66帖 女朋友
『今は昔、広く
せやった、せやった!
晩飯の時に明日の予定を考えようと言うてたし、次行かんかったら今度こそホンマの「嘘つき」呼ばわりされるわ。
僕は慌てて身支度をする。と言うてもメモ帳とペンを持ってシャツを一枚着込むだけ。夜のトルファンは涼しくなるしね。
ホテルの外へ出ると、太陽は今まさに沈もうとしてた。「タクシー、タクシー」と叫ぶ客引きを無視して歩く。
相変わらず風はきつい。もしかしたら一枚着込んだだけでは寒いかも。そう思いながらも、建萍の店に急ぐ。
昼間の喧騒はなくなり、街はいつも通りの夕方の雰囲気。所々の屋台では夕餉を楽しむ人の声が聴こえる。数台の夜行バスが屋根にたくさんの荷物を積んでターミナルから出ていく。バザールが終わり、故郷に帰っていく人たちやろか。
あの「ヂュゥァン」のじいちゃんも乗ってるかな。米は売れたんやろか。
路地を左に曲がる。
建萍の店の中はほぼ満席や。もともと15人ぐらいしか入られへんからすぐに一杯になる。今日もいつもの席で短剣屋のおっちゃんは飯を喰ってた。なんとなく今は目を合わせたくない気分やわ。
僕は空いてた一番奥の席へ、こそっと座る。
「いらっしゃい、ませ」
建萍は僕に気付いて日本語で、しかも笑顔で出てきてくれた。なんかホッとするわ。
「こんばんわ」
「今日は、ウソ、ない」
いきなりチクリと刺されましたわ。
「
と中国語の単語を並べて言うてみる。
ところが建萍は、困った顔をして考えてた。
あれ? 通じひんかった。それとも……明日無理なん。
僕はペンとメモ帳を出すと、建萍は待ってましたとばかりに書き始める。
「9
と言う事やった。
「ええよ」
「ありがと。なに、たべます?」
この前食べたけどまだ料理の名前を憶えてない僕は、隣の叔父さんが食べてるものを指差して頼む。それは羊肉と野菜を炒めた焼きうどんかパスタの様なもんや。
「コルマチョップね。うーん……」
と言うてポケットの紙を見る。日本語のカンニングペーパーや。
「からいね!」
「OK。大丈夫」
と言うと笑顔を見せて厨房へ入って行く。やっぱり建萍の笑顔はホッとする。
その後もお客さんがどんどん入ってきて僕は相席をする事になる。前に座ったウイグルのおっちゃんは、喋ることもなくじっと棚の上のテレビを見てる。
「どうぞ」
建萍がコルマチョップを運んできてくれた。
その時あの短剣屋のおっちゃんに見つかった。何か嫌な予感がする。
「おお、日本人。今日はご苦労さん」
と言われたんで、頭を下げとく。
「
何! 女朋友てかぁ。違う違う!
僕は口の中に麺が入ってたんで喋れんし、思いっきり首だけ振る。それを見て建萍はニコニコしながらそのおっちゃんに話しかけていった。
おっちゃん、いらん事言うなよー。
「女朋友?」
そのおっちゃんとウイグル語での会話が終わるや否や建萍は急にこっちを振り返り、今まで見たこと無い恐い形相で近づいてきた。
そして僕の前に立つと、中国語とウイグル語で猛烈に喋りだす。いや、怒ってる。
ただ全く何を言うてるか分からん。分かってるんは建萍が怒ってて、僕が怒られてるということ。
おっちゃん何言うたんや……。
余りにも建萍の剣幕が凄すぎて、他のお客さんは黙ってしまう。店の中が異様な空気になってしもた。テレビの音声だけが虚しく流れてる。
すると建萍は膨れたまま黙って厨房に入ってしまう。
お客さんは、みんな僕の顔を見てる。そして何事も無かった様にそれぞれでまた話しを始めた。
向かいの席のおっちゃんは、まだ驚いた顔をして僕を見てる。
建萍は何を言うてんやろ?
目が合うとおっちゃんは黙ってまた食べ始める。
建萍は何を怒ってたんや。それにあのおっちゃんは一体何を言うたんや……。あのバザールのことやろ、たぶん……。
僕はおっちゃんのテーブルへ移動する。この空気を察してか、おっちゃんはちょっと小さくなってるみたい。いらん事言うてしもたって自覚してるんやろう。僕は問い詰める事にした。
「おっちゃん、建萍に何言うたんよ」
「へへへー。あなた、女朋友と一緒。バザール来たよ」
やっばりそうか。おっちゃんは誤解してる。建萍も。
「そしたら建萍は、何を言うてたんや」
「へへ、へへへ……」
笑って誤魔化しとるな。困ったなー。明日の観光、建萍と一緒に行けると思て楽しみに取って置いたのに。
「おっちゃん!」
「へ……」
「あれは、ただの……」
あれ? ただの何や……。そうや!
「あの女の子は、僕のホテルの
「わかる」
「えーっと。
「おー、わかる、わかる」
「バザールで、偶然、会っただけ。分かるか?」
「偶然、わかるよ。たまたまネ!」
「だから、何も無い。
「わかる。没有」
「バザールで、手伝いしただけ。OK?」
「OK、OK」
ジェスチャーを交えて説明したら、おっちゃんは頷いてた。
「服务员より、建萍、
「わかる、わかる。OK、OK」
「そしたら、建萍に言うてきて」
と厨房の方を指差す。
「おお、わかる。没有。那个人是宾馆的服务员。没有……、女朋友。建萍、重要……」
おっちゃんは少し申し訳なさそうな顔をしてブツブツいいながら厨房の方へ行ってくれた。なんと、そのまま厨房の中まで入ってしもたわ。
そやけど大丈夫かなぁ。ちゃんと説明できるやろか?
僕は席に戻り残りのコルマチョップを食べる。むっちゃ辛くて涙が出そうやったわ。それになんでかパリーサの事がむっちゃムカついてきた。
そやけどなかなか戻ってこうへんなー。
汗だけがどんどん出てきた。
つづく
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