78帖 14時間の行程の後に

『今は昔、広く異国ことくにのことを知らぬ男、異国の地を旅す』



 やっと阿克苏アークェァスー(アクス)に到着し、僕らはバスを降りた。

 到着は最後のお祈り休憩から2時間後の11時前やった。およそ600キロの道程を休憩も入れて14時間で移動した事になる。空を見上げると雲はなくなり、満天の星空が広がってた。


「何が『あと1時間』やねん。倍ほどかかっとるがな」

「ですよねー。そやけど今日は長かったっすねー」


 身体を伸ばしながらそう言うたけど、僕は乗り物に乗ってたら苦にならへん質や。ただ身体は正直で肩や腰、それにお尻が痛い。僕でさえ身体がギシギシするのに、おっちゃんやおばちゃん、それに足の不自由なおじいちゃんはもっと大変やろなと心配してしもた。

 そやけど、こんな旅に慣れてるんやろか、バスを降りた皆は意外とケロっとしてたのには驚いた。タフや。


 更に驚いたのは、明日の出発時刻は6時やと社長が言うてる。ほんでも文句を言う人は誰も居らん。唯一不服そうな顔をしてたんは、やっぱりパリーサやった。


「私、6時に起きられるかなぁ」

「6時に起きてたら間に合わへんで」

「そうだよね。これは大変だー」

「なんや、パリーサは朝が苦手てか?」

「いつもは苦手じゃないけど、明日の朝が心配で、夜はなかなか寝付けない……。それとホテルで寝るのには慣れてないから」

「心配すなよ。明日の朝、ちゃんと起こしたるがな」

「ほんとに!」

「大丈夫や。置いて行かへんよ」

「でもなんか心配……」


 ほんまに旅慣れてへんみたい。少し可愛そうに思てしもたけど……、


「そしたら付いて来んかったらよかったやん」


 と思い直した。

 そう言うてる間におじいさんをバスから降ろす事になり、皆で運んで荷車に乗せる。


 バスターミナルは、既にたくさんのバスが留まってた。昨日の库尔勒クーミィラ(コルラ)ほどの賑わいは無かったものの、飲食店や屋台はまだまだ大勢の人で盛り上がってる。


 取り合えす宿の確保や。僕らはターミナル前の大きな旅社へ向かう。僕と多賀先輩とパリーサの3人で歩いてたら……後ろからもう一人、汉族ハンズー(漢族)の女の子も付いて来る。


「ええやろ。一緒に泊まらしたってーや」


 と多賀先輩が言う。


 なるほど、そういうことね。仲良くしてたたもんね。


 多賀先輩によると、その女の子の名前は林雪梅リンシュェメイさん。19歳らしいけど僕より年上に見える。喀什カーシー(カシュガル)の手前の阿图什アェトゥシェン(アルトゥシュ)に帰る途中らしい。林さんは「リンさん」やけど、僕は日本風にはやしさんと呼ぶ事にする。


「ええっすよ。夜も遅いしね。パリーサも居るし丁度ええんとちゃいますか?」


 とパリーサの方を見ると、「ええよ」みたいな感じで頷いてる。


 因みにこの林さん、中国語しか話せへんみたい。多賀先輩はいちいち筆談で話してたし、またその熱心な様子を見るとよっぽど気に入ったみたいや。


 旅社に入ると、僕らより後に入ってきたバスの乗客が既に受付に並んでる。僕らの順番になって部屋の空きを聞いてみると、もう大部屋は埋まってるみたい。

 そやし二人部屋と四人部屋しか無いとか。二人部屋は一室25元で四人部屋やと45元。ほしたら大部屋はいくらなんやろと疑問も残ったけど、僕らとしては安いほうがええし、パリーサにどうするか聞いてみる。

 パリーサと林さんは相談して、安い四人部屋にする事に決まった。


 それで四人部屋を頼むと、受付のおっちゃんは中国語で何かを出せと言うてるみたい。それで僕らはパスポートかなと思て出してみたけど、今度はおっちゃんが困った顔をしてる。どうやらパスポートでは無いみたい。


 そこでパリーサが代わりに応対してくれる。暫くやり取りがあったけど、どうやら二人部屋にしてくれと言う事みたいや。


「四人部屋はダメなんだって」

「なんであかんのや」

结婚证书ジェフンヂォンシュが無いと、男女が同じ部屋には泊まれないのよ」

「结婚证书って何や」

「夫婦の证书よ」

「ええ! おまえなんて言うたんや」

「私達は夫婦だから、一緒の部屋でいいよって言ったの。そしたら疑われたみたいで证书を見せろって。それは無いと言ったら、『一緒には泊まれません』だって」

「アホか。なんちゅう事を言うねんなぁ」

「それやったら、兄弟姉妹って言うといたら良かったのになぁ」


 って多賀先輩、それは無茶でしょう。どう見ても兄弟ちゃいまっせ。


「そやけど、そしたら二人部屋にしよか……。そんなに値段、変わらへんし」


 つまり夫婦でない男女は同じ部屋に泊まらせて貰えへんって事みたいやね。とんでもない事を言うたパリーサの事はさて置き、僕らは男女別々に、それぞれ二人部屋に入る事にする。


