吐鲁番→喀什噶爾(カシュガル)

75帖 砂漠の旅路

『今は昔、広く異国ことくにのことを知らぬ男、異国の地を旅す』



 最後に乗り込んできた乗客に、僕は声を掛ける。


「なんでここに居るんや?」

「私、喀什噶爾カーシェンガーェァ(カシュガル)へ行くのよ。うふふ」


 頭にはピンクのスカーフを被り、薄黄色いワンピースに紺のスラックスを履いてる。肩から白いカバンを下ろして僕の前の席に座った。

 最後の乗客は……、なんとパリーサやった。


 後ろを向き、僕の顔をじっと見てニコニコしてる。

 バスは既に動き出してる。なんでここにパリーサが居るんやと、僕は少し混乱してた。


「し、仕事はどうしたんよ」

「お休みを取ってきたのよ」

「何しに行くん?」

「喀什噶爾に行きたいのよ。ただそれだけよ」


 と言うと前を向く。


 今日のこのバスに乗ると言うてしもた事があったなぁと少し後悔してたら、後ろから多賀先輩が僕の肩を叩いてくる。


「その子って、ホテルに居った子とちゃうの?」

「そうですよ。パリーサって子です」

「お前が誘ったんか?」

「いえいえ、何を言うてるんですか。ちゃいますよ。勝手に来ただけですよ」

「ほんまか?」

「そんなん誘う訳、無いですやん」


 何で来たんやろと疑問に思たけど、聞いたら喧しなると思たし、聞かんとそっとしとく事にする。


 そやけど少し気になる事もある。カシュガルへ行くのに親は許可をしたんやろかとか、旅費はどうしたんやろかとか、女の子の一人旅って危なくないんやろかとか、パリーサの身の上を心配してしもた。


 まさか僕らについて来たんと違うやろなぁ……。


 というのんが一番の心配事やったけどね。それを聞くのは恐ろしくて、やっぱり聞くのを止めといた。


 バスが市街地の並木道を抜けると、一気に視界が広がった。

 遠くに見えるんは交河ジャオフェァ故城グーチォンやろか。高昌故城ガオチャングーチォンより城壁や遺跡がしっかりと残ってそうやし、ここも見に来といたらたらよかったと思た。

 窓を開け望遠レンズで写真だけ撮る。もし、また来る事があったら是非行ってみたいと思う。


 それを通り過ぎると砂と石混じりの大地が広がってくる。所々に背の低い草が生えてて、その草の所には羊の群れが居って、羊飼いが見張りをしてる。郊外は放牧地になってるみたいやね。


 そう言えば、今まで羊をいっぱい食べてきたなーと思ってたら、今年は未年やちゅう事を思い出す。羊の年に、未年生まれの僕が羊ばっかり食べてる。なんか変な係わりを感じてしもたわ。


 朝早く起きたし、バスに揺られると眠気が襲ってくる。そやけど道が荒れてるせいで時々バスが激しく揺れる。そやさかい、そう易々と眠るは出来へん。僕は、ぼーっとしながら外の景色を眺めてた。

 30分おき位にオアシスが現れる。そのオアシスとオアシスの間では、やはり羊が放牧されてた。


 多賀先輩を見ると激しい揺れの中でもしっかり眠ってる。パリーサはどうしてるかと言うと、後ろを向いて僕と話したそうにしてるけど、バスが揺れるし座席に捕まってるんが精一杯、という感じやった。


 ひたすら同じ様な景色の中を走り、暫くすると小さなオアシスの町に着く。

 ドライブインみたいな所で休憩になったけど、誰も降りへん。多賀先輩は寝てるし、パリーサも、他の乗客もぐっすり眠ってた。

 しばらく停車してると、漢族の夫婦が乗り込んで来る。どうやらここはバス停の様や。夫婦二人が乗り込んだ事で、このバスの座席はほぼ満席になる。暫くするとバスはまた走り出した。


 オアシスを抜け、バスは坂道を登り始める。前方には遠くまで山が続いている。天山ティェンシャン山脉シャンマイ(天山山脈)や。

 上り坂はそんなにきつくないけどバスはゆっくりしか走らへん。途中、大型バスやトラックにも抜かれてった。

 高度を増すと、空気は少しずつ冷たくなってくる。エンジン音はうるさいけど、スピードは全然出てない。それでも峠を越して降りに差し掛かると、急にスピードが出た。

 峠を越えたという事は、このルートがいわゆる「天山南路ティェンシャンナンルー」に入ったという事や。バスに乗ってるとはいえ、シルクロードを順調に進んでると思うと少し嬉しくなってきた。


