109帖 白い翼のある美しい乙女

『今は昔、広く異国ことくにのことを知らぬ男、異国の地を旅す』



 啤酒ピージゥ飲んだし、お腹もいっぱい。山の話も出来たしでええ気分で部屋に戻ってきた。なんと言うてもパリーサが元気になってくれたんが一番や。これも林さんや、みんなのお陰。


「シィェンタイ、先にシャワー入ってね」

「おう」


 シャワーを浴びてさっぱりすると、窓を開けて夜風に当たる。気分は最高。今日の昼に落ち込んでたんが嘘みたいや。

 でもパリーサと一緒に居れるのもカシュガルを出るのもあと3日。どうやって過ごそうかと思うと、これからが大事やと気合を入れる。


 僕はソファーに座り、地図を見ながらどないしよかと考えたけど、なかなかええ案が浮かんでこうへん。遺跡やお墓はもう一つ行ったし、パリーサは興味はないやろう。映画館もあるみたいやけど面白い映画やってんのやろか。僕としてはもう一回職人街を歩いてみたいなぁと思てる。物を作ってるとこを見てみたいけど、パリーサはそういうもんに興味や関心はあるんやろか?


 僕は地図を持ったままベッドに横たわって、もう少し範囲を広げてみた。別の街へ行くってのも面白いな。ここから行くとしたら……和田フェァティェン(ホータン)ぐらいしか無いなぁ。

 げっ、500キロ以上あるやん。これでは戻って来れへんな。ボツ!


 後はどこやろ……、と探してたらパリーサがシャワールームから出てきで、洗濯したもんを干してくれてる。「ありがとう」と言うたけど、僕は夢中になって地図とにらめっこしてた。

 カシュガルからパキスタンに延びてる道の途中に喀拉库勒湖カーラークーラフー(カラクリ湖)と言う大きな湖があった。


 観光地になってるみたいやし、ムスターグ・アタやコングールに挟まれた高原の湖やったら、なんかええ雰囲気やん。


 そう思て僕はパリーサに聞いてみる。


「パリーサ、喀拉库勒湖って知ってるか?」

「うーん、なんとなく聞いた事があるわ。雪の山があって、たくさん水があるって事ぐらいしか知らないわ」


 なるほど、間違いではないわな。そやけどあんまり興味無さそう。距離は200キロぐらいかな。バスがあったらギリギリ日帰りできそう。なんやったらみんなを誘てタクシーを1日貸し切ってもええかなって考えながら、こっちに寄ってきたパリーサに地図を見せようと起き上がった。


「シィェンターイ」


 と言う声とともにパリーサは僕を目掛けてベッドに飛び込んできた。


 ビリビリッ!


 タイミングが悪いちゅうかなんちゅうか、パリーサの頭で地図が破れてしもた。


「わー!」


 僕に乗りかかったままパリーサは、


「ごめんなさい」


 と間が悪そうな顔をして謝ってきた。


「もうー、びっくりしたなぁ」

「ごめんね。破れちゃったね」

「まぁ、これはテープで貼ったらええけど、パリーサは怪我ないか」

「うん大丈夫。ごめんなさい」

「もうええよ。なおすし」


 僕はリュックから透明テープを出して地図を貼り合わせた。多少ずれてるけど問題ない。ショボンとしてベッドに座ってるパリーサが逆に可愛らしく見えた。


「気にせんでええで。はい、笑顔!」

「ごめんなさい」


 まだ謝ってくるパリーサに僕は中国語で言い返した。


没关系メイグァンシー(構いません)」


 するとパリーサはクスっとしてくれた。


「もうええから、僕の話しを聞いてや」


 そう言いながら布団に入ると、


「うん。分かった。なに?」


 パリーサも布団に潜ってきた。


「多賀先輩とか林さんとか、さっき会うた長岡さんを誘って喀拉库勒湖に行かへんか」

「そうね」


 やっぱりあんまり乗り気や無いんかな。


「パリーサは、行きたくない」

「そうじゃないわ。私は何処だっていいのよ、シィェンタイと一緒なら」

「ほんまに?」

「ええ、本当よ。だって私……」


 そこまで言うと、パリーサは今朝みたいにまた僕の肩に顔を載せて腕を回してきた。可愛いやっちゃと思い、僕も腕をパリーサの背中に回し柔らかい肌を感じながら擦った。


「だって、私は……」

「分かってるって」


 パリーサは僕の胸の中でクスクス笑ろてた。


「何が分かってるのよ。言ってみて」


 ちょっと恥ずかしかった僕は敢えて中国語で言う。


我爱你ヲォアイニィ

「私もよ、我非常ウォフィーチャン爱你アイニィ


 僕はパリーサをぐっと引き寄せた。嬉しかったけど、ふと今日の事を思い出してしもた。またパリーサを泣かしてしもたなぁと。

 理由はどうであれ、お別れまでパリーサを楽しませようと思てたのに、それまでに悲しませてしもたことに自分の不甲斐なさを悔いてた。


 パリーサは僕が感じてる以上に繊細なんやと思た。出会った頃は、ちょっとオマセで出しゃばりでお節介な、ともすれば鬱陶しい子やと思てたけど、ホンマは優しくて気い使いで、ものすごく壊れやすい心の持ち主やったんやと思た。そんなパリーサに僕は申し訳ない気持ちで一杯になった。


「ごめんな」

「どうしたの」

「今日、パリーサを悲しませてしもたから」

「いいのよ」

「でも、お別れまでパリーサを楽しませると決めてたのに……」

「大丈夫。毎日が楽しいわ」

「ほうか?」

「もしシィェンタイに出会わなかあったら、こんな楽しい日々は無かったわ。吐鲁番トゥールーファン(トルファン)での毎日も楽しいけど、今はもっと楽しい。しあわせなのよ」

「それやったらええねんけど」

「ねー」

「なんや」

「私をもっともっと楽しくして」

「どうしたらええんや」

「そんなの決まってるじゃない」

「えっ!」


 何を言うてくるか正直ドキドキした。


「シィェンタイが楽しかったら、私も楽しいのよ」

「ああ、そうか。ありがとな」

「私も。ありがとう……シィェンタイ」

「パリーサ……」


 と言うて言葉が詰まってしもた。何が言いたかったんが分からんくらい心が締め付けられた様な気がした。


「なーに?」


 と優しく聞き返して、また僕の胸を擦り始める。なんかめっちゃええ気分になった。僕の頭の中には「パリーサ」という名前が繰り返し浮かんできてた。


「なぁ、パリーサ」

「なに?」

「その……、『パリーサ』って名前は何か意味があるんか?」

「そうね……」

「だれが付けてくれたん」

外祖父ワィズォーフー(お爺さん)よ。ウイグルの名前で、意味は……」

「意味は?」

「白い翼のある美しい乙女」

「そうなんや」


 白い翼かぁ。飛べるんや。


「そしたらパリーサは妖精フェアリーやな」

「そうね。シァォ妖精イャォジンね」

「パリーサやったら、どこでも飛んでいけると思うで」


 パリーサやったらホンマに世界中を羽ばたけると思た。


「飛んで行きたいわ。シィェンタイのところへ……、飛んでいきたい」


 そう言うとパリーサは目を瞑った。少し涙で濡れてるみたいや。

 パリーサをぐっと抱き寄せ、僕も目を瞑った。パリーサが妖精の様に羽ばたくのを想像しながら。



 つづく

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