81帖 砂丘滑りとドロボウ

『今は昔、広く異国ことくにのことを知らぬ男、異国の地を旅す』



 パリーサは、砂に足を取られながも懸命に砂丘を登ってきた。


「どうしたんや?」

「ふーー。ここまで来るの大変だったんだからね」


 遠くを見つめながら息を整えている。


「シィェンタイ。お願いがあるの」


 パリーサから声を掛けてくれたんが久しぶりやって、嬉しく思ってしまう。


「いいよ。なんでも言うてや」

「じゃーね、バスの方を見てて」


 へっ?


 と思いながらも僕はバスの方を向いて座り直す。


「いいって言うまで、絶対にこっちを見たらダメだよ。わかった?」

「うん、わかった」


 パリーサに向かって返事をすると怒り出す。


「ダメって言ったじゃない。こっち見ないでね。絶対だよ」

「おー、わかった」


 僕はバスを見ながら返事だけする。パリーサは急な砂丘を南の方へ降りて行ったみたい。下の方から、


「絶対に見たらダメだからねっ!」


 と、声が小さく聞こえる。


 そうか。敢えて言わんけど……、そういう事やったんや。


 バスが駐車してる横をトラックが通過してく。その車が遥か西の彼方に消えゆくまで見つめてた。そして暫くすると今度は西から来た大型バスが東へと走り去って行き、米粒くらいになって陽炎の中に吸い込まれていく。

 それくらいしか変化がない光景やった。


 それにしても遅いなぁ。


 あれからだいぶんたってるし、少し心配になってくる。


 振り返っても怒られへんやろか?


 どないしよと思てたら、砂丘の下の方からパリーサの呻き声が聞こえてきた。


「シィェンタイ、助けてぇ……」


 振り返ると、登りの途中で立ち往生してるパリーサが手を振ってる。砂丘は風の影響を受けて北側は緩やかな坂やけど、南側はねずみ返しみたいに急な傾斜になってる。それをパリーサは登って来ようとしてた。

 パリーサがどんどんずり落ちていく光景を見て僕は笑ろてしもた。


 あ、ははは!


「何笑っててるのよー。早く助けに来なさいよ。きゃーー」


 またずり落ちてる。


「めっちゃおもろいやん。加油ジャヨウ(がんばれ)!」


 1歩登れば、3歩分ずり落ち、パリーサは苦戦してる。


「もうー、何してるのよ。早く助けなさいよ。あなたは私の老公ラオゴンでしょ」


 ラオゴン? なんじゃそりゃ。ドラゴンでもないし、年寄りってことか? まぁ僕の方が年上やしな。


「わかった、今から行くで」


 カメラを手ぬぐいの上に置き、砂丘を下る。


 やばい、結構急やん。パリーサは、こんなとこをよう降りてったな。


 勢い余ってパリーサよりも下に行ってしもた。

 スキーの要領で横向きに止まり、足を逆ハの字にしてパリーサの所まで登ろとしてたのに、パリーサはわざわざ僕のとこまで降りてくる。


「大丈夫?」

「大丈夫じゃないわよ。もうー」

「なんでここまで降りてきたんよ」

「なんでって、シィェンタイを助けに来たのよ」

「あっそうか、ありがとう」


 どっちが助けて欲しいねん?


 ちょっと膨れてたけどすぐに笑顔に変わって、僕はなんとなく嬉しかった。上で待っててくれた方が良かったけど……。


「引っ張って行こか」

「うん、お願い」


 えらい素直やん。


 僕が右手を出すと、パリーサは手を繋いでくる。ほんで横歩きで一歩ずつ登り始める。

 パリーサの靴は、よく人民が履いてる底の薄い靴で、靴底はほぼ平らな状態やと思う。まだ僕の軽登山靴の方がグリップ力はありそうやし、これならパリーサを支える事はできそうや。


 しかし問題は靴底ではなく、パリーサよりはるかに重い僕の体重やった。僕の足場の砂が除々に流れ出し、それと共に僕もジリジリと滑り出す。

 僕は、「手を離して!」と言いたかったんやけど、咄嗟に出てきた英語は、


「hold hands(手を握って)!」


 やった。パリーサは必死に僕の手を掴んでくれてるけど、僕がずり落ちていくのを止められるはずがない。


「きゃー」


 今度はパリーサが一気に滑りだした。これはヤバイと思てパリーサの手を引っ張ったけど、滑り台の様に僕も一緒に滑り落ちていく。

 パリーサは僕にしがみついてくる。僕もパリーサの背中に手を回して掴まえた。


 落差でいうと20メートルぐらい滑り、ほんで転がった。

 パリーサを抱えたまま止まったけど、上からどんどん砂が落ちてきて身体が埋まってしまいそう。僕はパリーサを頭から抱えて砂を防ぐ。それでも身体の三分の二は埋まってしまう。まじで怖かった。

