134帖 日本産業界の威信
『今は昔、広く
コンコンコン!
ドアのノック音で目が覚めた。
「はい」
「ミスターキタノ」
受付のおっちゃん? 受付から、掃除から、レストランの調理に給仕まで、全ての仕事をやってくれてるおっちゃん。ボスは別に居るみたいやけどまだ会うたことは無いから、間違いなく受付のおっちゃんや。
「はい、僕です」
「あなたの友人が来てます。ロビーまでお越しください」
うん、友人?
「分りました」
と返事はしたけど、パキスタンに友人は居らんで。
誰やろうと不思議に思いながら靴を履き、ウインドブレーカを羽織って僕はロビーに向かう。昨晩は飯を食わんかったのに何度もトイレに行ってた多賀先輩は、まだシュラフの中で休養中や。
6月17日、月曜日の午前10時前。
ロビーが近づくにつれてドキドキしてきた。
「おお、アッサームアライクン」
なんや、草雁兄上やんか。可愛い女の子でも来てくれたらとちょっと期待してたけど、絶対に有りえへんわな。
まぁ「なんや」とは失礼やったけど、「友人」と言えるんはパキスタンにはこの人ぐらいやな。
「アッサームアライクン」
挨拶は、朝も昼も夜もこれ1つでいけるから便利や。
「ええーと、またビデオデッキの調子が悪いので、レストランに来て貰えないか」
「ああ、いいですよ」
「申し訳ない」
「気にせんとって。えーと、直ぐに行きますから」
「では、お願いします」
僕は一旦部屋に戻り、多賀先輩に朝飯を食べに行ってくると伝えた。もちろん多賀先輩は食べへて言うてる。
「俺は24時間ラマダンするねん」
「ああ、絶食するちゅう事ですね」
「そうや。そしたらなんとか治るやろ」
「わかりました。ほんなら頑張って下さいね」
そんな冗談を言えるんやったら大丈夫やろと思て、僕は一人で草雁父上のレストランに向かった。
暗いホテルから出ると太陽は眩しかった。今日は、昨日と打って変わって見事なまでの快晴や。道路にはまだ水溜まりがあり、脇には相変わらずトラックが停まってる。商店街では昨日よりたくさんの人が買い物をしてた。
「どうぞ、どうぞ。こっちへ来てください」
草雁父上は僕の姿を見ると救世主でも来たかのように喜んでた。
「どうしたんですか?」
「今朝、ビデオを付けたら昨日の様に動かなかったんだ。それであなたが直した様に息子とやってみたんだが、それでも動かないんだ」
テーブルの上には、カバーが外された中身が丸見えのビデオデッキが工具と共に置かれてた。
「分かりました。チェックしてみます」
どうせ昨日と同じやろと思たんやけど、今朝はちょっと様子が違う。同じようにやってみても、中に残ったビデオテープは動かんかった。
うーーーーーん。
落ち着け! よう観察するんや。何処かに原因があるはずや。
父上と兄さんは不安そうに僕を見てた。
パキスタンの物価から考えると、このビデオデッキはめっちゃ高価なんやと思う。日本製やし余計に高いと思う。それでも信頼性を考えて、毎日コツコツと商売して貯めた金を持って街まで行き、無理して高い日本製ビデオデッキを買うて来たんやろ。まぁこれは僕の勝手な想像やけどね。
そうなると「日本製品の信頼は僕の腕に掛かってくる」と、これまた勝手に日本産業界の威信を背負い込んだ僕は、更に念入りに調べてみると、異常を見つけることができた。
あれ? プーリー(滑車)が2つ遊んでる!
本来なら太い輪ゴムの様なやつで繋がれ、回転力(動力)を伝達するはずのプーリーが丁度ペアで余ってる。向きからするとこの2つは繋がれてへんとあかんはずや。
試しに、モーターから遠い方のプーリーを手で回してみると、ビデオテープが微かに動いた。
やったぜ、僕!
「OK。原因はわかりました」
「おお。それで直りますかね」
「うん。えーっと、輪ゴムはありますか」
「輪ゴム?」
「そう、こんな丸い形をしたゴムか何かがあるとうまくいけそうなんです」
草雁兄さんは店の奥から、輪ゴムを見つけてきてくれた。
「これはどうですか」
「ああ、いいですね。でもちょっと細いなぁ。あと2つありますか」
「ちょっと待って下さい」
兄さんは店を飛び出した。暫くすると手に新しい輪ゴムをたくさん握りしめ、ズボンをドボドボにして戻ってきた。水溜りにハマったな。
「これでいいですか」
「おお、ナイスです」
兄さんは息を切らしながら笑みを浮かべてた。
その輪ゴムを受け取り、3本まとめてプーリーに引っ掛ける。そん時見つけたんやけど、基盤の隙間に切れた黒いゴムが挟まってた。それを取り出して父上にみせると、
「おお、何てことだ」
と天を仰いでた。
ほんでギアを手でゆっくり回してみると、2つのプーリーはうまいこと連動して動きだし、無事にビデオテープを取り出すことができた。思わず3人で歓声を上げてしもた。
「後は、僕がやります」
と兄さんがカバーを取り付け、TVに接続してくれる。
僕は父上に手前のテーブルに座るように促され、座って待ってるとチャイを持って来てくれた。
「ありがとう。これは感謝の気持ちだ。それから朝食も食べて行ってくれ」
と言われた。
チャイを飲んでるとええ匂いがしてくる。ほんで暫くすると、バター付きのナンに葡萄のジャム、それから鶏肉入りの野菜スープを運んで来てくれた。スープはコンソメみたいな風味で、めっちゃ美味しかった。学生の頃、京都は北山通りの地中海料理レストランで食べた味に似てる。
デートで一緒に行った美穂の事を思い出してしもたわ。今頃何してるんやろ……。
まぁ、この時間帯は仕事してるか。
そんな事を一人で考えながらニヤニヤしてたら、セッティングを終えた兄さんは電源を付け、ビデオテープをデッキに入れた。すると自動的にローディングされ、TVにちゃんと映像が映った。
「これで日本産業界の威信は保たれた」
と、僕はホッとしてた。
僕も兄さんも父上もみんな笑顔で喜んでたら、父上が改まって話しかけてくる。
「スストにはいつまで居るんだ?」
「まだ分からんけど、明日も居ると思います。多分、明後日も……かな」
「そうか。良かったらいつでも食べに来てくれ。お礼に、スストに居る間の食事は無料で提供させて貰うよ」
なんとまぁ、有り難い提案や。ほんまにええ人らや。嬉して涙が出そうやったけど、ちょこっと直しただけやし、僕はその提案を丁重にお断りした。
それでは納得できへんと「せめて半額にさせてくれ」と言うてきたんで、その方が僕も気兼ねなく来れるし「そうして下さい」と言うと、父上は両手で熱い握手をしてきた。兄さんも僕の方を見て、合掌してお辞儀をしてた。
ああ、また忘れてしもてたわ。
僕も慌てて合掌とお辞儀をした。
つづく
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