 いろいろあんねんぁと思いながら部屋へ行き、荷物を整理してベッドに横になる。流石にゴミは落ちてへんけど、決して綺麗とは言い難い部屋や。一応トイレとシャワーもある。これで25元やったら大部屋はめっちゃ安そうに思えた。


 背伸びをすると気持ちよかったけど、お腹が空きまくってる。


「多賀先輩、晩飯行きましょか?」


 多賀先輩はベッドに横になり、目を瞑ってる。


「そうやなー。どないしょうかなぁー」

「食べへんのですか?」

「いや、お腹は空いてんねんけどなぁ、横になったら面倒くさなったわ」

「ほな何か買うて来ましょうか?」

「おう、頼むわ。えーと、シシカバブーとビールで。あとは適当に……」

「分かりました。行ってきますわ」


 僕はパリーサ達を誘う為に隣の部屋へ行き、ドアをノックする。聞こえてきたんは林さんの声。パリーサを呼んでみたけど返事はない。代わりに林さんが何か言うてたけど中国語で判らんし、ドアも開けてくれへん。パリーサはシャワーでも浴びてるんやろか。


 しょうがないし一人で旅社を出て、まず向かいの屋台でシシカバブーを買う。その近くの饅頭マントウ屋で包子バオズ粽子ゾンズー(中華ちまき)とビールを買うた。


 そうやパリーサ達の分も買うてったろ。


 と思てあと二人分追加した。


 パリーサの部屋に持って行くと、今度はパリーサだけが部屋に居る。水の音からすると林さんはシャワー中みたいや。包子と粽子とコーラを二人分渡すと、なんか笑ろてたけど、


「ありがとう」


 と言うて、パリーサはドアを閉めた。


 部屋に戻ると、多賀先輩は寝てたんで叩き起こす。買うてきたもんを渡すと、ゆっくり起き上がり、ほんで包子を眺めてる。


「おおきに」

「温かいうちに食べて下さい」

「おお。そやけど腹減ってる割に、なんか食べるきせえへんなぁ」

「大丈夫ですか。体調でも悪いんですか」

「いや、そうやないんやけどなぁ」


 まぁそんな多賀先輩はほっといて、僕はめっちゃ腹減ってるし、包子にかぶりつく。肉汁のないパサパサした肉やったけど美味しく感じる。


「俺、ちょっと林さんとこ行ってくるわ」


 そう言うと多賀先輩は、僕が買うてきたもんとメモ帳を持ってそそくさと部屋を出ていってしもた。

 裸電球一つしか無い部屋は、シーンとして寂しなってしもたけど、早よ寝たかったんでひたすら食べる。包子を食べ終わり、ビールを飲んでたら、ドアをノックする音が聞こえる。返事をすると、食べかけの粽子と包子を抱えたパリーサが入ってきた。


 えっ! 何でパリーサが……。


 僕が戸惑ってると、ニコニコしながら向かいの多賀先輩のベッドに腰掛け、ほんで僕の方を見てる。


「何? お話って」

「へっ?」

「ドゥォフゥァさんが、シィェンタイが私を呼んでるって言ってたのよ」


 ええー、呼んでへんのに。どういうこっちゃ。


「何か話があるって言ってたけど、何のお話?」


 パリーサはニコニコしてる。


 分かった! 林さんと二人っきりになりたいし、適当な事を言うてパリーサを追い出したんやな。なんちゅう人や多賀先輩は。


 まぁ聞きたい事が無い事は無いけど……、ゆっくりしたかったなぁ。


「まー、先に食べたら」

「うん、そうするわ」


 食べかけの粽子を美味しそうに食べる。僕だけシシカバブーを食べるんも悪い気がしたんでパリーサに1本あげると、物凄く嬉しそうな表情をしてた。

 食べながらもパリーサは僕をずっと見てる。一人で食べるよりマシやけど、じっと見られるとなんか緊張するわ。


 さっさと食べて僕は横になる。横目でパリーサを見ると、食べながらまだ僕の方を見て、何か話してくるのを待ってる様や。時計を見ると既に日付が変わってた。そやけど現地時間では、まだ10時過ぎや。

 なんとなくメモ帳を出し、今日あった事を記録しながら、変な空気を誤魔化す。多賀先輩が早よ戻って来うへんかと期待してたけど、それより先にパリーサは食べ終わり、片付けをして、いよいよ本気で僕の方を見てくる。


 もうあかん……。


 僕は諦めて身体を起こしパリーサと向き合う。ビールを飲んだのになんか緊張してもて酔は全然回ってこうへん。


 パリーサは、僕が話し出すのを今か今かと待ちわびてる様子やった。



 つづく

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