92帖 ベッドがひとつ

『今は昔、広く異国ことくにのことを知らぬ男、異国の地を旅す』



 部屋は5階の一番奥の510号室。吹き抜けからは下のロビーが丸見えで、なんかええ眺めや。荷物を運んでるパキスタン人がぎょうさん居る。


「わー、すごーい」


 それを見て、パリーサも興奮してる。


 廊下の突き当りの部屋を鍵で開け、中へ入った。

 結構広い部屋でソファーとテーブルもある。北と東が窓になってて眺めも良さそうや。清掃が行き届いてて清潔感もあるし、シャワーもトイレもあってええ感じ。こんな部屋にたった16元で泊まれるなんてウソみたい。辺境の地カシュガルは相場が低いんかな?


「わー、なんだかゆったりできそうねー」


 やっぱ知らん大勢の男達と一緒のドミトリーは緊張してたんやな。パリーサの表情が緩んでた。

 とにかく部屋を替えて正解やったわ。


「あれ?」


 パリーサは不思議そうな顔をしてる。


「どうしたん?」


 パリーサはカバンを持ったまま部屋を眺めてる。僕ももう一度部屋を見回した。何か変かな?


「シィェンタイ……。ベッドがひとつしか無いよ」

「えっ、ほんまや! こ、これってダブルベッドやん」


 部屋には横幅の大きなベッドが一つしかない。枕が2つ置いてあるんで間違いなくダブルベッドや。受付のお姉さんにツインで予約したのにどうなってんの?


 やばいやん。


「パリーサ、ちょっと受付行って聞いてくるわ」


 僕は荷物を置いて今来た廊下を戻り、エレベータで1階の受付を目指す。



 受付では汉族ハンズー(漢族)のおっちゃんが台帳を見てた。


「あのー」

「何ですか?」

「僕の部屋、ダブルベッドやったんですけど」

「そうですが……。ああすいません、忘れてました。今日は満室でして……。さっき到着されたパキスタンの男性お二人のお客さんが、どうしてもツインにしてくれと言われたので変更させて貰いました」


 なんと。確かに男2人でダブルベッドではな……。僕も多賀先輩とダブルはちょっと嫌やかも。


 そやけどこっちにも事情ってもんがあるし、これは何とかしてもらわんと困る。


「何とかなりませんか?」

「そうですねぇ……」


 と、さっき見てた台帳を探ってる。そこへパリーサもやって来る。

 パリーサに事情を説明してると、おっちゃんは、


「すいませんね。他に部屋が無いので何とかお願いできませんか?」

「でも16元のツインで予約したんですけど」

「そうですよね……、ではこうしましょう。あの部屋は80元ですが、特別に16元でいいです。ツインの代金でお泊り頂いて結構です。それで何とかなりませんかねぇ」


 なんと! 16元で泊まれる様な部屋や無いとは思てたけど、やっぱり80元もするんや。それを5分の1の値段で泊まれるんは嬉しいけど……。


 女の子と二人のダブルベッドって、どうしたらええんや?


 僕はその事をパリーサに説明しようとしたら、おっちゃんが中国語で言うてくれた。パリーサは悩むどころか逆に喜んで、


「そこでいいです!」


 みたいな返事をしてた。


 ほんまにええんか?


 するとおっちゃんは僕に、


「ありがとうございます。明日から大きなバザールがあるので大変混んでます。助かりました」


 と言うて喜んでる。


 しゃーない、なんとかするかぁ。


「シィェンタイ。さあ、行きましょう」


 と、笑顔のパリーサに、僕は手を引っ張って行かれる。


「ごゆっくりどうぞ」


 と言う、おっちゃんの言葉が妙に意味深に聞こえた。


 エレベータに乗りドアが閉まると、パリーサは更に嬉しそうな顔で、


「楽しみねー。いつもお掃除するだけだったのに、自分があんな部屋に泊まれるなんて、夢見たい!」


 と言うて子どもの様に燥ぎ、


「きっとこのホテルで一番いい部屋よ。私、分かるもん。嬉しいー!」


 と興奮してる。

 それに比べ、僕は少し複雑な心境やった。パリーサは、豪華な部屋に泊まれて喜んでる。そやけど僕は、これからの一週間、パリーサと一緒の部屋、ましてや同じベッドに寝て、理性が欲望に勝ち続けられるんかめっちゃ心配やった。


 部屋へ戻ると、パリーサはいきなりベッドに倒れ込み、バタバタとは燥いでる。

 僕も格安でこんな部屋に泊まれて嬉しかったけど、結構冷静やったと思う。もしパリーサと、これからもずっと一緒やったら気分も違ごたかも知れんけど、一週間後には別れなあかんかと思うと、なんでかそこまで盛り上がれへんかった。そうせんと、別れる時に余計に寂しくなるからやと思う。


 僕は荷物を置き直し、ソファーに座ると、ベッドからパリーサが笑顔で見てくる。あんまり素っ気無いのも悪いし、笑顔を返しといた。


「パリーサ、嬉しいか」

「うん! とても嬉しいよ。シィェンタイに付いてきて良かったわ」


 そう言うてくれるパリーサは優しいやっちゃなぁと思う。それならせめて一緒に居る一週間は楽しんで貰おうと、改めて自分の中でそう決めた。


「そろそろ晩ごはん食べに行かへんか?」

「そうね。まずはごはんを食べてから。それからゆっくりしましょう」


 えっ! 「まずは」って事は、その先に何かあるのか?


 僕はドキドキしながらも、


「そ、そしたら上の部屋に行ってるし……」


 と、その場から立ち去る事を思いつく。


「ほんで、準備が出来たらおいで」

「うん! 分かった」


 メモ帳だけ持って部屋を出ると、ドキドキしてる割にいろんな事を妄想してしもて、ニヤニヤしながら僕は6階へ向かった。



 つづく

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