 そやけどどうしようも無く、なすがままやった。


 暫くしてやっと砂の「雪崩なだれ」が止まり、立ち上がってパリーサを起こす。ほぼ下まで落ちてた。


「大丈夫?」


 と言いたかったげど、口の中まで砂だらけでジャリジャリして喋りづらい。耳や鼻の中まで砂が入ってる。

 二人でペッペッと吐き出してたら可笑しくなってきて、二人で笑ろた。なんか久しぶりにパリーサの笑顔を見れて嬉しかった。


 服の中の砂を出しながら砂丘を冷静に見上げると、なんて無謀な事をしよとしてたかがよう判る。直登ルートを登るのは絶対に無理。

 ちょっと遠回りになるけど、西の尾根から上がった方がまだ傾斜は緩そう。


「パリーサ、あっちの方から登ろうか。ちょっと遠いけど」

「うん。シィェンタイの言う通りにするから、連れてってね」


 とパリーサは笑顔で手を出してくる。僕はその手を握り、ゆっくりと歩き出す。

 それでも砂に足は取られるし、息は上がるしで、頂上に着く頃には疲れ果ててた。


「ちょっと休憩」


 と言うてカメラが置いてある横に座り、再び砂漠を眺めた。パリーサも横に座ってくる。肩で息をしながら遠くを眺めてた。


 息が整ってきたんで、僕はパリーサに聞いてみる。


「さっき言うてた『ラオゴン』ってなんや? どういう字を書くんや」

「知らないの?」

「知らんがな」

「それなら……、それは秘密ね」

「なんやねんそれ!」


 パリーサは微笑んで誤魔化してる。なんかまたパリーサが罠を仕掛けてそうなんは予想できたけど、明るくなってくれたし、まぁええかと思う。暫くボーッと眺めてると、今度はパリーサが話し出す。


「何も無いね」

「何も無いて?」

「この砂漠よ」

「砂があるやん」

「そうじゃなくて……」

「なくて?」

「街も無いし、人もいないし。仕事も生活も何もなくて……」

「そやな」

「何にもないのって素敵じゃない」

「そ、やなぁ」

「そしてこのまま、時間が止まって欲しいわ」

「そやな。それって何となく僕も分かる気がするでぇ」


 ずっとこのままやったらええのにと、英語でどう表現したらええか考える。……。

 また砂と風の音だけが響いてた。


 暫くすると、後ろの方でクラクションが鳴り響いた。振り返ると、大型のトラックが止まり、その助手席から社長が降りてくる。


「この時間も終わりみたいやで」

「そうね。そろそろ戻りましょうか」

「行こうか」


 僕らは立ち上がり、砂丘を降りてバスへ向う。もうその時は手を繋ぐ事は無かった。


 部品交換が終わり、バスは生きを吹き返す。2時間のロスタイムで、もう昼飯の時間はとっくに過ぎてた。

 バスはスピードを上げ、大丈夫かいなと思うぐらいの速さで走る。その分、小さなギャップを拾うだけで座席に座ってる乗客は、一瞬宙に舞う。僕は頭上の網棚で頭を打ってた。

 これは堪らんと、リュックに固定してある登山用のヘルメットを外し頭に載せる。これで痛みは幾分マシになる。


 反対側の座席のおっちゃんがそれを売ってくれを言うてきたけど、もちろん丁重にお断りする。


 中国人は外国製品やったら何でも買いたがるね。しかも格安で。無理無理!


 20分ほどで小さなオアシスのドライブインに着き、短めの昼飯になった。そこでもバスを降り家路に就く乗客が何人か居った。多賀先輩と林さんは二人でさっさと食堂に行ってしまう。

 僕は毎度の事で、パリーサに何を食べるか聞いてたら、一緒に乗ってた欧米系の男がバスの入口から叫んできた。


「あの男がお前たちのバッグを持っていったぞ!」


 バスを降りた乗客のうちの一人が、多賀先輩のリュックを持ち去って行く。僕は窓から、


「多賀先輩! 荷物が、ドロボウや!」


 と言い終わると、すぐにそいつを追っかける。大きなリュックを持ってるしそう簡単には逃げられへんさかい直ぐに捕まえられた。そのおっさんをよく見ると、さっき僕のヘルメットを買うと言うてたヤツやった。

 僕が、


「返せ」


 と言うと、


「これはワシのだ」


 と言う様な事を言い返してくる。


「ウソつけー!」


 そこへ多賀先輩とパリーサがやってくる。


「おっさん、これは俺のやけど返してくれるか」


 多賀先輩は冷静に話してたけど、鬼の様な形相やった。パリーサも中国語でなんやかんや言うてくれてる。

 するとそのおっさんは急に態度を変え、「ああ、間違えたわ」みたいな表情でリュックを下ろすと、さっさと道路を渡っていった。


 危ないとこやった。ここまで上海を除いて皆ええ人ばっかりやったし、ちょっと油断してたわ。


 一応チェーンロックでリュックと座席を繋ぎ、パリーサに見張りを頼んで僕らは食堂に行く。


 まぁ無事で何よりやったけど、やっぱりちゃんと用心せんとあかんわ。



 つづく

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