74帖 朝靄のバスターミナル
『今は昔、広く
ホテルの部屋に戻ってくると多賀先輩はベッドで横になり、本を読んでた。
「ただいまです」
「おう……」
多賀先輩は僕の表情を読み取ったんか、その一言だけ言うと後は何も喋ってこんかった。多分、僕は浮かへん顔をしてたと思う。
荷物を置くと直ぐに服を脱ぐ。シャツやジーパンのポケットからは細かい砂が大量に出てくる。
シャワーを浴びると髪の毛からはの茶色い水が流れ落ちた。体中の砂を洗い落とすと、僕はそのままベッドで横になる。
深い溜息を漏らし天井を見てると、さっきの事が頭に蘇ってくる。
建萍と
出口付近には人集りがあって、その中に
僕はアイツらが通報して来てたんやと直ぐに悟る。僕はそれを無視して通り過ぎ様としたら民警に呼び止められる。
中国語でいろんな事を聞かれたけど僕は分からんフリをしてた。そやけど
ほんまはアイツらが先に手を出したのに……。
建萍が間に入りいろいろと交渉してくれたけど、民警は建萍の言うことは一切聞かへんかった。僕は周りにいた日本人の旅行者にも事情を話したら、僕は悪くないと民警に訴えてくれた。
余り大勢が文句を言うもんやさかい、民警は
それは「絶対に行ったらあかん」と、皆が言うてたんで僕はそれを拒否すると、民警は罰金30元で許したると言うてくる。30元で助かるなら安いなと思た。
すると旅行者の中で旅慣れた人が領収書を発行しろ言うてくれる。すると民警は困った顔をして直ぐに、
「もういっていいよ」
と言うて帰って行った。
なんでやろと思てたら、
「あの30元は罰金でもなんでもなくて、後でポケットマネーにするつもりや」
と旅慣れた人は言うてた。難癖つけて旅行者から金を巻き上げる所を何度も見た事があるらしい。
無事に解放されてホッとしたけど、なんか後味の悪い出来事やった。
その後、迎えに来てくれた建萍のおじいさんに、トラックに乗せて貰ろてホテルまで帰ってくる。
別れ際、座席にいた建萍に、
「さよなら」
と言うと、建萍は、
「
と笑顔で言うてくれた。そやけど、その目はどこか悲しそうに見えた。
その顔を思い出してるとめっちゃ辛くなってきて、それを忘れる為に僕は目を瞑った。やっぱり多賀先輩とは一言も喋らんかった。
6月4日火曜日、朝の6時半過ぎ。
僕が起きると多賀先輩も起きてくる。荷造りを早々に済ませチェックアウトをしてホテルを出る。
昨日の砂嵐は過ぎ去ってたけど、街の中はいたる所に砂が積もってた。車が通るとその砂が舞い上がり、目に入ると痛い。
薄明の中、歩き慣れた街の姿を頭に刻み込みながらバスターミナルへ向かう。
途中、
7時半にはバスターミナルへ着いた。太陽が昇り、空中を待ってる砂埃が朝靄の様に照らし出される。
そこはたくさんのバスと旅行者で既に賑わってた。ほとんどがウイグルで漢族も少し居るみたい。数は少なかったけど服装で一番目立つんが欧米系の旅行者。各自の目的のバスを探して彷徨いてる。
僕らは売店で朝食用のナンとヨーグルトを買うて、
「このバスはカシュガル行きですか?」
「そうだ。チケットを持ってるか?」
僕と多賀先輩はチケットを見せる。
「よし、これに乗れ。出発は8時だ」
「おおきに」
バスに乗り込むと誰一人乗っておらず、僕らが一番乗りやった。
バスは30人乗りぐらいのマイクロバスを少し大きくした様な車で、前の方は一人用の座席で、二人がけの椅子は後ろの方にある。席の指定は無いみたいやし、僕と多賀先輩は一人用の座席にそれぞれ座る。座席の横にリュックを置いてナンを食べた。
じっとしてると寒くなるぐらい朝のトルファンは冷える。8時前になっても乗客は僕と多賀先輩しか居らず、誰も乗って来んかった。
ほんで心配になった僕は、ウインドブレーカーを着て外に出てみる。さっきバスの傍に居ったウイグルのおっちゃんの姿は見えへん。
どこ行ったんやろ。まぁ、バスはあるさかい、置いてけぼりにはならんけど……。
僕はバスの前でタバコを吸うて時間をつぶす。
8時を過ぎると一人二人と乗客がやって来る。その乗客に、
「カシュガルへ行くのか」
と聞くと、
「そうだ」
と言うてる。とりあえずこのバスに乗ってたらカシュガルに行けると、少し安心できた。
時間通りには出発せえへんのとちゃうやろかと思てたけど、それにしても遅い。
のんびりし過ぎとちゃうか!
