98帖 伝説の人、到来?
『今は昔、広く
「どうや、調子は」
「うん、もう大丈夫よ。シィェンタイのお蔭で元気になったわ」
声もしっかりしてるし顔色もええ。熱も完全に下がってるみたいや。何よりパリーサに笑顔が戻ってきた。
カーテン越しに差してる陽が傾き、窓から入ってくる風も冷えてきて、もうすぐ夕暮れがやって来そうな雰囲気や。窓を閉めにベッドから出ようとしたらパリーサに掴まれた。
「どこに行くの?」
不安そうな顔になってる。
「窓を閉めるだけやで」
「ずっと傍にいて」
「すぐ戻るさかい」
熱を出してからパリーサがやたらと甘える様になってきた。確かにしんどくて何もできんさかい僕がパリーサの世話を全てやった事が影響してるかも知れん。僕も今までやったら鬱陶しいと思てたやろ。それが今はちゃんと受け止められる。1日、看病をしてたことでパリーサの全てを受け入れられる様になてきてる。それだけ僕の気持ちや感じ方が変わってきたんやと思う。
もし「旅を辞めて欲しい」と言われたら、今やったら辞められるかも知れん。そんだけパリーサと一緒に居ることが普通になってきたし、僕の心の大部分を締めてきたんやと思う。
そやけど「それだけはあかんで」と自分に言い聞かせて窓の傍に立った。
外はまだ明るいけど、通りやバザール付近の灯りも付き始めてた。人通りは昨日より増えてるみたいや。このホテルに、屋根の上に大量の荷物を積んだ大型のバスが到着した。今晩は賑やかになりそうや。
「ねえ、シィェンタイ」
パリーサが呼んでる。
僕は窓を閉めてベッドに入り、元気になってきたパリーサとまったりとした時間を過ごす。別に何か話す訳でもなく、ただ見つめ合うて微笑んでるだけやけど。
乱れた髪の毛の隙間から見えるパリーサの目は神秘的でどんどん吸い込まれてく。今朝も考えてたけど、パリーサは一体何人なんやろ。そう思たけど聞く気にもならんかったし、今の僕にはそんな事はどうでも良かった。ただパリーサの魅力に埋もれていくだけやった。それに僕は癒やされて旅の事はもう忘れそうになってる。
パリーサの吐息と柔らかさを感じて甘い時を楽しんでた。
それでも時間が経つとお腹が空いてきた。
「お腹空いてきたなぁ」
「じゃー、私を食べて!」
と冗談も言える様になってるわ。
「ははは。そうやのうて、ほんまにお腹が空いてきたんや」
「実は私もそうよ。元気になってきてからお腹がペコペコなの」
「そうか。ほんなら食べに行こか?」
「でももう少しこうしてたいわ」
「いつでもできるやん」
「それじゃ、またしてくれる」
「いいよ。あとでまたゆっくりしよ」
「わかった」
「そしたら、多賀先輩が帰って来てるか見てくるわ」
「うん。私も用意をしておくわ」
「温こうしときや」
「うん」
僕は部屋を出て、6階へ向かう。途中吹き抜けから下を見ると、さっき到着したパキスタン人やろか、シャルワール・カミーズを着たたくさんのパキスタン人で賑わってる。それに数人の欧米系や日本人っぽい旅行者が混じってた。みんな明日のバザールを目指してやってきたんやと思うと、僕の中でお祭り気分が盛り上がってくる。
6階に上がると廊下もパキスタン人とぎょうさんの荷物で混雑してて、ここだけパキスタンみたいや。荷物を避けながら歩いて行くと、みんなフレンドリーに挨拶をしてくる。
「アッサラームアレイコム」
僕も、同じ様に返す。
「アッサラーム、アレイコム」
中には初対面にも関わらず握手を求めてくる輩もおる。パキスタン人は結構テンション高そうや。
ドミトリーも人で一杯やった。若干のベッドは空いてるもの、パキスタン人は集まって何やらミーティングをしてる。あの人らはいつも話し合うてる印象しかないわ。
日本人はと言うと、寝たきりの土山くんが珍しく起きて外を見てる。多賀先輩の姿は無いし、坂本くんらも居らん。
その土山くんと目が合うてしもた。僕は多賀先輩のベッドに腰掛けた。
「こんちは。体調どうですか?」
「……」
無言のまま頷いてた。まだ、あかんのかな?
