123帖 フンジュラーブ峠

『今は昔、広く異国ことくにのことを知らぬ男、異国の地を旅す』



 6月14日金曜日。

 交通旅社ジャオトンリュジェァ(簡易宿泊施設)の売店で朝飯にナンとヨーグルトを買い、外に出る。

 外は朝靄に包まれ、まるで北アルプス(飛騨山脈)の山小屋から出てきた様で気分は爽快やった。ただ気温が12度と低く、ウインドブレーカ無しやったら寒かったと思う。多賀先輩と駐車場のベンチで朝飯を食べてると、6、7千メートル級の山々の谷間にある塔什ターシェンクー库尔干ルェァーガアン(タシュクルガン)の街にも朝日が差してきた。

 今日も快晴で、日差しは暖かい。


 バスの出発時間である8時までの30分、僕らは街をぶらついた。差して何かある訳でもないが、河まで行ってみることに。

 1,2分歩くと街から外れ、塔什库尔干河に出た。水の色は今まで見てきた河の様な黄土色ではなく、青灰色をしてた。砥石で研いだ時に出るような水が大量に流れてる。流石に雪解け水や、触るとめっちゃ冷たい。

 ふと仰ぎ見ると、すぐ近くに雪を被った巨大な山頂ピークが見える。


「おお! あれ、ムスターグ・アタですやん」

「ほんまや、めっちゃ近いやん」

「たぶん実際は結構な距離があると思いますけど」

「そやかて、カシュガルで見た時よりめっちゃでかいで」

「そんだけ山奥に来たちゅうことですね」

「そう言うことやな。ほしたら、パキルタンはもうすぐやろか?」

「あと130キロって看板はありましたけど」

「ほなもうちょっとやな」

「ですね。高速でぶっ飛ばしたら1時間半ってとこですか」

「ちゅうことはやで、この道が『カラコルムハイウェイ』ってことか?」

「ハイウェイと言う割には、普通の道ですやんね」

「高速道路っちゅう意味と違ごて、標高の高いとこを走ってるからハイウェイとちゃうけ?」

「さぁ……」


 そんなことはどうでもええし、取り敢えず急いで戻ろ。そろそろ出発時間や。


 バスに戻ってくると運転手の汉族ハンズー(漢族)のおっちゃんは、「急げ!」みたいな身振りをしてた。

 荷物を持ってバスに乗ると、昨日より人はめっちゃ減ってる。欧米人の家族4人と、祖国へ帰るパキスタン人が3人、そして僕ら日本人が2人だけやった。

 がら空きのバスは、予定時刻前に塔什库尔干を出た。暫くは緩やかな登りで、バスは快調に走る。


 早くパキスタンに入りたい!


 そういうワクワクした気持ちが、このペースなら昼にはパキスタンに着きそうやと楽観的予測を促した。


 大昔に氷河が削ったU字谷の底を走ってる時は良かった。そやけど、2時間ほど進むと谷の幅が狭くなり、高い山々が両端に迫ってくると、道路の傾斜はきつくなってバスの速度は一気に落ちた。一番前に座ってた僕は、スピードメーターを覗いてた。60キロで走ってたバスのスピードは、瞬く間に30キロまで落ちた。

 河から離れ、つづら折りに山の斜面を登り始めると速度は更に落ちる。

 高度が上がり酸素も薄なってきたんやろ、エンジンが唸ってるほどバスは進まんかった。スピードメーターは20キロを下回ってた。

 楽観的予測は、絶望に変わった。


 暫く行くと、急に左の小さな建物の前で停まった。イミグレーションや。書類を書いて提出すると、特に荷物検査も無く簡単に終わった。僕らと欧米系の家族は出国手続きを済ませて直ぐにバスに戻れたけど、パキスタン人はバスの上の荷物を下ろし、中国で購入したもんを一つひとつチェックされてた。それでも15分ほどで終わり、無事出国できた。

