119帖 お別れ会

『今は昔、広く異国ことくにのことを知らぬ男、異国の地を旅す』



 ドアのノック音で、僕らは現実に引き戻された。


「北野ぉー。居るかぁ?」


 多賀先輩の声が聞こえる。帰ってきたんや。


「ドゥォフゥァさ……」

「しーっ」


 なんでか僕はパリーサの声を制止してしもた。僕は急いで服を着て廊下に出てみたけど、もう多賀先輩の姿は無かった。そのまま6階のドミトリーへ行くと、多賀先輩は荷物の整理をしながら、日本人の大学生風の旅行者と話してた。


「おかえりなさい」

「おお、北野。おったんかい」

「すいません、寝てました」

「そうか、あの湖に行ってしもたんかと思てたわ」

「いやー、この砂嵐やし中止ですわ」

「そうか、それやったらええねんけど。俺もバスが来んかったからなぁ、なかなか帰って来れんかったんや」


 そう話す多賀先輩は、普段から黒いのに更に日焼けをして赤黒かった。髪の毛には大量の砂が付いて「きな粉パン」みたいになってる。どうやって帰ってきたんやろ? ほんまに不思議な人や。


「取り敢えずシャワー、浴びるわ」

「分かりました。そしたら……、また6時前に来ますね。山屋の長岡さんが是非一緒に飯を食べたいそうです」

「ああー、広島の人やな」

「そうです。明日出発やし、今晩は『お別れ会』やそうですわ」

「分かった。そしたら君らもどうや」


 と、多賀先輩はさっき話してた日本人の二人を誘そてる。二人は顔を見合わせて相談した結果、僕らと一緒に行くことに決めた。


「ほんなら後で呼びに来てくれるか」

「了解です」


 僕は急いでパリーサの元へ戻る。まだ4時半やし、もう少し二人の時間を過ごせそうや。

 そやけど部屋に戻ってくると、その希望は消え去った。パリーサはきっちり身なりを整え、外出の準備を終えてソファーに座ってた。


「あれま! もう着替えたんかいな」

「そうよ」

「そやけど、まだ1時間以上あるで」

「あら、そうなの。だって、シィェンタイが急に出ていったから、私も急いで準備をしたのよ」

「そっか、ごめん」


 僕は取り敢えずパリーサの横に座るものの、手持ち無沙汰で外を眺めるしかなかった。相変わらず砂は降ってるけど、空が少し明るくなってきてる。所々に薄く青い部分が見えてる。


 振り返って隣のパリーサを見ると、微笑みなが僕を見てた。すっかりウイグルの服装をして隙きがない。それでもその愛らしい姿を頭に焼き付けるように眺めた。お互いに一言も喋らずただ見つめ合い、それだけでなんとなく充実してた。


 ふと、思い出したように「そうや! パリーサの事を書いとこ」と、僕はウエストバッグからメモ帳を取り出し、暫く書いてへんかった旅の記録を書き始めた。カシュガルに着いてからは、パリーサ中心の記述になる。それをパリーサが覗き込んできた。


