69帖 ドラゴンの赤い血
『今は昔、広く
昨日の夜は、ホテルに着くと直ぐに寝てしもた。夜中に多賀先輩が帰って来てなんか喋った様な記憶もあるけど、具体的に何を喋ったかは覚えてない。
今日は6月3日、月曜日。多賀先輩はまだ熟睡中や。
そーっと起きてシャワーを浴びる。それでも起きひんところをみると相当疲れてるみたいやね。
今日の装備は、カメラとレンズ、ガイドブックの地図とメモ帳とペン。タオルとサングラス。それと、古沢さんが
これらをサブザックに入れて背負い、多賀先輩を起こさん様に静かに部屋を出た。
外は昨日と同じ様に時々冷たくて強い風が吹いてくる。空は少し霞んでるけど日差しはきつい。ホテル前の道路は出勤途中の人が数人歩いてるだけで、タクシーの客引きはまだ無い。
いつもの所にいつものナン売り屋台がある。1つ買うて食べながら葡萄棚を目指す。5分ぐらいで着いた。
葡萄棚の木陰のベンチはひんやりとしてて、ちょっとお尻が冷たい。時間はまだ10時半や。現地時間の8時半。待ち合わせの9時には少し余裕があるし背もたれに頭を載せて目を瞑る。
今日は建萍と遺跡巡り。どんな服を着てくるんやろかと想像する。
やっぱり民族的な服を着てくるんかなぁ。そうやけど建萍は漢族との混血やって言うてた。そしたらどうなんやろ、ムスリムなんやろか?
それにしてもよう考えたら僕の服は大概やわ。ジーパンに赤白のストライプのシャツ。建萍に笑われへんやろか。まぁええけど。
それと今日は建萍の写真をいっぱい撮りたい。建萍の魅力をしっかり引き出して、ええ写真を作りたいと思てる。
そんな事を考えてたら、すぐ近くの大通りから車のクラクションが聞こてきて、
「シィェンターイ」
と言う建萍の声も微かに聞こえた。
通りには4トンぐらいのトラックが止まってて、窓から短剣屋のおっちゃん……やのうて建萍のじいちゃんが手招きしてる。
僕はサブザックを背負って走った。
窓の奥から建萍が手を振ってる。一番奥にはウイグルの知らんおっちゃんがハンドルを握ってた。
じいちゃんは、
「
みたいな事を言うてた。やっぱりウイグルでも孫の事は可愛いんやろな。
「シィェンタイ、のる、うしろ」
と、じいさんに言われ僕は荷台によじ登り、運転席の屋根をトントンと叩く。トラックは黒煙を吐きながら走り出した。
運転席後部の小さな窓を叩く音がする。その窓を覗くと、建萍は笑顔で手を振ってる。まるで少女の様にはしゃぐ姿は、お店での大人しい様子とは対照的でめっちゃ可愛らしいかった。
市街地を出た所でトラックは右側に寄って止まる。どないしたんかと思てると、座席から建萍が降りてきて、
「いっしょに、のる」
と言うて黒いショルダーバッグを放り投げ、荷台の縁に手を掛けてきた。大丈夫かなと思いながら、その手を掴んで引っ張り上げた。
「こんにちは!」
「こんにちは」
建萍はニコニコしてる。いつもの店の服装と違ごて今日はおしゃれをしてた。
長い髪を後ろで三つ編みにして紺の布をかぶってる。その紺が肌の白さを際立たせてる。赤を基調としたウイグルのワンピースは、ピンクや黄色、青などで模様が描かれてた。腕は半袖で、裾は短く、胸元は広くあいてる。鎖骨がなんとも色っぽくて目のやり場に困った。こんなに肌を出してもええんかと逆に心配になったわ。
思わず見惚れてたら、まだ座ってへんのにトラックは動き出しす。
「キャッ」
と叫んでよろめく建萍の腕を掴まえると、建萍も僕に掴まってくる。フラフラしながらもサブザックからタオルを出して荷台に敷き、そこへ建萍を座らせる。
「建萍、ここ」
「ありがと」
建萍は後ろ向きに腰を降ろし、その隣に僕も座る。街並みはどんどん遠ざかっていった。
トラックは減速し、大きな道路に入って右に曲がる。荷台の後ろに載ってた籠や農具が左側にずれると、建萍も僕の方に倒れかかってくる。なかなか落ち着けへんわ。
