89帖 私は香妃よ

『今は昔、広く異国ことくにのことを知らぬ男、異国の地を旅す』



 3人を乗せたロバ車は市街地を抜け、コトコトと郊外の並木道をゆっくりと進む。ロバ車の進む速度で、並木の間から見える風景と時間が同じくらいゆっくりと流れる。

 パリーサは運転手のウイグルのおじいさんとウイグル語で楽しそうに話してる。時々僕の方を見て微笑んでは、おじいさんと二人で笑ろてる。何か僕の良からぬ噂をしてる様や。今はその気が無いんで、帰ったら問い詰めたる。


 そんな事より、こののんびりとしたロバ車での移動が心地よかった。マッタリとした時間を、何も考えんと過ごすんが幸せに感じる。ずっとこのままで居れたらと思う位、気持ちは楽やった。


 周りは果樹園や畑が広がり、その向こうはもちろん砂漠や。日本には無い光景をボーッと眺め、そこを通り抜けてくる風を感じてた。

 暫くして、ずっと黙って遠くを見てた多賀先輩が話し掛けてくる。


「北野。あれ見てみ」


 と指差した南の方を見ると、雪を頂いた高い山々がくっきりと見える。


「結構いい山ですね。キツそうですやん」

「なんて言う山やろ?」

「雪もあるし、ここから見えるとしたらムスターグ・アタかコングールですかね」


 昨日、ホテルからも見えてたけど、今日は空気が澄んでてより一層はっきり見える。なんか登りたなってきたわ。


「ほう、あれがそうかぁ。写真集で見た事はあったけど、まさかほんまもんが見られるとは思てんかったわ。それで標高はどれくらいやったけ? 7千ぐらいあるんか」

「そうっすね。どっちも7千5、6百やったかな。確か氷河もあったと思いますわ。そやし結構高いんとちゃいますか」

「そーか、すごいなぁ……。やっぱ山はええなぁ」

「ですねー。登ってみたいですわ」


 砂漠の中から見る雪の山々は世界が違い過ぎて面白い。


 ここは暑いけど、頂きはめっちゃ寒いんやろなぁ。


「パキスタン入ったら山登ろか。そんな6千とか7千とかは無理やし、日帰りで登れそうな山を」

「いいすね。有名どころを登ってみたいけど、僕らの金と装備では無理やし、名も無い山でええさかい富士山より高い山、登りたいですわ」

「そうやな。それおもろいやん。富士山登った事無いけど、それより高い山登った言うたらおもろいやろなぁ」

「僕も富士山を登った事は無いですし、富士山登った言うて自慢してる奴の鼻を明かしてやりたいですわ」


 山の話になると僕らは止まらなくなる。延々と山登りの話をしてた。


 そうしてるうちに小さなオアシスの村に入る。道路沿いにはちょっとした商店や食堂が並んでる。食堂の角を曲がると、阿巴克アーパークェァ霍加麻扎フォジャマーヂャ(アパク・ホージャ墓)の入り口があり、その奥に大きな霊廟が見えてきた。


 入り口の前でロバ車を降り、入場券を買う。その入場券にはなんと日本語で、「ようこそアパク・ホージャ廟へ」と書いてある。裏には簡単な説明文が、これまた日本語で書いてあった。

 遥々中国最西のオアシスまで来て日本語のお出迎えとは、苦労して遠いとこまで来た甲斐が無いと言わざるを得んわ。日本語に会えるんは嬉しいけど、ここではあまり会いたくないもんや。

 因みに入場料は、人民は1元やけど外国人は3元やった。


 その説明書に因るとアパク・ホージャ廟は、16世紀末にこの辺の有力者アパク・ホージャとその家族の墓群で、別名「香妃墓」と言う。

 ホージャ氏の娘イパルハン(本名はマイムールアズム。前夫は戦死しており未亡人)が清の乾隆帝の妃となり「香妃シィァンフェイ」の号を賜った。そやけど前夫への貞節を守り、乾隆帝の寵愛は受けなかったという。そういった伝説に因んで香妃墓と呼んでるらしい。


 中に入ると庭園があり、花が咲いてたら綺麗やろけど、今は何も咲いてないんで味気ない。

 そやけど霊廟は凄い。高さは10階建てのビル位で、緑と白のタイルで綺麗に装飾されてる。また細かなモザイク模様は見事やった。

 霊廟の中は広々としてて、屋根は丸いドーム型。壁や天井の装飾はイスラム風で綺麗で荘厳や。やっぱりここは中国と違ごて、イスラムの世界やと思わずには居られへん。


 ふむ? あれ!


 偶然やけど、昨日見た夢に出てきた王宮に似てるかも。もしかしたら僕はここへ呼ばれてたとちゃうやろか。ということは、アパク・ホージャさんの御霊に誘われたって事? そう思うと背筋がゾクゾクしてしくる。


 一段高い所には棺が幾つも並んでて、蓋が少しずれて開いてる。ワザとなんかどうなんか知らんけど、今にも「こっちへいらっしゃい」と呼ばそうでちょっと怖い。

 あんまり人のお墓は見るもんやないと思い、早々に外へでて写真を撮る事にする。


 アングルを選んで撮ってみたけど、美しい建物が写ってるだけで何も面白ろない。どうしたものかと思てたら、中からパリーサが出てきた。


「写真撮ったげるわ」


 と言うと、喜んでポーズをしてくれる。そやけどパリーサは、なんか奇妙なポーズをとってる。


「それは何してんの」

「えへ! 私は香妃シィァンフェイよ」


 香妃って……。まさか、香妃の生い立ちを知ってて言うてんのか。そやけど、そう言われると、昨日の夢の「王妃パリーサ」を思い出してしもた。


「何言うてんねん。アホか」


 僕は日本語で言うてみたら、


「アホって言うな!」


 と、パリーサは鋭い目で睨み日本語で返してきた。「アホ」って日本語は知ってるのね。


「ごめん。ごめんな」


 と言うとパリーサは微笑み、調子に乗ってまたポーズを取ってる。


 香妃ってこんな感じのウイグルの女の子やったんかなぁ。


 なんとなくパリーサに香妃の姿を重ね合わせ、僕は暫くパリーサに見惚れてしもた。



つづく

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