8時半前にやっと5人目の乗客がやってきた。漢族のおっちゃんで大量の荷物をバスの屋根の上に載っけてる。行商人の様や。
それにしても遅い。バスの中へ戻ると多賀先輩はじっと本を読んでた。
「多賀先輩。出発の8時ちゅうのんは、もしかしたら現地時間とちゃいますかね」
「そやな。そしたら2時間も早よ来たって事かぁ」
「そうなりますね。まだ1時間以上ありますし、どうします?」
「そやかてなぁ……、どっか行っててバスが出てしもても困るしなぁ。俺はバスの中に居とくわ」
「ほんなら僕はちょっと出てます」
僕はまたバスの外に出て周りを見渡す。太陽は昇り、少しずつ日差しがきつくなってきた。
バスから少し離れたとこへ移動し、なるべく目立つ様に立って辺りを見回す。
もしかしたら建萍が見送りに来てくれるかも知れん……。
と期待していた。
僕の頭の中には、建萍が砂嵐の高昌故城で言うた、
『日本人になりたい……』
という言葉がまだ引っかかってた。それ以来その事については一言も話してないし、僕はその言葉の真意も分かってない。それどころか、民警との一件から建萍とは殆ど話ができてない。お互いに黙ってた。
建萍ともういっぺん話しがしたい。それに8月25日の事もまだ返事をしてへんやん。
そやけどそんな僕の思いは叶わんかった。
北京時間の9時45分、つまり現地時間の7時45分にウイグルのバスの運転手と助手の漢族のおっちゃんがバスに乗り込んだ。
そろそろ出発やな。やっぱり出発時間は現地時間の8時やったんや。
僕もバスに乗り込む。乗ってからも僕は窓から建萍の姿を探す。
もしかしたら僕が乗ってるバスが見つからんと困ってるかも。
と心配して……。
バスの中はまだ15人ぐらいしか乗ってなかった。ほんで出発の5分前になって、ウイグルの家族が乗って来る。足の不自由なおじいさんと、多分その息子達と、その嫁さんぽい人の総勢6人。その息子達も年老いてるから、おじいさんは結構な歳やと思う。
すると助手の漢族のおっちゃんは人数を数える。ほんで困った顔をしてる。まだ人数が足りひんのやろ。
出発時間ぎりぎりになって欧米系のバックパッカーの男二人組と漢族の女の子が一人乗って来る。助手のおっちゃんは、
「あと一人や」
と運転手に合図をしてる。もうすぐ出発やな。
そやけど出発時間を過ぎたのに、最後の一人がまだ乗って来うへん。僕は「早よ来いや」という気持ちと「まだ出発して欲しない」という気持ちが入り交ざって複雑な思いやった。
出発時間は知ってるはずやし、もしかしたら建萍が見送りに来てくれるかも。
と少し期待した。
暫くして、外に出てた助手のおっちゃんが乗って着てエンジンが掛かり、前の扉が閉まった。いよいよ出発や。
やっぱり建萍の姿を見る事は無かった。昨日、ホテルの前で別れたんが最後になってしもた。それやったら、ちゃんと話しといたら良かったと後悔し、寂しさが込み上げてきた。
そして最後の乗客が後ろのドアから乗り込むとドアは閉められ、エンジン音が高鳴る。
僕は後ろを振り返り、最後に乗ってきた乗客を見る。思わず二度見をしてしもた。
見覚えのあるその顔は、笑顔で僕を見てた。
つづく
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