79帖 ごめんな、パリーサ

『今は昔、広く異国ことくにのことを知らぬ男、異国の地を旅す』



「パリーサっ」

「なーに」


 呼んではみたものの、何を話したらええんや?


「なに? 話しがあるんでしょ」


 ニコニコして僕を見てる。


 こういう状況って苦手やなー。パリーサは何を期待してるんやろ。


「えーと……」

「早くー、早くー。何でも話していいんだよ」


 わー、どうしょう。多賀先輩は林さんと「二人っきり」を楽しんでるやろし、部屋に戻れとも言えんしなぁ……。


「お、お腹空いてへんか?」

「何を言ってるのよ。今、食べたばかりじゃない」

「そうやな」

「それとも、シィェンタイはまだお腹すいてるの?」


 どうなんやろ。腹は減ってんのかいっぱいなんか分からへん。ただ苦しいのは分かる。さっき食べたもんが戻ってきそう。


 パリーサに聞いてみたい事はあったんやけど、思い出せへん。なんでやろ。もしかして緊張してる? そうなんやったら何に緊張してるんや。


 自分が置かれてる状況を理解しようとすればするほど頭の中が空っぽになっていく。


  あかん、トルファンのバザールの時みたいにパリーサのペースに飲まれてる。起死回生の法は無いやろか……。


「いや、お腹は空いてないと思う」


 そう言い終わらないうちにパリーサは立ち上がり、僕の横に座ってくる。今にも肩が触れそうな距離で上目遣いに黙って僕を見てる。


 こっちに来たんやったら何か言えよ。黙ってたら反則やぞ。


 僕はパリーサの青い目に吸い込まれそうになった。小さい唇の両端を少し持ち上げ、深い彫りの奥にある青い目は優しく、全てを僕に委ねた様な表情は、これが普通に日本の街で出会ってたなら魅力的に感じたかも知れん。実際にめっちゃ可愛いと思う。


 そやけど僕はパリーサの事はなんとも思ってないし、どちらかと言うと苦手なタイプやと感じてる。それでも二人っきりで、こんなに近くに座ってたら男なら何かせなあかんと思てしまうのが自然や。

 心臓はバクバクし、体中の血液が沸騰してるみたいで変な汗も出てる。なんとか理性を保つのが精一杯。


 僕は気持ちが無い女の子に、その場の雰囲気や欲望だけで手を出そうなんてしたくない。それをパリーサが望んでたとしても……。


 いや、それは無いよな。パリーサはムスリムやし、無闇矢鱈に男に触れるなんて……。そうや!


「パ、パリーサ」

「なになに?」


 パリーサは、ググッと僕に顔を寄せてくる。


 こら! それ以上顔を近づけるな!


 僕は思わず身体を引いてしもた。


「ムスリムは、家族以外の男の人とこんな風にしてたらあかんのとちゃうの?」

「大丈夫よ。何も問題は無いわ。私はシィェンタイとお話してるだけよ。でもシィェンタイは何も話してくれないよ」


 と言うと、パリーサは悲しそうな顔になる。


 なんで? 何も話してないから僕が悪いのかぁ。


「わかった。じゃあ、話しよ」

「あのね。さっきから私、ずっと待ってるのよ。その為にこっちのお部屋にわざわざ来てるんだからね」

「そやな。ごめんな」


 えー、なんで僕が謝らなあかんのや。やっぱり僕が悪いのか? ちゃうちゃう。多賀先輩が悪いんや。そうに決まってる。後で文句言うたるからな。


「えーっと」

「えーっと?」


 あかん、パリーサの顔が近すぎて何にも考えられへん。えーっと、離れる方法は……。


「パリーサ、ちょっと外でも散歩しよか」

「外はもう寒くない? だから私はイヤよ」

「そうか、ほんなら一人で行ってこよかなぁ」

「ダメ! 私とお話するって言ったでしょ」


 いやいや、そんなん一言も言うてへんで。言うたんは多賀先輩や。


 ってことも言われへんしなぁ。早よ戻って来うへんかなぁ。助けて多賀先輩。


 よし、しゃーない。こうなったら強制返還や。


「そうや。明日の朝は出発早いし、今日はもう部屋に戻ったら?」

「それは無理よ」

「なんでや」

「なぜって、シィェンタイは分からないの? あの人達は今、二人っきりの時間を過ごしているのよ。それくらい、私だって分かるわよ……。もう大人なんだからね」


 ひえー、大人って確かパリーサはまだ17才と違ごたか。ちゃんと働いてるけど、ちょっと大人びてへんか?


「分かったわぁ。そしたら多賀先輩が戻ってくるまでお話・・しよか」

「さっきから、そう言ってるでしょ」


 わー、パリーサも膨れるんや。なんか可愛い表情やな、って思たらあかん。ここは冷静に……。


「そしたら……、パリーサは何しにカシュガルへ行くんや?」


 おお、ええ質問や。そうや、コレを聞きたかったんや!


