88帖 ペルシャ風
『今は昔、広く
6月7日、金曜日。
僕は多賀先輩の声で起こされた。既に身支度を済ませベッドに座ってる。パリーサも眠たそうな顔はしてたけど、カバンも持って外出の準備ができてた。
「昨日の夜は大変やったみたいやな」
そうや。パリーサがパキスタン人に覗かれてた事を思い出し、起き上がって昨日確認しといたベッドを見てみる。そやけど既に人は居らんかった。荷物のたぐいも無い。
残念、取り逃がしたわ。
「そうですわ。もしかしたら、別の部屋から侵入してきたかも知れませんわ」
「そやな。部屋の鍵も無いし、だいたいずっと開けっ放しやからな。ほんで、どないするんや」
僕はパリーサの顔を見る。まだ少し不安そうな顔をしてる。そやし昨日考えてた通りにするしかないと思た。
「後で部屋を変えて貰いますわ。ツインが16元や言うてたし、そっちへ移りますわ」
「その方が、何かと都合がええしな。へへへ」
「そ、そんなんとちゃいますから……」
多賀先輩はイヤラシイ目で笑ろてる。そんな事を言われて悔しいけど、それ以上言い返せん。
僕の身にもなってみぃ……。
しつこくニヤついてくる多賀先輩を見て、訳も分からずニコニコしてるパリーサが可哀想に思えてきた。多賀先輩が何を言うてるんかは絶対に言えへんけど……。
僕は話題を変え、今日の予定はどうするか相談する。優先事項はパキスタン行きのバスのチケットを確保する事。バスはこのホテルから出るんで受付でチケットが購入できる。できれば、トルファンで出会った古沢さんオススメの「日曜バザール」を見たいんで月曜日を出発予定にした。
その後は適当に街をぶらついて、行けたら遺跡でも観光に行く。多賀先輩はバスターミナルに行きたいらしい。
「やっぱ林さんに会いに行くんですね」
「まーな。住所も教えて貰ろたし、明日行ってみるわ」
「会えるといいっすね」
「会えるやろ」
会えるかどうか分からんけど、多賀先輩の好きな様にしたらええと思て、それ以上は聞かんかった。
「ほな行こか」
と言う事で、ベッドで本を読んでる寝たきり青年に挨拶をして部屋を出る。
その青年から返事は無かった。何処から来て、何処へ行くのかも分からんけど、ひどい目に遭うたんやろか、なんか肉体的にも精神的にも参ってる様子やった。
上野さんは既に旅立ったみたいで、挨拶もお礼も出来ひんかったんが心残りや。
受付では、
バスは土曜日と月曜日と木曜日に出るらしい。しかも20元と安い。そやけど月曜日はもう満席で、明日は無理。そやし多賀先輩と相談して木曜日のチケットを購入する事にした。
手に入れたチケット番号は、No.11と12やった。結構乗る人が居るみたいやし、今日予約しといて良かったと二人で顔を見合わせた。
危うく木曜日も乗れん様になるとこやったわ。
それと昨日決めた様に、僕とパリーサはツインルームへの変更をお願いする。汉族のお姉さんに変な目で見られるとイヤやから、昨晩起こった話を付け加えると、
「その方が安全ですね」
と言うてくれる。やっぱりめっちゃええ感じの人やったわ。その間、多賀先輩とパリーサは、カウンターにある地図を見て、これから行くルートを話してた。
手続きが終わると、早速外へでる。
ホテルの外は、空気が澄んでて日差しは強かったけど、風は乾燥してて涼しい。
「あんまり暑く無いですね」
「そうやな。ここは標高千二百メートルぐらいあるらしいで」
「武奈ヶ岳ぐらいですね」
「そやなぁ、武奈と同じ位かぁ」
「そやけどよう知ってますね」
「さっきの地図に書いたったわ」
「なるほど」
とは言うたものの、バザールまで歩いて来ると汗が流れだす。道路脇のラッシー屋に寄り、3人で氷入のラッシーを飲む。羊のヨーグルは少し癖があるけど酸っぱくて美味しい。ほんで隣のナン屋で、ドーナツを大きくした様な形のナンを買い、朝飯代わりにする。ここカシュガルのナンは、表面が乾パンみたいに固いけど、僕はそれがとても美味しく感じ、日本でも売って欲しいと思た。
バザールは、まだ平日の12時、つまり
パキスタン人の一行にすれ違ごた時、親しげに挨拶をされる。
同じ部屋の人やろか?
