72帖 異邦人
『今は昔、広く
入場門を入ったところにロバ車が待機してて、
「建萍。どうする、ロバ車乗る?」
「歩く、行きましょう。私、大丈夫」
「そしたらのんびり行こか。時間もたっぷりあるしね」
「はい」
建萍はロバ車のおっちゃんに断りを入れてくれた。
朽ちかけた城壁に沿って二人で歩いて行く。朽ちかけたというのは誤りで、ほぼ朽ちてる状態の城壁や。レンガに土が盛ってある塊で、日本の城や万里の長城の様な立派なもんではない。「故城」と言われへんかったらただの廃墟にしか見えへんわ。
道はでこぼこで、所々に草が生えてる。ここはかつての王城やったらしい。高昌国がいかに栄えていたは、その様子を想像する事は僕にとっては難しい。それくらい荒廃が進んでいて簡単に言えば「何も無い」とこや。
遠く彼方1キロほど先に大きな構造物が見えるんで、そこへ向かって歩く。漢族の観光客が乗ったロバ車が追い越して行った。
なんか楽そうやなぁ。
僕らの前を団体さんが歩いてるんで、その後を付いて行く。
そやけど、とにかく暑い。日差しをさえぎるものは何もなく、時折砂混じりの温風が吹いてくる。僕は目をこすりながら建萍の方を見ると、ニコニコしながら付いてくる。そやし、手を繋いでも大丈夫なんかなぁと思い、僕はすっと手を伸ばすと、建萍は一瞬悩んだ様な顔をしたけど、すぐに笑い僕の手を握ってくれた。
やった!
僕らは手を繋ぎながら廃墟を歩いた。手を繋ぐ事によって暑さから気は逸れたけど、逆にちょっと緊張してしもて何も喋れずに歩いてる。横目でちらっと建萍を見ると、建萍もこっちを見て微笑んでくれた。
ここが高昌故城であろうとどこであろうとどうでもよくなったわ。まだまだ言葉は通じへんけど、二人でここを歩いてるだけで気持ちは充実する。
その充実感がまた違った感情を呼び起こしてくる。
お互い違う国で生まれ育った二人が偶然出会い、悠久の時間を超えて存在するこの故城で、今、同じ時を過ごしてると思うだけで、何とも言えん人生の面白さを感じたわ。
こんな事も考えてた。
僕が男で、建萍が女である事も偶然やったんやと思う。もし僕が男でなかったら、こうして建萍とここを歩いてる事は無かったやろなと。
確かに建萍は美しくて可愛いし、できれば二人で身も心も溶けるような甘い時間も過ごしてみたいとも思う。建萍も僕に興味を持ってくれてる。でも今はそんな事はどうでもよくて、こうやって偶然出会った二人が同じ時間を共有してる事が絶対やと思た。
高昌国の麴文泰王と玄奘の出会いもそうであったに違いないと思た。それは、ここがかつてシルクロードの中継地として栄え、そして幻と消え去った場所やからそう思たかも知れん。
因みに、玄奘がインドから帰国する際には、麴王の高昌国は玄奘の祖国である唐に滅ばされた後やったらしい。なんとも居た堪れない感じや。
それを考えると、僕と建萍の出会いもいつか終わりが来るんやと思い始める。
そうや。火曜日には……。
そう思うと、僕は急に建萍の写真が撮りたくなる。
「建萍、写真撮らせて」
「はい」
僕は土塀の傍へ建萍を連れてって立たせ、離れてファインダーを覗く。建萍はレンズを見てる。
やっぱりなんか違うと思て、向こうの廃墟を見てくれと指示をだす。そうすると建萍の視線が遠くなり、横顔が見えていい感じになった。
建萍は横顔が素敵や。被写界深度を浅くすると、土塀の黄土色と空の青を背景に建萍の白い肌が浮かび上がる。僕はシャッターを切った。
影も欲しい。次は建萍を連れて廃墟の方へ向かう。
ここは昔、
その入口に建萍を立たせる。太陽の光と建物で出来る影を利用して建萍の魅力を引き出す構図を探る。レフ板と三脚があったらもっとええ写真が撮れるのにと思たけど、無いもんはしゃあない。
建萍は、特に指示はしてへんのにいろんな表情を作ってくれる。笑顔やったり、物思いにふける顔やったり、ちょっとムッとした表情とか驚いた顔やったり。
モデルの経験があるわけでもないさかい、その表情は演技をして作ってる訳でなく自然に出たもんやと思う。
とすると、建萍はいったい何を考え、何を思て写真に映ろうとしてんのやろと疑問に感じた。そやけど、それを聞くの野暮やし、ファインダーの中からその答えを想像する事にした。
どんどん場所を替えて撮影する。建萍は文句も言わず僕の相手をしてくれる。ただ一つだけ質問をしてきた。
「シィェンタイ、なぜ、わたし、写真とる?」
核心に触れる質問。一瞬ドキッとしたけど、僕は建萍が理解できんやろと踏んで、わざと日本語で答える。
「それは建萍が綺麗で愛らしい。そやから別れるのが辛い。今のこの時間が永遠には続かんから……」
建萍は黙って聞いてる。
「そやし今、僕と建萍がここで一緒に生きてた証拠、記録の為に撮ってるんかな」
建萍は少し考えた。
「しょうこ? きろく? ねー」
分かってないと思うけど、妙に納得した様な顔をして喜んでた。
更に移動しながら、ええロケーションを探す。移動の時は手を繋いで歩く。この手を繋いだ感触とか温もりもカメラで記録出来たらええのにと思たけど、撮れるはずはないし、それは「記憶」に留めるもんやと自分自身を納得させる。そやから余計にしっかりと建萍の手を握りしめた。
移動してる時に建萍は、僕がどんな処で生まれ、何をしてきたかを聞いてきた。僕は琵琶湖の側で生まれた時から大学を卒業するまでの生い立ちを、それもまた分からんやろうけど、わざと全部日本語で話す。それでも建萍は頷きながらずっと聞き入ってた。
分からんかったと思うけど、僕はそれでええと思う。逆に僕は建萍の生い立ちは聞かんとこうと思た。別れが辛くなりそうやったから。
とうとう一番南まで来てしもた。この辺までは観光客も来うへんし誰も居らん。風が幾分強く吹いてきてる。
城壁跡の向こうには広大な砂漠があり、所々に砂煙が巻き上がってる。渾身の一枚にもってこいのロケーションや。建萍に立って貰い、僕はファインダーを覗く。
風が横から吹き、髪の毛が顔に掛かる。この時、建萍は目線をレンズに合わせてくる。まるでレンズを通して僕の心を覗かれてる様な気がして少し怖かった。建萍の視線が怖いのでは無く、その後にやってくる別れが怖かった。
僕は思い切ってシャッターを切る。自然と写真のタイトルが頭に浮かんできた。
『異邦人』
その表情は何となく悲しそうな感じがした。
つづく
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