「そうね、それは……。シィェンタイが喀什カーシー(カシュガル)へ行くって言ったからよ」

「ほんなら何で僕と一緒にカシュガルへ行くんや?」

「だって、私達は夫婦になるって言ったじゃない」

「えー!!!」


 ちょっと待ちーや。僕はそんなん言うた憶えはないで。いつの間にそんな事になってるんや。なんでや!


「そ、そんなん、言うてないで」

「言ったわよ」

「いつ? 何処で?」

吐鲁番トゥールーファン宾馆ビングァン(トルファンホテル)でよ」

「いつよ?」

「洗濯してた時に言ったじゃない。忘れたの?」


 へ? 結婚の話しってしたっけ。そりゃ結婚はしてへんとは言うたけど、そんなん夫婦になるやなんて言うた事はないで。そもそもそんな気も無いのに……。


 僕はあの時の事をいろいろ思い出してみる。そやけどやっぱり心当たりはあらへん。


 英語の聞き間違え? それとも言い間違え?


 いやいやそんな複雑な英語は話してないし、第一そんな難しい英語は話されへんわ。そやけどもしかして……、唯一可能性がある言葉と言えば……。


「あの時、洗濯を手伝うてくれたから『お礼をする』とは言うたけどな」

「でしょう。そう言ったじゃない。だから私は结婚ジェフン(結婚)してくれると思ったのよ」

「なんでそうなるんや。あれはただ『token of my gratitude(感謝の気持ち)』をあげるって言うただけやで」


 どう意訳したら「結婚します」になるんや?


「だってそう言うことじゃない。私にとっては『结婚』を『give』だったのよ。だから……、私は嬉しかったのよ。とても、とても……」


 嬉しかったって言われてもなぁ。もーなんか面倒臭い事になってしもたぞ。どうしたら誤解を解いて諦めてくれる?


「そやけど結婚は無理やで」

「そんな事を言われても今頃遅いわよ」

「なんでや」

爸爸パーパ(お父さん)や妈妈マーマ(お母さん)にも言ってきたわよ」

「なんて?」

「私達、結婚しますって」


 あちゃー。どこをどうしたらそういう結論になるんや。


「そやけど、僕らってちょっとホテルで会うて話しただけやん。たまたま」

「……」


 パリーサは俯いて黙ってしもた。

 

 ほら、結婚する理由がないやん。そやけど早う戻って来てくれへんかな、多賀先輩。


「でも……」

「友達で居ったらええやん」

「友達じゃないよ。私は初めてシィェンタイを見たときから好きになったのよ。あなたの目を見てたら、あなたしかいないと思ったの」


 そう訴えてきた顔は泣きそうな表情やった。思わずパリーサに同情しそうになってしまう。


 あかん。ここはなんとしてでも諦めてもらわな。厳しいけどトドメの一発。


「それにな、パリーサ……」


 今にも泣きそうになってる。そんな目で見つめんといて。


「僕はカシュガルに行った後、パキスタンへ行くんや」

「えっ! 巴基斯坦パーヂースータン

「そう、パキスタン」

「ええ、シィェンタイの旅行は新疆シンジィァン地区だけじゃないの?」

「違うねん。パキスタン行って、そしてイラクへ行くねん」

伊拉克イーラークェァ……」

「そうや、イラクが最終目的地や」

「どうしても行くの? 私は行って欲しくないよ。新疆だけじゃダメなの?」

「それは無理やわ。僕の旅の目的がそうやから」

「それでも……、行かないでよ」

「僕は行かなあかんねん」

「どうして……。そんなの、そこへは私、行けないよ」


 パリーサの目から涙が溢れてきた。


「シィェンタイに付いて行けないよ。なのに、どうして……」


 そのままベッドに伏せると声を出して泣き始めてしまう。ウイグル語か中国語でなんか言うてたけど僕には分からへんかった。

 女の子を泣かすのは不本意やし、慰めて上げたいけど今はそれができへん。僕も我慢してる。


 パリーサの身体をグッと抱きしめたい気持ちを堪えて、僕は多賀先輩のベッドに移動し壁にもたれてパリーサを見守る。それしかできへんわ。


 ごめんな、パリーサ。


 どれくらい泣いてたか分からんけど、パリーサが静かになってから僕の記憶は無くなってた。

 ハッとして目が覚めると、パリーサは泣き疲れて寝てた。目は泣いて腫れてたけど、今は穏やかな表情をしてる。寝顔も可愛らしく思う。


「パリーサ」


 声を掛けたけど反応は無い。暫くそっとしとこうと思い、パリーサの身体に多賀先輩のベッドの毛布を被せる。


 僕は多賀先輩のベッドで横になり、パリーサの寝顔をだまって眺めてた。



 つづく

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