「これは、何ていう意味?」


 と何度も書いた「パリーサ」の文字を指差してきた。


「これは日本語で『パリーサ』って書いたるねん」

「そうなの。これが……私」

「そやで。これで『パリーサ』って読むねん」

「へー、なんだか可愛い形ね」


 と言うとパリーサは僕のペンを取り、カタカナで「パリーサ」と写し、その上にウイグルの文字で綴ってくれた。


「これは難しいな」

「そんなことないよ」

「そうや」


 僕はメモ帳の最後のページを切り取り、僕の住所を書いてパリーサに渡した。


京都ジンドウ……。これは何?」

「これはな、僕の日本の住所や」

「そうなのね。どんなところなの」

「まぁ、中国で言うたら西安シーアンみたいなとこかな」

「へー、西安ねー」

「そうそう」

「だけど私、西安がどんなところか知らないわ」


 そう言うとパリーサは笑いだし、つられて僕も笑う。よう考えたら昔の都って事だけで、僕も西安がどんなとこか知らんかったわ。

 笑いながらパリーサも自分の住所をメモ帳に書いてくれた。


「来年、また行くからな。そうやパリーサに手紙出すわ」

「手紙ね。うん、私も送るわね」


 手紙って何語で書いたらええんやろ? 大学に行ったら中国人の留学生も居るし翻訳して貰らおかなと考えてたら、ドアをノックする音が聞こえた。


「北野ぉー」


 ドアを開けると、多賀先輩と日本人旅行者の二人が立ってる。


「ちょっと早いけど、行けるか。お腹空いてきたんや」

「ああ、いいっすよ」


 僕とパリーサはそのまま部屋を出た。多賀先輩とパリーサは久し振りに会うたみたいに燥いでた。それを他の二人は目を丸くして不思議そうに見てたんが僕には面白かった。


「あの子は地元の人ですよね」

「そうやで」

「どうして一緒に泊まってるんですか!?」

「ははは、まぁいろいろあってやなぁ……」


 砂が降る利民饭店リーミンファンディェン(利民飯店)への道すがらその経緯を話すと、「そんな事ってあるんですね」とちょっと憧れの眼差しで見られて僕はええ気分やった。


「それと話は変わるけど、いろんなとこに日本人が泊まってるやろ。もし会うたらいろいろ話して情報交換するとええで」


 と旅の先輩風を吹かしてた。


「なるほど。でも僕たちが日本人に会ったのは、ここが初めてなんです」


 な、なんと。

 よう聞いてみると、二人は北京ベイジン乌鲁木齐ウールームーチー(ウルムチ)と飛行機を乗り継いで、いきなり喀什噶爾カーシェーガーェァー(カシュガル)に来たて言うてる。そやから、これからいろんなとこを巡りながら西安まで戻り、ほんで飛行機で日本へ帰るらしい。なんともリッチな旅やな。

 パリーサは多賀先輩に林さんとの事を熱心に聞いてる。


 そうやって歩いてると、向こうから赤い傘を差して歩いてくる長岡さんと出くわした。


「えらい早いですやん」

「暇じゃったけぇのー」

「ほんなら入りましょかぁ」


 6人で店に入る。

 名目は「お別れ会」やったけど、初めて会うた人が3人居るし、乾杯の後、宴会は各々の自己紹介から始まった。


 大学生の矢島くんと今宿くんは、東京の大学の3回生で、前期だけ休学してアジア旅行をしてるらしい。


「旅行してますって言っても1ヶ国目で、まだ日本を出て3日なのですが……」


 と今宿くんは恥ずかしそうに言うてた。矢島くんはパリーサが注文してくれた料理を見て嬉しそうやった。


「僕たち、こんな料理は初めてです。美味しそうですねー」

「ほんなら今まで3日間、何食べてたんや」

「えーっと、肉まんとかパンみたいなやつだけです」

「あかんなぁー。もっと地元に入り込んでいかんとなぁ。それが旅の醍醐味やで」


 と多賀先輩が旅の持論を展開する。


「そうなんでね。なんだか大変そうですね」

「そんな事無いで。それがええんや。俺なんか阿图什アェトゥシェン(アルトゥシュ)でバイトをしてたんやで」

「ええ! それはすごいっすねー」

「多賀先輩、バイトや言うても2日だけですやん」

「あほ、それを言うなやー」


 みんなで笑ろた。

 ほんならって二人は旅の話を聞いてきたんで、僕は今までに得た情報やこれから二人が経験するであろう困難と解決方法を丁寧に説明した。

 と言うても僕らの旅もまだ一ヶ月も経ってへんさかい、今まで出会った古沢さん、上野さん、唐崎さんたちから聞いた話しを「伝え聞いた事なんやけどな」と前置きをして彼らに話した。

 矢島くんにはどの話も新鮮みたいで驚いてる。今宿くんは「なるほど。役に立つなぁ」という感じで頷いてた。

 多賀先輩と長岡さんは、早速山の話で盛り上がってる。


 旅の話しが一段落すると、矢島くんはパリーサに興味を持ち、英語で話しかけてた。ちょっとイケメンで英語も上手い矢島くんに僕は少し嫉妬してしもた。パリーサが取られてしまわへんか心配やったけど、パリーサの相手をしてくれてるしまぁええかと思い、僕はバイク乗りの今宿くんとバイクの話しで盛り上がった。

 僕はバイクで日本中を旅したし、今宿くんも結構いろんなとこを周ってる様やったから、お互いの日本でのツーリング話しに夢中になった。まさか中国の端っこで、酒を呑みながら大好きなバイクツーリングの話で盛り上がれるとは思ってもみんかったんで、僕はめっちゃ嬉しかった。

 こんな風にみんなで話をしながら晩餐を楽しんだ。


 料理がほぼほぼ無くなってきたところでパリーサが僕に目配せをしてくる。時計を見ると8時半を過ぎてた。

 そろそろホテルに戻りたいんやな。

 僕もパリーサとの最後の夜をゆっくり過ごしたいと思てたし、みんなには明日のパリーサのバスが早いからと言うて中座させて貰うことにした。

 多賀先輩には「明日払うんで、会計を頼みます」とお願いし、長岡さんには「来年の四姑娘山スーグーニャンシャン登山、よろしくお願いします」と伝え、今宿くんと矢島くんには親指を立てて「グッドラック!」とだけ言うて店を出る。パリーサもみんなとの別れを惜しんで日本語で挨拶をしてた。



 店の外は大分涼しくなり、暗くて見えへんかったけどまだ微かに砂が降ってる。そやけど空には星が輝いて、酒に酔ってた僕は気持ちが良かった。今晩は放射冷却で冷えそうやなと思いながら、パリーサの温もりを楽しみにホテルに向かった。



 つづく

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