「ずっとつかまっててもいい?」
みたいな事を言うてくる。
「ええよ」
と言ううと、建萍は僕の左腕を両手でしっかり掴んだ。
間近でみる建萍はめっちゃ綺麗。化粧をしてるせいもあるけど、太陽の下で見る建萍は電球の明かりで見るよりも何倍も美しく、すーっと吸い込まれそうやった。僕は思わず顔を逸らしてしまう。
トラックは砂埃を巻き上げながら砂漠の道を東へ進む。
オアシスや葡萄畑の緑が所々にあるだけで、あとは黄色い岩と砂だけの大地。遠くに見える山には木々は無く荒涼としてたけど、その頂きには白く光る雪渓が見える。
久しぶりに見た山らしい山。
やっぱり山を見入るとワクワクするなぁ。あの山は登れるんやろか? 時間があったら登ってみたいわ。
トラックは、エンジンは唸ってる割にあんまりスピードは出てない。少しの登りでも減速してしまう。途中で壊れへんか心配になってくる。
それにちょっとした段差でも、身体が飛び跳ねてお尻が痛い。
「建萍」
「はい」
「
建萍はバッグからカンニングペーパーを取り出す。なんと3枚に増えてた。
「おじさん、です。おかあさんの……」
「おかあさんの兄弟ね」
「そう、そう。きょうだい」
「そやけど、このメモは誰が書いたん?」
「……、めも?」
「うーんと、この日本語、誰に、教えて、貰ろた?」
「あー。これ、おじいさんよ」
よく見ると、ウイグル語、中国語(簡体字)、それと日本語の発音を表記したようなアルファベットが書かれてる。1枚見せて貰ろたけど中国語はなんとなく分かる。でも、ウイグル語は憶えられそうになかった。
「シィェンタイ、わかる?」
「分からんわ。ウイグル、難しいわ」
「どうして? わかるよ。これ、にほんごよ」
「日本語は……」
僕はペンを出して、五十音をカタカナとローマ字で書く。
「これ日本語ね。ア、イ、ウ、エ、オ」
「ア、イ、ウ、エ、オ」
「カ、キ、ク……」
建萍は意外と上手に発音できる。次にカタカナで「ジィェンピン」と書いて見せた。
「これ、『ジィェンピン』です」
「わたし、の、まなえ?」
「なまえ、やで」
「おー、なまえ」
建萍はカタカナの自分の名前を写してる。
あれ? よう考えたら日本語でも「ジィェンピン」は「建萍」やん。
僕てアホやなと思た。
「これ、いいですか」
書いた文字を見せてくる。ちょっと「ジ」と「ン」の形がちがうけど、上手に書けてる。ちゃうわ、僕の手本が下手くそなだけやわ。
「建萍、上手やで。
建萍は喜んでた。次は何書こかなって考えてたら、建萍が、
「あれ、あれ」
と言いながら左の方を指差す。
赤い山が見える。遥か東の方へ続いてて、縦に縞々がたくさんある。
「
あれが
「あつい、あついよ……」
建萍は日本語と中国語を混ぜながら、火焔山の説明を一生懸命してくれた。
昔、この辺には
なるほど、ウイグルの昔話やね。こういう話ってその土地に行ってみんと聞けへん。まさか昔話が聞けるとは思ってへんかったんで、なんかめっちゃ得した気分や。
「わかる?」
「分かった」
とは言うてみたものの、やっぱり僕には「火山性の堆積層が隆起してガリー侵食された跡」にしか見えへん。でもこれはこれで興味深い。これほど綺麗なガリー侵食は初めて見たわ。延々と続く赤い地形はなかなか見応えがある。
僕は運転席の屋根を叩いてトラックと止めてもらい、降りて写真を撮る。もちろん建萍も被写体に入れて。
写真を撮り終わると、おじいさんが何か言うてる。それを建萍が翻訳してくれる。
「ベゼクリク千仏洞はあの火焔山の谷にある。あと30分」
という事やった。
いよいよ来たか!
期待度が高まる。
それにしても日差しはきつく、地面からの反射熱も半端ない。
風が吹いてへんかったら干からびそうやった。
つづく
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