「みんな帰ってきたら一緒に御飯でもどうですか?」
土山くんもベッドに腰掛け窓の方を見ながら返事をした。
「あ……。僕は結構です」
「何か食べてはるんですか」
「はい」
「それやったらええんやけど。早く元気になってくださいね」
「はい……」
やっぱりずっと外を見てた。土山くんに何があったんか聞きたかったけど、それは絶対に聞かんとってみたいな空気を醸し出してる。できたら相談に乗って上げたいけど、それでは解決できんほど傷は深そうや。
多賀先輩は何時帰ってくるんやろと思いながらも土山くんを見てると、
「へー。割といい部屋ね」
と声がして女の人が入ってきた。おばさんにちょっと足を踏み入れた年頃で、少し太めで旅慣れた感じの服装やった。
「ここは、いくらなの?」
「6元ですわ」
「あら、安いわね。私もここにしようかしら」
と言いながら僕らの前を通り過ぎ窓まで行って外を見てる。
「へー、眺めもいいじゃん」
僕はその背中の長い髪を見て思た。この人が伝説の「日野のばばぁ」さんやないかと。とうとうやって来たんやと思うと、少し恐怖感に見舞われた。
そう言えば、土山くんも少し怯えてる様に見える。
振り返ったおばさんは土山くんを見て、
「あれ? キミ、コルカタ(インド)にも居たよねー。どうしたの? 元気ないじゃん」
と気軽に声を掛けてる。そやけど土山くんは無言で、そして完全に固まってしもた。
「で、キミはどこからきたの」
今度は僕に振ってきた。あんまり関わりたくない雰囲気やけど面白そうやったし話してみた。
「トルファンから来たとこですわ。近い内にパキスタンに行きます」
「へーそうなんだ。いいよーパキスタンは」
「そうなんですか。いやー楽しみやなぁ」
と適当に返しといた。
「関西なんだ、出身」
「はい」
「じゃーさー、後でまた来るからさー、一緒に晩御飯を食べに行かない?」
「そうですねー。もう少ししたらみんなも帰ってくると思いますよ」
「あらそうなの。大勢の方がいいわね。それじゃみんなで行きましょうね。また後でねー」
と言うと、さっと部屋を出ていった。なんか嵐みたいな人やと思た。息がつまってしもてたわ。
あれが伝説の人なんやろか? 名乗りもせんかったしこっちも名乗らんかったけど、これは早く唐崎さんらに報告せなあかんと思うと、なんかワクワクしてた。そやけどみんなは何時になったら帰ってくるんや?
ふと土山くんを見ると彼はまた寝込んでた。ほんまに何があったんやろ。可哀想に……。
暫く一人でパキスタン人の会話をボーッと見てたけど誰も帰ってこうへん。時計は7時半を過ぎてた。そろそろ夕闇が迫ってくるかな。
このままやったら「あの人」とパリーサと3人で晩飯に行くことになると思て、それはちょっと恐いし、僕はそそくさと5階の部屋に戻る。
「シィェンタイ、遅いよ。もうお腹ペコペコだよ」
パリーサはいつもの服を着て、いつのも髪型にしてベッドに座って待ってた。
「ごめんごめん。そやけど多賀先輩はまだ帰ってきてないねん」
「そうなの。うーん、もしかしたら今日は帰って来ないかもね」
「なんでや。なんでそんなん分かるんや」
「それはね……、女の感よ」
なんやそれ。あっ、そうか。林さんとこに泊まってくるってことも考えられるな。そやけど、それって有り得るやろか?
まぁええわ。
「取り敢えず、街に出よか」
「うん、行こう!」
僕はウインドブレーカを羽織って、パリーサと共に下に降りる。僕らは受付のおじさんに、今朝のお礼を言うてホテルを出た。
するといつも如く両替屋が寄ってくるけど「また明日」と言うてかわし、バザールに繋がる通りへ向かった。
もうだいぶん暗くなってきてるけど人通りも多く、何となく街全体がお祭り気分に包まれてる雰囲気がある。
僕もパリーサもワクワクしながら歩いて行った。
つづく
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