95帖 寝顔

『今は昔、広く異国ことくにのことを知らぬ男、異国の地を旅す』



 それにしてもパリーサのシャワーは長い。僕の髪の毛はすっかり乾いてしもた。

 ちょっと寒なったてきたし窓を閉め、ベットに横たわる。当然やけど、今まで泊まったどのホテルのベッドより柔らかいし、そして広い。思いっきり手足を伸ばすと少し眠たくなってきた。


 あかん、寝たらあかん。パリーサに怒られる。


 そう思てたらパリーサの声が聞こえてくる。シャワールームの半開きの扉から顔だけ出してこっちを見てる。


「シィェンタイ、何か服を貸してくれない」

「シャツでええんか?」

「何でもいいよ」


 シャワーで上着を濡らしてしもたらしい。そんな貸せる様な服、あったかなぁと思いリュックを掘り返す。大概の服は日本を出てからいっぺん着てるし、洗濯も適当にしかしてへん。まだ着てないのは高地で寒くなった時の為の赤いトレーナぐらいや。小柄なパリーサに大きすぎるかと思たけど臭くないのはそれくらいやし、僕はそれを持ってドアの前に立つ。


「こんなんでええか」


 と手を伸ばして渡した。


「何これー! 可愛いね」


 と喜んでくれた。


「ちょっと大きいけど……」

「そんな事ないわ。丁度いい。ありがとう」


 ほんまかいな。僕でも大きいのに。


 僕はまたベッドに横たわり、パリーサが赤いトレーナをどないして着こなすか楽しみにしてた。


 だぶだぶやし格好わるかな? いつもは伝統的(?)なウイグルのワンピースにスラックスやし、少しは現代風に変わるんやろか……。


 ちょっと前やったらパリーサの服装なんか興味無かったのに、変わったなと思う。


「ありがとう。どう? 似合ってる」


 パリーサがシャワールームから出て来て、ベッドの前でクルッと回って見せた。

 僕のトレーナは余りにもデカイんで、パリーサはワンピースの様に着こなしてる。スラックスは履いてないんで、トレーナの裾からは、今まで見たこと無かった白い足が露わになってる。しかも裸足やったんがなんとも魅力的。トレーナの中はちゃんと下着を着てるやろかと要らぬ心配をして、僕は返事をするを忘れて見惚れてた。


「どうなのよ」

「ああ……、似合ってるよ。かわいいよ」

「そう。よかった。じゃあー寝る時は毎日これで寝るね」

「そ、そうなん」


 まじかぁ……。


「しばらく貸しといてね」

「それはええけど……」


 そんな格好で一緒に布団に入ったら……、寝られるやろか?


 パリーサは濡れたワンピースとスラックスを干してる。どうも洗濯したみたいや。赤いトレーナに映える黒髪と白い素足。後ろ姿もなかなかええわ。

 そしてソファーに座り、タオルで長い髪の毛を拭いて乾かしてる。その仕草は写真に撮っておきたいくらい魅力的で、僕の心臓はどんどん高鳴るばかり。


 パリーサを見んとこと思て天井を見るけど、今度はいろんな事を妄想してしまう。他の事を考えて誤魔化そうとするけど、頭の中はパリーサの姿しか浮かんでこんかった。「冷静になろう」と言う言葉を繰り返すのが精一杯。昨日は「あの一件」で殆ど寝てないのに、頭は冴えまくってた。


「シィェンタイ、これからどうする?」


 何、それってどういう意味……。


 時計を見るとまだ10時半を回ったところ。新疆シンジィァン時間の8時半。まだまだ夜は長いな。


「そうやな……」


 と平静を装ったけど、言葉が出んわ。何か言わな、何か言わなと思てたらふと考えついた。僕って天才?


「パリーサは眠たくないの」

「大丈夫よ。少しくらいなら」

「眠たいんか?」

「少しね。だって昨日は殆ど寝られなかったから」

「ほなもう寝る……」

「いやよ。それはダメ」


 と食い気味に否定してくる。


「ほしたら、明日どうするか考えようや。パリーサは何がしたい。何処へ行きたい。それと、何が食べたい?」

「ちょっと待ってね」


 急いで髪の毛を乾かしてる。僕はまた天井を見て、明日、僕自身は何がしたいんか真面目に考える。


 明日は多賀先輩は居らん。カシュガルの観光て言うても何にも浮かばんし、街をぶらつくのは日曜日でええし……、強いて言えば、またあの兄妹らと遊ぶくらいか。ビー玉持って行って……。


 そんな事を考えてたら、パリーサがベッドの脇にやって来てするりと布団に潜り込んでくる。潜り込む時にちらっと下着が見えた。ドキッとすると共に、ちゃんと着てて良かったと安心もした。そやけどその下着の色が悩ましいピンクやったからまた僕の思考は停止してしまう。

 パリーサはうつぶせになって僕を見つめ、


「シィェンタイも布団に入って」


 と布団をめくって誘ってくる。何もせーへん何もせーへんと呪文を唱えながら僕も布団に入ると、パリーサは穏やかな顔をして目を閉じた。


 なんや寝るんや。


 そう思て僕は黙ってた。


「何しよっかなぁ?」


 パリーサは目を瞑ったまま話し掛けてくる。こんなに安らかな顔は今までみたことなかった。やっぱりずっと緊張してたんや。


 そんなパリーサをギュッと抱きしめたかったけど、それは我慢して寝顔を眺めるだけにする。

 いつもは後ろで髪を括ってるのに、今は解けて顔に掛かってる。その隙間からパリーサの寝顔を見て、「可愛いなー」って思う様になってしもた自分を不思議に感じてた。


 パリーサの事をどう思てんのか、自分自身にもう一度問いかける。そして分かった事は……。


 僕は、いつの間にかパリーサの事を可愛いを通り越して、愛おしく思う様になってた。



 つづく

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