 坂を下り終わると小さなオアシスの村があって、バスはそこのドライブインに入りエンジンを止めた。ここで昼飯休憩をとるらしい。

 僕は多賀先輩を起こして飯を食べに行こうと誘う。パリーサは既に起きてて、カバンをゴソゴソしてる。

 僕がバスを降りようとしたらパリーサが声を掛けてくる。


「シィェンタイ、お願いがあるの」

「おお、一緒に食べに行くか?」

「そうじゃなくて……」


 いつもは図々しく遠慮のかけらも見せへんのに、今のパリーサはなんかしおらしく見えた。


「どうしたんや?」

「えーと……、お昼ご飯を買ってきて欲しいの。私はバスの中で食べるのよ」

「なんでや、一緒に食べに行ったらええやん」

「そういう訳にはいかないのよ。女性は食堂では食べられないの」

「なんやそれ」

「そういうルールだから……」

「ああ、またあのルールかぁ」


 これってムスリム社会の決まりなんやろか。そういえば漢族の女の子やおばちゃんは降りて行ったけど、ウイグルのおばちゃん達はバスの中に座ったままや。

 パリーサは困った顔をしてるし、しょうがないなぁと思う。


「わかった。ほしたら買うてきたるたる。何食べるんや?」

「シィェンタイと一緒でいいわ」


 と言うて僕に5元を渡してきた。それを受け取り、多賀先輩の後を追っかけた。


 僕らのバス以外にも3台ほどバスが止まってて、そこから降りて来たお客で食堂はごった返してる。カウンターで注文をしよと思たけど、皆が我先にと争ってたんでなかなか注文が出来へん。

 メニューは無いけど客はそれぞれ注文をしてる。注文をなかなか聞いてもらえへんかったけど、厨房のおっちゃんと目が合った時に、


「ラグメン、三つ」


 と大きな声を出すと、おっちゃんは頷いてお金を受け取り、お釣りを渡してくれた。一つ3元やった。


 出来上がったラグメンとお箸を持ってバスへ行き、パリーサに渡すと、


「ありがとう」


 と言うて喜んで食べる。

 僕は多賀先輩と店の外のテーブルで食べた。トマトとピーマンが入った太麺の焼うどんみたいな料理で、もちもちとした食感はよかったけど唐辛子の味付けがめっちゃ辛くてなかなか食べられへん。

 安い値段で食事が出来るのはええけど、一つだけ気になったんが「お箸」や。お箸は洗ってあったけど、なぜかベトベトしてる。脂っこいラグメンを何回もこの箸で食べたんやろなーって分かるほどべたついてた。自分の箸を持ってくるべきやったと思た。そやけど面倒くさいんで我慢して食べた。


 食べ終わってパリーサのとこへ行ってみる。パリーサはすでに食べ終わってて、満足そうな顔をしてた。


 助手のおっちゃんは、全員が戻ってきた事を確認すると運転手に合図をし、バスは再び走り出す。

 オアシスを抜けるとまた急な上り坂になる。さっきよりもバスはゆっくりと坂を登って行く。やっぱり後ろから来た大型バスに抜かれた。

 峠を越え、下り坂に差し掛かるとバスのスピードは速くなる。カシュガルまでのおよそ1500キロを無事に走るんかどうか心配になってきたわ。


 ところが、坂を下り終わった何にも無い平坦なとこでバスは急に止まる。


 やっぱり壊れたか!


 と思ってたら、ウイグルの男の人達は皆バスを降りる。もちろん運転手も一緒に。

 僕は窓から外の様子を見てた。ウイグルの男たちは西の方を向いて跪き、お祈りを始めた。1日に5回あるイスラム教のお祈りの時間になったんやと理解した。


 移動中でもお祈りの時間は止まるんやな。


 そやけどやっぱり女の人はその時も外に出へんと車内でお祈りをしてた。パリーサはと言うと、お祈りもせんとぐっすり寝てた。


 多賀先輩は、


「何で止まるねん」


 と文句を言うてたけど、僕はこれってしょうがない事やんと思て黙ってた。人それぞれ信じるもんがあって、その決まりに則ってるんやから、それはそれで尊重せなあかんと思てる。まぁ、結構面倒くさいなぁと思う事はあるけどね。


 ウイグルの男達が戻ってくるとバスは再び走り出す。

 右手には5000メートル位の山が見える。やっぱり頂きには雪渓があった。

 左を見ると延々と続く砂漠や。砂漠と言うても、童謡「月の沙漠」みたいなイメージではなく、岩がむき出しになってる所が殆どや。作詞をした加藤まさをは、千葉県御宿町の御宿海岸を歌のモデルにした言われてるんで、その違いはなんとなく理解できる。でもやっぱり砂だらけの「砂漠」は見てみたいもんや。

 因みに、夕刻前にもう一度お祈りのためにバスは停車した。


 幾つかの峠を越え、太陽が地平線に沈みかけた頃、バスは大きなオアシスへ入る。

 そこは今日の宿泊地、库尔勒クーミィラ(コルラ)の街やった。



 つづく

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