90帖 明暗

『今は昔、広く異国ことくにのことを知らぬ男、異国の地を旅す』



 阿巴克アーパークェァ霍加麻扎フォジャマーヂャ(アパク・ホージャ墓)には、もうこれ以上見るもんも撮るもんも無いと思い、外へ出た。

 丁度お腹も減ってたし、角の食堂へ行く事にする。

 多賀先輩の発案でロバ車のおじいちゃんも誘おって事になり、入り口で待っててくれたおじいさんに声を掛ける。


「お金は僕らが出します」


 と言うと、おじいさんは喜んで来てくれた。


 そのお返しかどうか分からんけど、食事中はウイグルの昔話を延々と語ってくれる。日本語とウイグル語混ざりで、ウイグル語はパリーサが英語に翻訳してくれたけど、結局は何の話かよう分からんかった。それでも、こうやっておじいさんと話が出来たんがめっちゃ嬉しかったし、多賀先輩もとても満足気やった。

 そう言えば、僕の祖父にどことなく雰囲気が似てる思う。老人は皆同じ雰囲気やろけど、なんか親近感が湧いてくる。こんな異国の地に自分のおじいちゃんが出来た様な気がして、少し温かい気持ちになれた。


 帰りはバスターミナルまで送って貰う。

 バスターミナルで多賀先輩は、林さんに会いに行くための阿图什アェトゥシェン(アルトゥシュ)行きのバスを探し、僕はパリーサを吐鲁番トゥールーファン(トルファン)へ帰す為のバスを探す。その事を帰り道、パリーサに話した。


「バスターミナルで吐鲁番行きのバスのチケット買うわ」


 そう言うとパリーサのテンションは一気に下がってしもた。


「やっぱりパキスタンに行ってしまうのね?」

「うん……。そうせんとパリーサが家に帰れへんやろ」

「そうね。ずっと一緒に居たかったけど、それは出来ないって分かってたけど……」


 パリーサと別れるのんが、僕も少し辛いなって思てきてる。最近、特にそう思う様になってきてるけど、旅の目的の為にはどうしようもできん。辛いけど、何処かでケジメを付けなあかん。


「僕もそう思ってるんやで」


 ああ、言うてしもたぁ。


 言うてからちょっと後悔した。


「ほんとに?」

「うん。でも……、パキスタンは行かなあかんねん。もしパリーサが良かった、ギリギリまで一緒に居れる様にするし」

「……」


 パリーサは泣きそうな顔になり、またおじいさんの横に行って座り、ウイグル語で話し始める。言葉は分からんけど、おじいさんはパリーサを慰めてくれてるみたいや。パリーサは、お爺さんの横で声を出さずに隠れて泣いてたと思う。


 バスターミナルに着き、代金の10元を払ろて僕らは荷台から降りる。パリーサはもう泣いてなかったし、スッキリした様な顔をしてた。いや、そんな顔をわざと作ってたんかも知れん。


 親しくなったおじいさんともここでお別れ。

 別れ際、おじいさんは、


「またカシュガルへおいで」


 と優しく言うてくれた。


「今度はいつ来れるか分からんけど、それまで生きててや」


 と言うと、おじいさんは笑いながらロバ車を動かし、手を振って去って行った。多分、永遠の別れになるやろう。そう思うとやっぱり寂しくなってくる。


 それから僕らは、それぞれのバスのチケット売場を探す。トルファン行きのチケット売場はすぐに見つかり、窓口でバスの出発予定を聞くと、丁度木曜日の便があった。


「パリーサ、僕らと同じ木曜日でええか」


 と聞くと、静かに頷いてた。チケットは行きと同じ53元。出発時刻は新疆シンジィァン時間の朝8時で、2泊3日の旅や。

 購入したチケットをパリーサに渡すと、


「木曜日までシィェンタイが持ってて」


 と言うてチケットを返してくる。


「えっ、なんで?」

「私が持ってると、破って捨ててしまうかも……」


 それを聞くと、僕は酷く心を締め付けられる。パリーサの気持ちを考えると涙ができそうやった。


 健気で愛らしい……。


 と思た。

 そやし僕は、残り少ない日々をパリーサの為に尽くそうと考えた。楽しい思い出をたくさん作って、ほんで笑って別れられる様に。


「そしたら……、木曜日まで毎日楽しも」

「……」

「パリーサのしたいこと、食べたいもの、欲しいもの、なんでも言うてや」

「いいの?」

「ああ、ええで。どんどん言うてや。二人で楽しも。パリーサがここまで付いて来てくれたお礼や」


 パリーサは少し考えて、日本語で喋ってくる。


「それでは、よろしくおねがいします」

「こちらこそ、宜しくお願いします!」


 パリーサに少し笑顔が戻ってきた。僕はチケットを失くさんよう、ウエストバッグの中にしまう。


 そこへ多賀先輩がやって来る。チケットが買えたみたい。明日の朝イチのバスで、新疆時間の7時半に出るらしい。多賀先輩は僕らと対象的に嬉しそうに浮かれてた。僕も浮かれたい気持ちはあるけど、どうしたらええか分からんかった。後でパリーサとじっくり相談して、本気で楽しもうと思た。


 夜までまだ時間はあるけど、一旦ホテルへ戻る事にする。ホテルへの帰り道は、恒例の路地裏を通って帰る。


 その間、僕は何度もパリーサの顔を見たけど、パリーサは真っ直ぐ前を見て歩き、決して目を合わせる事は無かった。



 つづく

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