121帖 明日への約束
『今は昔、広く
ホテルの外は、日差しは眩しかったけど、ひんやりとした空気に包まれて穏やかやった。空から降ってた砂は止んで、今日は空は雲ひとつ無い快晴。
パリーサは、昨日降った砂を掃いてる
途中、パリーサの朝御飯に
「あの時は楽しかったね。本当に素晴らしい毎日だったわ。シィェンタイ、ありがとうね」
ほんまに不思議な子やと思た。そんなパリーサが居らん様になると思うと、やっぱり心が詰まって何も言えんかった。僕こそ、感謝の気持ちでいっぱいやった。
瓶を返して、また二人で歩き始める。もうすぐバスターミナルや。近づくにつれ、僕はパリーサの身に不安を憶えてた。
それは、カシュガルに来るまでは僕らと一緒に行動してたから良かったけど、帰りは一人やし、何事もなく無事帰れるかと言う不安やった。その事をパリーサに伝えると、一瞬顔色が曇ったけど直ぐに明るく、
「大丈夫よ。私はあなたのものだもの」
と言うてきた。そう言うてくれるんは嬉しかったけど、それは僕を安心させるためのパリーサの優しさやと思うと、現実問題としてどうしようか悩んでしもた。運転手に金を渡しとこか……。
2泊3日のウイグル少女の一人旅。食事は、宿泊は、誘惑されたり襲われたらどうしよう……。頭の中に不安要素が次々と浮かんできた。
僕の不安は解決の糸口さえ見つからへんままバスターミナルに着いた。ターミナルはいつもの如く大勢の人の喧騒で満ちてる。
そのバスに近寄ると、パリーサはバスの前に立ってたウイグルの夫婦の元へ声を上げて走り出した。その夫婦は驚いた様な顔をしたけど、パリーサの姿を見付けると親しげに声を掛けてた。パリーサの知り合いかな?
暫く話した後、パリーサはその夫婦に僕を紹介してくれた。それを聞いたおばさんは僕を見て驚き、そして愛でる様にパリーサを抱擁した。ウイグル語で話してるし、何やろと思てたらパリーサが説明してくれた。
この夫婦はパリーサの友達のお父さんとお母さんで、もちろんトルファンの近所に住んでるから一緒に連れて帰ってくれるらしい。
「だからシィェンタイ、安心してね」
「そうか、よかったな。ラッキーやな」
これでパリーサは無事に帰れる。おばさんは僕に、
「任せときなさい。ちゃんと送り届けるわよ」
みたいな事を言われた。そやし僕は日本語やったけど、
「宜しくお願いします」
と深々と頭を下げてパリーサを託すと、おばさんも同じ様にお辞儀をしてくれた。
その夫婦とパリーサは一緒にバスに乗り込む。席を確保したパリーサはバスから降りてきてくれた。
僕らはバスの後部に行き、ディーゼルの排気ガスが辛かったけど、お互いを見つめて立ってた。
見つめるだけで何も言葉が出てこんかったけど、別れが辛いという気持ちは無かった。
パリーサも笑顔やった。
カシュガルでの一週間が、ずっと一緒やった日々の思い出が頭の中で蘇る。辛い事も嬉しい事も甘えた事も、そして何気ない日々の生活の全てが楽しかった。今思うとパリーサが付いてきてくれた事で僕は救われたんやと、パリーサへの感謝の気持ちで一杯やった。
パリーサも何か言いたげやったけど、ニコニコと微笑むだけやった。お互いに見つめて何となく笑ろてた。
「そや、これ。僕はもう要らんし、パリーサ使こてや」
とポケットの
「いいの?」
「ええねん。もうパキスタンに行くさかい、要らんやろう」
「それじゃねぇ……。これは持ってて。また
札束の中から100元札を1枚、僕に返してきた。
「そやな。またトルファンに行く時に使うわ」
「うん。私も大切に取って置くわ。来年まで!」
「そうや。また来年や!」
再会を約束し、また笑顔で見つめ合う。希望に溢れるええ雰囲気やったけど、運転助手の兄ちゃんの一言でその時は終わった。
「出発するから」
パリーサをバスの乗り口へ連れていく。
「そしたら……、めっちゃありがとう。パリーサ」
「ありがとう、シィェンタイ」
「必ず……、来年」
「ええ、待ってるわ」
そう言うとパリーサはバスに乗り込み、振り向いて笑顔で手を振ってくれた。
僕も手を振り返す。
『待ってるわ』
それがパリーサの最後の言葉やった。
ドアが「バタン」と閉まり、全てを断ち切るかの様に僕の心にズシンと響いた。身体から血の気が引く様な感覚に襲われ足が震えた。それを補うかの様に心臓が激しく鼓動する。
ギアがローに入る低い音が響き、エンジン音が高まる。僕の気持ちも高ぶった。
そしてバスはゆっくりと動き出す。僕はバスに付いてターミナルの出口まで走った。
ターミナルを出てバスが右に曲がる時、窓からパリーサの顔が見えた。さっきまでの笑顔は消え、涙でくしゃくしゃになった顔をガラス窓に押し付け、泣きながら僕を見つめてた。
そんな顔やったけど僕には素敵に思えた。涙で濡れた青い瞳。それを絶対に忘れん様にと、砂と黒煙を巻き上げ真っ直ぐな道を速度を増して走り去るバスを僕はずっと見てた。たぶん僕の顔も涙が流れ、くしゃくしゃやったと思う。
そしてついに、バスはパリーサを載せて陽炎の中に消えていった。
つづく
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