140帖 四駆の兄ちゃん
「あなた達は
「そやけど」
「OK。カリマバードは、とても遠いです。ああ、とてもとても高いところにあります」
まじか。車酔いがまだ収まらへん僕は、歩いて登る自信が無くなってしもた。
「だから、僕の車に乗りませんか」
「ええ?」
「ちょっと待ってて下さい」
その兄ちゃんは、また店の奥に入っていく。
「どうします?」
僕はちょっと期待してたけど、多賀先輩はそうやないみたい。
「金、ぼったくられるんとちゃうか」
「ですよね。そやけど、なんぼやろ?」
「どうする。断るけぇ。俺は歩いて登ってもええで」
「うーん……。値段次第で考えません?」
そんな事を話してたら、店の横の路地から若竹色に塗られたジープの様な四駆(4輪駆動車)が飛び出してきた。もちろん運転してるのはさっきの兄ちゃん。
ジープに似てるけどホンマモンやない。右ハンドルやねんけど、パキスタンに来てからよく見掛ける日本車でもなさそう。中古車に見えへん綺麗な若竹色の塗装もオリジナルっぽいし、メーカーや車名などのエンブレムも取り外してある。
「なかなか凝ってるなぁ」
と思て、車を見て周った。内装はシンプルで運転装置以外は何もついてない。ツーシートで後ろは荷台になってる。
「これはあなたと同じ、日本製だ」
兄ちゃんはエンジンを止め、車から降りてきた。どう見ても日本車ぽいけど、日本でこんな車は見たこと無い。どこのメーカーかなぁと車を眺めてたら、
「いい車でしょう。これはね……」
と兄ちゃんが自慢しながら車の説明を始めた。僕は二輪の免許しか持ってないけど、車に乗るなら四駆と決めてたし興味津々で兄ちゃんの説明を聞いた。そんな僕の態度に気を良くした兄ちゃんは、わざわざボンネットを開けてエンジンルームを見せてくれる。
「エンジンのレストアは完璧だ。だからどんな坂でも登れるぞ」
綺麗に磨き上げられたエンジンには「MITUBISHI」という文字があった。こんな車あったんやと思いながら、
「へー、ええ車やなあ」
と褒める。すると兄ちゃんは更に気を良くしてエンジンを掛けてくれた。エンジンは一定のリズムで激しく振動して、調子は良さそう。
「僕は日本でロードレース(バイクのレース)をやってたから、良いエンジンか見たら分かる」
と、半分適当に言うたら兄ちゃんは大層びっくりしてた。
「それはいい。あなたは凄い!」
とちょっと尊敬の眼差しを受けた。
それならと、エンジンについても事細かに説明してくれた。細部までしっかりとレストアされてて、兄ちゃんはホンマに車が好きなんやというんが良う分かった。
そやけどこの車。レストアの費用も含めてめっちゃ高かったやろと思う。こんな山奥の小さな店で商売して買える代物ではないと、僕でも容易に想像できた。
「これ高かったんとちゃうの?」
「はい、とても高かったです。だから私、イランへ働きにいってました。2年間も」
「そうなんや。それは大変やったなぁ」
「ほんとは日本に行きたかったんですが、お金が無くて仕方なくイランへ行きました」
「そうかぁ」
「でも、この車が欲しくて頑張りましたよ。そうそう、そのイランで働いてた会社は、日本の企業ですよ」
「へー、何ていう会社」
「ムーンスターカンパニーです」
ふん? そんな会社、日本にあったかな。やっぱりちょっと胡散臭いな、この兄ちゃん。
「さー、乗って下さい。カリマバードへ行きましょう」
僕は多賀先輩の顔を見ると、「値段交渉してみぃ」という顔をしてた。
「なんぼですか」
「おお! それは心配ない。サービスです」
そのサービスが恐いんや。降りたとたんに高い料金を吹っ掛けるに違いないと思た。
「いえいえ、お金は払いますよ。なんぼですか」
「いいえ、私とあなた達は友達です。お金は要りません」
友達? そう言う奴に限って怪しいやん。
「どうします。タダや言うてますけど」
「ほんならええやん。世話になろや」
「そやけど、怪しないですか」
「大丈夫やろ」
そんな事を言うて上海で痛い目に会うてるやんと思たけど、多賀先輩は荷物を車に積み、兄ちゃんと親しげに話し始めた。
ほんまに大丈夫かいな。