 バスはまたゆっくりゆっくりと坂道を登る。ちょっと辛気臭くなってしもた。


 ゆっくりと坂を登るバスもええとこもある。僕はバス酔いが酷いんで、高速で右や左へ曲がると直ぐに酔ってしまう。それに中国とパキスタンの国境の峠は5千メートル以上の標高やし、これぐらいゆっくりやったら高度順応もできるかなと思う。それとなんと言うても、周りの景色をゆっくり眺めながら行けるのは良かった。


 脇の谷には氷河が残したモレーンが観測できる。資料集でしか見たことなかったこの地形を、まさかこの目で実際に見れるとは思っても見んかった。より狭い谷はこのモレーンが扇状地の様にきれいな扇形を作ってた。

 そやけどそれを見て楽しかったんは30分だけやった。それから変わらん灰色の風景が2時間ほど続いたんは苦痛でしかなかった。


 お昼を少し過ぎた頃、前方の視界が少し開け空が見えてきた。


 そろそろ峠か?


 道は少し平坦になり、峠が近いことを匂わせてた。ただ空気が薄いのでバスの速度は上がらへん。

 谷間の南側の陰にはまだ雪が残ってる。窓を開けると、朝の塔什库尔干より空気は冷たかった。


 傾斜が緩やかになってくるとともに、この先の道路は下ってる様に見えた。いよいよ峠は近い。その峠の名前は「フンジュラーブ峠」。物によると「クンジュラブ峠」とも表記されてるこの峠は、舗装道路では世界最高所の峠らしい。

 僕は1ドル札を出して、


「峠で、10分間ほど留まってくれへんか」


 と運転手に頼む。「OK、OK」と言うてくれたんでチップの1ドルを渡すと、その1ドル札を胸ポケットに入れて喜んでくれた。


 バスは、国境の手前10メートル位のとこで停車する。

 僕ら日本人と、欧米人の家族は喜んでバスを降りた。


 初めて見た国境。島国では絶対に見られへんもんが今目の前にある。

 映画などで見る国境は踏切みたいなゲートやコンクリートの壁や鉄条網で仕切られてるけど、中パの国境は道路の左右に1メートル程の高さのコンクリートの碑があるだけやった。東の碑には「中华人民共和国」と書かれ、西の碑には「Pakistan」と書いてあるだけ。ゲートなどの仕切りも国境線もない。

 いや、あった。誰かが足で土の上に書いた線が東西の碑を結んでた。


 まぁ、これが一応国境線かぁ。初めて越えるなぁ。


 そう思いながら僕は多賀先輩を呼び、「いち、にの、さん」で二人で同時に飛び越した。記念すべきパキスタン第一歩や。

 それで西の方を覗いてみたんやけど、見えるんは高い山ばっかり。これが「カラコルム山脈」っちゅやつですな。まぁこの峠自体も谷間にあるさかいあんまり見えへんけど、それでも山屋の心を擽る山容をしていらっしゃいましたわ。

 その後、東西の碑の前で記念撮影をし、最後の思い出にと中国の方を眺めてた。いろんな出会いがあったし、思い出もいっぱいできた。そんな感傷に浸ってると、すぐ横の小さな雪渓で欧米人の兄妹が雪で遊びだした。


「どっから来たんや」


 と英語で聞いたけど、通じへんみたい。すると後ろからパパさんの声がした。


「私たちはオーストリアから来ました」


 この家族は、オーストリアから中国へ来て、パキスタン、そしてインドへ行くらしい。家族で長旅してるんやと思うと優雅でええなぁと思てしもた。日本人の家族連れなんかは絶対に居らんやろな。

 20分ぐらい経った頃に、バスのクラクションが鳴った。そろそろ出発か。

 最後に感謝の気持ちを込めて中国の方に向かって一礼をした。


 僕は走ってバスまで戻ろうとしたけど、僅か5メートル程で息が切れて歩いてしもた。そうやった、ここは標高5千メートル。息も切れるはずや。


 それでも急いでバスまで戻ると、ハァーハァー言うてたわ。


 ドアが閉まり、バスはゆっくり動き出す。

 国境を越え、僕らは2ヶ国目のパキスタンに入った。



 つづく

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