【中国】→【パキスタン】
喀什噶爾→ススト
122帖 幻像
『今は昔、広く
パキスタン行きのバスには僕ら日本人が2人、欧米人の家族が4人、パキスタン人が3人、
「私、ヤポン。あなたは?」
前の座席のおじさんにに聞いてみた。
「おお、ヤポン。
と言うて握手をしてくれた。
窓から外の街並みを見てると、やっぱりパリーサの顔が浮かんできた。あの屈託の無い笑顔が頭に浮かび、パリーサの温もりと感触が蘇ってくると胸が苦しくなってきた。今頃パリーサはどうしてるんやろうと物思いに耽ってたら涙が滲んできた。
バスは市街地を出て橋を渡り、暫く行くとオアシスを抜けた。荒涼とした砂漠の中をひたすら真っ直ぐ走る。全開の窓からは、熱いけど乾いた風が吹き込んでた。
そして少し広い道路に合流すると、エンジン音を轟かせゆっくりと坂道を登り始める。左側の車窓からは、どんどん遠ざかって行くカシュガルの街並みが見えた。パリーサとの思い出が詰まったカシュガルの街を、僕は小さくなるまで眺めてた。
小さなオアシスを幾つか越え、バスは川沿いの少し大きなオアシスのドライブインに停まる。ドライブインと言うても小さな食堂の建物が一軒あるだけ。ここで昼食休憩らしい。
僕と多賀先輩はラグメンを注文してテーブルに着く。久々に多賀先輩と二人だけの食事に、なんか物足りなさを感じてた。
傍にパリーサの姿が無かったからや。いつも隣にパリーサが居ったのに、今隣の席は空いてる。「さー食べようか」とパリーサが突然座ってきて、「おいしいね」と笑顔で食べだすのを期待してた。
そやけどいくら待っててもそれは無かった。
「北野、早よ食べや」
と、多賀先輩僕は言うけど、虚無感にかられた僕は食欲が無かった。
「多賀先輩は、林さんと……」
僕は、林さんと別れて寂しくないんかと聞きたかったけど、多賀先輩もそうに決まってるやろし、聞くの躊躇った。
「うん、なんや?」
あっけらかんとして聞き直してきたけど、その表情の裏側にある気持ちは僕も痛いほど分かってるつもりやった。
「いや、なんでも無いです」
多賀先輩はそれ以上なんも聞かず黙々とラグメンを食べてた。
僕も頑張って口に入れると、めっちゃ辛い刺激が口の中に広がてきた。辛くて涙が出てきたけど、どんどん口の中に肉と野菜と麺を放り込んだ。どんどん涙が出てきて、そのうち鼻水まで出てきた。たぶん顔はくしゃくしゃやったろうし、涙を多賀先輩に見られて恥ずかしかったけど、どうしても止まらんかった。
「めっちゃ辛いなー」
と言うては誤魔化してたけど、バレバレやと思たし、思いっきり涙を袖で拭いた。なんべん拭いても止まらんかった。
食べ終わって汗と涙と鼻水を拭き、多賀先輩を見ると、
「お前、また来年来るんやろ? 楽しみやんけ」
と少し笑いながら声を掛けてくれた。
「俺もまた来よかなぁー」
と言いながら席を立った多賀先輩もやっぱり少し辛そうやった。
バスが動き出してからは僕らは一言も喋らんかったし、満腹感とバスの揺れが心地よく、僕は直ぐに寝てしもた。
暫くして寒さで目を覚ました。かなり高度が上がったんやろう、窓の外には白い
僕はハッとした。
もしかして、これが
霧を通り抜ける逆光が幻想的な雰囲気を作り出してた。僕はまた窓を開けカメラを出してファインダーを覗いた。その中には白く動くものがあった。
白馬や!
まるで謀った様にこのシチュエーションにぴったりの白い馬の親子が湖畔に佇んでた。そして、その横に黄色いワンピースに赤いスカーフを被った少女が立ってる。パリーサに似た格好や!
僕は何回もシャッターを切った。そやけど標準の50ミリレンズでは小さ過ぎて、少女の顔やその表情は良うわからんらん。
絶対にあり得へんけど、その少女はなんとなくパリーサの様な、若しくはパリーサに似てるような気がして、僕は慌てて200ミリの望遠レンズに交換する。めっちゃ焦って一度取り付けを失敗してしもた。
望遠レンズを付けて改めてファインダーを覗く。そやけど、そこには白馬が草を食んでるだけで、少女の姿はなかった。望遠レンズで辺りを探したけど、白馬しか居らんかった。
確かに黄色い服の少女はいた。今は無理やけど、日本に帰ってフィルムを現像したら判る。もう一回、肉眼でも見てみたけど、やっぱり白馬しか見えんかった。その内に白馬や湖までもが霧の中に隠れてしもた。
こっちを向いて微笑んでた様に見えた。
あれは幻やったんやろか。それとも寝ぼけてたんか。
今頃パリーサは
そう思いながら霧の湖を見てると、霧の上に青空が広がりだし、雪に覆われた山々が見えてきた。
僕は寝てる多賀先輩を起こし、窓から見える山々の、その中でも一段と高く美しい山を指差した。
「あれ、コングール山とちゃいますか」
「うん? おおー。そうやな。めっちゃええなー」
多賀先輩は少し前のめりになり興奮してる様子やった。
「ここからやったらすぐに登れそうやな」
無理、無理。
僕は心の中でそう言いながら、再び谷間に入るまでその山容を眺めてた。
それからもバスはゆっくりと走り、高度をどんどん上げていった。「海拔三〇〇〇米」の標識を過ぎ、辺りがすっかり暗くなる。
大きな尾根を回ると、遠くに街の明かりが見えてきた。
こんなとこにも街がある。「
バスは左に折れ、小さな
明日の出発時間を確認し、僕らはバスを降りた。
外は涼しいを通り越して寒かった。6月中旬やけど、標高三千メートルを越えてるんやからかなり冷え込んでる。僕らは急いでその小さい交通旅社に入った。
宿泊料は3元。広い大部屋は裸電球でオレンジ色に照らし出されてる。大勢のパキスタン人がベッドで横たわってた。ベッドの上の赤い毛布が微かに黒ずんでた。まぁ3元やし、しゃーないか。
部屋には、もうすぐ夏やのにストーブに火が入ってた。そのせいで部屋の空気はムッとしてたけど、外みたいに寒いよりはましや。
僕らは旅社の売店で、ウイグルで言うところのチョチュレ(スープの中に羊肉が入ったワンタン)とマンタ(羊肉が入ったまんじゅう)を買うて食べ、早々にベッドに潜り込んだ。毛布は硬く冷たかった。
昨日までの、柔らかく優しい温もりはもう無かった。
つづく
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