101帖 罠から出た本音

『今は昔、広く異国ことくにのことを知らぬ男、異国の地を旅す』



 ベッドから出ていったパリーサは、お茶を入れて持ってきてくれた。なかなか気が利くやん。


 いや、ちゃう! これってお茶と違ごて、薬のやつやん。


 そやけど折角入れてくれたし一口飲んだ。けど……、やっぱ無理。パリーサは慣れてんのか平気で飲んでる。

 申し訳け無かったけど、


「ちょっと多賀先輩、見てくるわ」


 と言うて、コップをテーブルに置いて逃げた。


「すぐ戻ってきてね」

「おお、分かった」



 部屋を出て、一旦1階のロビーで煙草を吸ってから6階のドミトリーに向かう。日本人のみんなはおろか、さっき居ったパキスタン人も見当たらへん。部屋はもぬけの殻やった。一応確認したけど、多賀先輩の荷物はやっぱりそのままやった。まだ帰ってないな。



 仕方なしに部屋に戻ると、パリーサは疲れたんか目を瞑って寝てた。

 僕は部屋の灯りを常夜灯に切り替えてソファーに座る。昼間にパリーサと一緒に寝てしもたし、今は全然眠たくない。もう一遍、夜のバザールに行ってみよかなと思たけ。そやけど、今更行くもの面倒臭いし、第一パリーサを一人で置いてくことはできひん。後で何か言われるかも知れん。

 そやから、どないしよかと考えてたらパリーサの声がした。


「ねぇ、次は? 続きをやろーよー」


 やっぱり何処へもいかんとパリーサと過ごすことにする。ベッドに入ってパリーサの顔を見ると少し眠たそうな目をしてた。そやけど暗闇の中であってもパリーサの青い目はしっかりと光ってた。


「ドゥォフゥァさんは帰ってた?」

「いや、まだみたいやわ」

「きっと帰って来ないよ。今頃はリンさんと一緒にベッドの中よ」


 うーん……、パリーサはその意味を分かってて言うてるんやろかと疑問に思たけど、僕は誤魔化すしか無い。


「そろそろ寝るか?」

「いやよ。もっと日本語を教えて。いいでしょ」

「うん。ほんじゃ、次は何?」

「えーっとね……」


 と言うとニコニコしながら、ちょっとイタズラっぽい目で僕を見てくる。


「えっとー、『I love you』って何て言うの?」

「ええっ!」

「シィェンタイ、『我爱你ヲォアイニィ』よ」

「ああ、それは……」

「何て言うのよー」

「えーっと、私は……」

「わたしは」

「あなたの事を……」

「あなあたのことおー」

「愛してます、や」

「ありがとう、シィェンタイ」


 へっ! パリーサは腕を僕の背中に回し顔を胸に埋めてきた。


「シィェンタイ、『我爱你』。『I love you』。あいしてます」


 と胸の中でモゴモゴ言うてる。ちょっとまずいな。そんな事をされたら我慢できんようになるやん。


「パリーサが『我爱你』って言うたから、日本語で言うただけやで」

「でも、シィェンタイは私に『あいしてます』って言ったよー」


 やられた! やっぱりこれはパリーサの罠や。そう思たけど、それはそれで可愛いなとも思てしもた。


「それはね……」

「ねー、ねー。私達、夫婦だよね。そうだよね」


 と真剣な顔で言われた。


 夫婦……。「coupleカップル」と言う英単語を僕はずっと「夫婦」と訳してけど、パリーサはちゃう意味で使こてるんかなぁ。恋人同士くらいなんか?

 よう分からんけど、とにかく「yes」か「no」で答えんとあかんのかな。


 もし「couple」が「夫婦」ならノー。「恋人」ぐらいならイエスでもええかなと思たけど、そこはちょっと曖昧に、


「Yes, in 新疆」


 と言うみた。

 するとパリーサは何でか怒り出して、


「シィェンタイの呆子ダイズー!」


 と僕の胸を叩いてきた。何度も叩いて「呆子、呆子」と言うてる。ちょっと悲しそうな顔になってるし、やっぱまずかったかなと思た。

 もしかして弄んでると思われたかも知れん。今の僕はほんまにパリーサのとこを愛おしく思てる。それはそうなんやけど、数日後に別れてしまうということが、僕にはどうしても引っ掛ってて、ホンマの気持ちが言い辛かった。

 暫くして大人なしくなったパリーサは、呟く様に聞いてきた。


「シィェンタイ、私のことを愛してる?」


 今の気持ちを素直に答えよう。


「うん……、好きやで」

「ええ! 『すきやで』って何よ?」

「ああ、『愛してます』のKansai accentカンサイアクセント(関西弁)や」

「そうなのね。すきやで……」


 パリーサは、その言葉を噛みしめるように繰り返してた。


「パリーサは?」


 と聞き返すと、パリーサはまた身体を寄せ、腕を僕の腰に回し、胸の中に顔を埋めてモゴモゴと言うてきた。


「すき、やで」


 そう日本語で言うてたと思う。

 それに応える様に僕も腕をパリーサの背中に回し、ギュッと抱きしめた。


 パリーサの身体から力が抜けていく。

 それからも僕の胸の中で小声で喋ってる。何語で何を言うてるかは分からんかったけど、僕はずっとパリーサの背中を擦った。


 そのうちパリーサの声はなくなり、代わりに寝息が聞こえてきた。それでも僕は背中を弄る様に擦り続けた。今は目も頭も冴えて眠たくないけど、寝るまで擦り続けようと思た。

 足をパリーサの腰に掛け全身でパリーサを包む様にして僕も目を瞑った。



 つづく

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