そう思いながら僕も荷物を積み込んだ。それにこんな車で送迎の仕事はできへん。趣味で乗ってる車やろし、「まー大丈夫か」と思うようにした。
多賀先輩が助手席に座り、僕が荷台に乗ると車は動き出した。
ええとこ見せよと思てんのか、えらいスピードで走り出した。しかも、登山道とは違う方向へ。
「ええ! あっちと違うんか」
「ああ、あそこは車は通れません。少し遠回りですが、向こうからカリマバードに行けます」
それがちょっと不安やった。知らんとこに連れて行かれたらどうしようと心配してたけど、途中から丘の方へ右に曲がり、未舗装の狭い道路をゆっくり登り始めた。そこからの運転は慎重になった。
登り始めると兄ちゃんは身の上を話し始める。彫りが深く眼つきが鋭いイケメンの兄ちゃんは25歳で、名前を「ハッサーン」と言うてた。僕らは日本風に「はっさん」と呼ぶことにした。
僕らも自己紹介をすると、多賀先輩は「タガさん」、僕は「キタノさん」と呼ばれた。なんで日本風の呼び方を知ってるのかと聞いてみたら、イランの日本企業では上司の日本人をそう呼んでたからやと言うてた。
そう言われると、さっきまで「怪しい」と疑ってた気持ちがちょっと薄らいできた。
因みにはっさんは、「北部パキスタン」の人が被ってるあの羊毛の帽子を被ってないんで、なんで被ってないんか聞いてみた。
「帽子は持ってるが、車に乗る時は被らない。風で飛んでいくからだ」
オープンカーやし、飛んでいくわなと納得してると、
「それに私は外国での生活が長いから、新しいスタイルとして被らないようにしてる」
と付け加えた。そう言えば、他のパキスタン青年と比べると明るくオープンな感じで垢抜けてる様にも思えた。
それにこんな格好ええ車も持ってるし、女の子にも人気があるやろなと思てたら、多賀先輩が聞きだした。
「彼女は居るんか?」
「ええ、居ますよ。たくさん居ます」
おお! 一夫多妻制か?
「結婚はしてんのか?」
「彼女は居るけど、結婚はまだです」
こんな車道楽してたら家族は養えんぞと思たわ。
「ほんなら、一人紹介してや」
と多賀先輩は冗談ぽく言うてた。
するとはっさんも、
「すいません。それは無理です。全ての女性は私の彼女です」
と冗談ぽく返して、二人は声を上げて笑ろてた。
そう言えば、お年頃の二十歳前後の女性を見たことないな。小さい女の子かおばさん、ばあさんは見るけど、若い子はどこにいるんやろ。いっぺん会うてみたいもんや。
車はカラコルムハイウェイから離れ、ゆったりとした坂道を砂煙を上げながらどんどん高度を増してった。しっかり掴まってんと跳ね上がって落ちそうなぐらい、道はでこぼこや。
「あなた達はどこのホテルに泊るんですか」
ホテルは、トルファンに居た古沢さんやカシュガルで会うた日本人がみんな泊ったと言うてる「
「フンザホテルです」
「OK。そこまで行きます」
はっさんは、長い坂を登りきると左に曲がり、一軒の白い塗り壁の古い建物の前で車を止めた。クラクションを鳴らすと、中から「北部パキスタン」の人とは顔付きも肌の色も違う物静かでちょっと怖そうなおっちゃんが出てくる。
はっさんはおっちゃんと二言三言話すと僕らの方を見てきた。
「ホテルは空いてるそうです。一泊10ルピーですよ」
「おおきに。値段交渉までしてくれて」
「いやぁ、気にしないでください」
僕らは車から降りてリュックを背負う。はっさんはホテルのおっちゃんから金を渡されてた。なるほど、客をホテルに紹介したことになってるんやな。それならタダでも分かるは。
僕は心の中で「疑ってすんませんでした」と呟いてた。
「そしたら、また用事があったら声を掛けてください。それと、店に買い物に来てくださいね」
「分かりした。おおきにでした」
「それでは、また」
車を返すと、坂を下り始める。クラクションを短く鳴らすと、右に曲がって消えて行った。
ホテルのおっちゃんは、残された僕らに無言のままホテルに入れとジェスチャーで促してきた。それが何とも不気味やったし、少し不安になってきた。
つづく
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