探します。そして情報を見てから行動してましたね」

「そうやろなー。ガイドブックにはこんな詳しい地図は載ってへんし、ノートにはご丁寧に相場まで載ってるやん」


 ページをめくるたびに僕は感心してしもた。


「こんな風に情報を共有して快適に旅をしてるんやね」

「そうそう。ガイドブックみたいに作ってた人もいましたよ」

「なんやそれ」

「えーっと、ガイドブックの『異国の歩き方』って、イラン編はないでしょ」

「そうなんや。本屋に行っても売ってへんなぁーと思てたわ」

「だからそれを作った人が居るんですよ、手書きで。僕もいつかは行きたいから、そのノートを借りてコピーした物を持ってます」

「へー、そんなノートどこにあるんや」

「ペシャワールの『カイバル・イン』ってホテルにそのコピーのコピーがありましたよ。僕はそれを更にコピーしたので、少しボケてますけどね」

「そんなんよー見つけたなぁ」

「いえね。ラワルピンディーのホテルのノートで、そのコピーの事をたまたま見つけたんです。そのペシャワールのホテルにそれ・・があるって」

「なんやロールプレイングゲームみたいやな」

「面白いでしょう。だから見つけた時は感動しましたよ」

「なんかすごいなぁ。日本人の情報ネットワークやん」

「そうですね。大抵は日本語で書かれてるからね。でも英語で書いてある場合もありますが、大抵はガセですね」

「ふーん、日本語以外はあんまり信用ならんってことやな」

「全部が全部、そうじゃ無いと思いますが。なっ、横山」

「ふん? ああ、そうそう。英語の情報しか無くて、それを頼りにアフガニスタンの近くの国境の村に行こうとして、警察に捕まりましよ。特別な許可を持ってないと入れなかったんですよ、なぁ。その場で5ドル払ったら入れると書いてあったのにね」

「そんなことあったんや」

「まぁ、何れにせよ旅行者の情報ですから時々ウソも書いてますよ。日本語だからと全部は信用したらダメですよ」

「分かりました。貴重な情報、おおきにです」

「あっ、さっきの『コピー』の話は本当ですから、信用して下さい」

「えっ、ああ。なるほど」


 僕らは四人で笑ろた。


 窓の外はすっかり暗くなってた。

 食べ終わって話も一段落したとこでこの二人とお別れの挨拶をし、僕らは部屋に戻ろうとしてたら、食堂の入り口から白髪で白髭の老人が入ってきた。


 誰や、このじいさん?


 じいさんは目を細め、真っ直ぐ僕らの方に向かって近寄ってきた。



 つづく

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