パキスタン人はまだ、個別認識ができへんのでみんな同じ顔に見えるし、なんと言うてもゲームに出てくる鼻の下に髭を蓄えたナントカブラザーズの色黒版みたいで面白かった。
それによく見ると日本人も結構居る。僕らみたいなバックパッカーも居るけど、中年のグループや夫婦連れも居った。
そのおばさんには、
「あなたたち、日本人。若いのっていいわねー」
なんて声を掛けられる。こんなに日本人が居るやなんて、辺境の地に来た感覚が薄れて興醒めしたわ。
そやけど売ってるもんはトルファンのバザールでも見た事ないもんもあって結構面白かった。果物や野菜も豊富やったけど、何に使うか分からん様な容器や工芸品など、中華風でもウイグル風でもない変わった装飾のものがある。女性用の服なんかも複雑な模様が入ってて、ほんまかどうか分からんけど僕らは、
「ペルシャ風やな」
と言うた。
そんなペルシャ風の装飾品屋の前で釘付けになってたんはパリーサや。色もペルシャ風なら模様もペルシャ風なテキスタイルを手に取り、じっと眺めてる。
そういえば……。
パリーサは薄ピンクに白で刺繍された同じ布をずっと被ってる。替えは持ってきてないみたいやし買いたくてもお金無いやろうから、一つ買うてあげようと思う。
「パリーサ、頭に被る布を買うたげよか」
「ほんと! でも……」
「ははは。お金の事は気にせんとってて言うたやろ」
「……」
「好きなん選び」
「いいの?」
「せっかくカシュガルまで来たんやから。それに妹の……」
「レイラ?」
「そうそう。レイラちゃんにもお土産に買うたろや」
そう言うと少し嬉しそうな表情になるパリーサ。なんか久しぶりに見る笑顔や。それくらいでパリーサが笑顔になれるんやったら少しぐらいお金かかってもええし、その方が僕も嬉しいと感じる様になってきてる自分に気が付いた。
僕は楽しそうに布を選ぶパリーサの横顔を見て考えてた。
毎日一緒に居てると、初めは鬱陶しいと思てた事が優しさかなと思うようになり、もともと可愛い顔はより魅力的にも感じてくる。それはお金を無くしたと言う同情からくるもんとは違うんかなと自問自答する。どうもそれとは関係なく、ほんまにそう思う様になってきてる……。ちょっとずつ、ちょっとずつ。
「やっぱり、無理だわ」
僕の心が分かるのか? と一瞬ドキっとした。
「ええよ、ええよ。買おうや」
「ううん、どれにするか迷っちゃって。どれも素敵なの」
そりゃ全部は買えへんで。
「そしたらまた来たらええわ。そや、日曜日のバザールを見てから決めたら」
「そうね。そうしましょう。シィェンタイ、いい考えだわ!」
そう言うと店を離れ、先を歩いて行くその足取りは軽そうやった。
次はドライフルーツ屋やに立ち寄り、おやつに干しぶどうを買う。僕は黄緑の葡萄を選ぶ。パリーサに何がええかと聞くと、控えめに
そや、カボチャの種も欲しいなぁ。
と懐かしい味を思い出してた。
バザールを抜けると大きなモスクの前に出る。
「
全体的に黄色いモスクはやはり中国とはまた違う異国感を出してる。バザールも、このカシュガルの町並みも含めて、ここは中国ではなく、ペルシャやと思えた。ペルシャにはまだ行ったこと無いけど、なんとなくそんな気がした。
「このモスクは
「なぁパリーサちゃん、この中には入れへんのかぁ?」
珍しく多賀先輩が興味を示す。パリーサは近くに居ったウイグルのおっちゃんに聞いてくれる。
「金曜日だから外国人はダメなんだって」
「そうなんや。そしたらパリーサちゃんは入れるんか?」
「そうよ、入れるわ。女性専用のお祈りの部屋があるのよ」
そういえばパリーサがお祈りしてるとこは見たこと無いなぁ。
「パリーサは何時お祈りしてるんや」
「えーっと、それは秘密よ」
と笑ろて誤魔化してる。
コイツ、手ぇ抜いてしてへんなぁ。
と疑った。
まぁ入れへんのやったらしゃあないし、外観の写真だけ撮る。ついでに3人で記念写真も撮った。僕とパリーサのツーショットも。なんか少し嬉しかったわ。
パリーサと多賀先輩のツーショットも撮り、何故か僕と多賀先輩のツーショットも撮る。撮ったのはパリーサで、なんかめっちゃ楽しそうに喜んでた。
そんな事をしてるとロバ車タクシーのおじいちゃんが寄ってくる。
「あなた、日本人?」
やっぱり日本語で話してくる。
「そうや」
「行こう、観光行こう。アパクホージャ行こう」
と言うてる。
「アパク・ホージャ墓かぁ。古沢さんも上野さんも綺麗や言うてはりましたね」
「そうか。ほな、行こか。パリーサちゃん、いくらか聞いてや」
パリーサは張りきって値段交渉を始める。ここは頑張らなあかんみたいな気概を感じさせる姿は健気やと思た。
「2時間10元でいいかって」
「ええんちゃう。その代わり、帰りにバスターミナルへ送る様に言うといて」
「ええ、わかったわ」
多賀決済がおりたところで、3人で荷台に乗り込む。
おじいさんのロバ車のロバは今にも死にそうな顔をしてたけど、おじいさんの言う通りに荷車を引き、東へ向かって歩き出した。
つづく
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