65帖 そうね、それがルールだからね

『今は昔、広く異国ことくにのことを知らぬ男、異国の地を旅す』



 团结中路トゥァンジェヂョンルー(団結中路)の東の端から南に曲がった住宅街にパリーサの家はあった。


 荷台から荷物を取りパリーサの後に付いて行くとそのまま家に招き入れてくれる。入った所は居間で綺麗な模様の絨毯が敷いてある。小さいけどソファもあった。そこで立ってると僕が持ってる荷物をレイラが奥へ持っていってくれた。


「そこに座ってね」

「あいよー」


 ソファーに座ったものの、この後どうしようかと考えてた。できればホテルに一度戻りたいと思てる。ただそのタイミングが掴めへんくて、じっと座ってるこの時間が苦痛やった。

 それに、パリーサに招かれたんやけど、勝手に家に入り込んでええのやろか。お父さんが帰って来たら、あのウイグルの短剣で刺されたりせんやろかと想像は膨らむばかり。静かな時間がめっちゃ長く感じる。


「どうぞ。飲んでね」


 その沈黙を破ってパリーサはお茶を持ってきてくれた。ちょっとホッとしたわ。ほうじ茶の様な色やったけど、甘くて美味しいし疲れた身体に持ってこいや。

 パリーサが僕の横へ座るんで、僕は反対へちょっとズレる。

 お茶を一口飲むと口を開いた。


「今日はホントに助かったわ」

「そ、そう。それやったら僕もうれしいわ」


 パリーサはお尻をすらして寄ってくる。


 な、なんでや?


 沈黙が流れ、へんな雰囲気になるし、僕は一気にお茶を飲み干した。


「僕、そろそろ帰ろかなぁ……」

「ちょっと待って」


 まだ何かあるんか。何時になったら解放されるやろう。


「アパ!」


 多分お母さんやと思うけど、若くて綺麗な女性がメロン(クワ)を持ってきてくれる。まだ30代前半とちゃうかなぁ。


「娘から聞いてます。ありがとね。今日は助かりました」


 みたいな事を言われ、僕は頭を下げた。お母さんもここに居てくれるんかなぁと思たけど、奥へ行ってしもてまた二人きりになる。


「だって荷物多いし、それに買い物は女性だけでは行ってはいけないのよ」

「へーそうなんや。いつもは誰と行くんや」

「家族よ。お父さんとか弟とかと一緒でないとだめなのよ」

「へー。それはルールか?」

「そう、ムスリムのルールなの」

「ふーん、そりゃ大変なルールやな」

「そうね、それがルールだからね。でも私は一人でも平気。仕事もやってるしね」

「なるほどねー」


 と感心しながら、今日の自分の境遇についてふと疑問に思う。


「ちょっと待ってや。そしたら今日の僕は何やったん?」

「うーん、そうね。周りのみんなからしたら……、私の夫って事かな」


 ええー! なんでそうなるんやー。バザールを一緒に見に行こうって言うてただけやん。


「い、いつからそうなったんや」

「だって私の荷物もってたじゃない」


 ええ、それだけ? それだけで夫扱いなん。


 あーそういえば、短剣屋のおっちゃんが何か言うとったな。そういう事やってんな。めっちゃ恥ずかしいやん。


 僕が落ち込んでると、パリーサは続ける。


「でもホントに助かったのよ。値段の交渉も女だけなら甘く見られるし、ダンナがいると有利なのね」


 ダンナって、僕がいつなったんや。そうや無いがな。僕はただ荷物持ちながら後ろを歩いてただけやん。


「そもそも買いもんはパリーサが一人で交渉してたやん」

「そうね。でも、それがルールだから。そう、ムスリムのルールよ」


 どんなルールやねん。今、作ったんとちゃうか? パリーサにとって都合良すぎるやんけ。


「わかった。もうどうでもええわ」

「でもホントに、ホントに感謝してるのよ。ありがとう。うふふ」


 と笑顔で言うてくる。


 そんな可愛い振りしてもなぁ……。もうそれ以上は何も無いで。


「ベイイェはこれからどうするの?」

「僕は……、いっぺんホテルへ帰るかな」

「それなら一緒に行きましょう」

「ええ! なんでや」

「だって私、今日は夕方も仕事があるのよ」

「そうなんゃ……」

「一緒に行こ!」

「一緒にって……。またムスリムルールと違うやろなぁ」


 パリーサは「うふふん」と微笑みながら立ち、奥に消えて行く。そしていつもの仕事の服に着替えてきて一緒に・・・家を出た。


 ホテルまで歩いて15分ぐらいやったけど、それこそいろいろと話しかけてくる。それに今にも腕を組んで来られそうな雰囲気で僕はヒヤヒヤしてた。ウイグルにはどんなルールがあるか分からんし、腕組んだだけで結婚せなあかんみたいな事を言われたらかなわんさかい。

 ほんでも何事も無く・・・・・、ホテルの入り口まで来て、僕らは別れた。なんか肩凝ってしもたわ。


 ほんで部屋に入り、すぐにベッドで横になる。


 あーー。


 どっと疲れが出てきたわ。ほんまはもう一回バザールへ戻って写真だけでも撮りたかったんやけど、しんどてその気が起こらん。もうええわと諦めた。


 僕は疲れからかウトウトしてしまう。多賀先輩はどないしてるんやろう、楽しんでるかなぁと思いながら……。


『私のこと、どう思てんの?』

『かわいいよ。うん、めっちゃかわいい』

『ほんまに?』

『ほんまやで』

『ほんなら愛してる?』

『うーん、愛してるで』

『そしたらキスして……』

『好きゃで、パリーサ』

『シィェンタイ……』


 何? あかん! ちょっと待って! あれ……、夢かあぁ。


 僕は深く息を吐いた。めっちゃ汗をかいてる。


 あぁー夢やったんや。なんであんな夢みたんやろ……。マジやばかったなぁ。そやけどパリーサはええ表情しとったなぁ。夢の中ではね……。


 と思いながら左に寝返りを打つ。

 すると、真ん前にパリーサの顔があった。


「うわわぁーー!」

「ぎやぁーーーー!」


 と悲鳴を上げる。ベッドを覗いてたパリーサは勢い余って尻もちをついてた。


「びっくりしたがな、もー」

「私もびっくりしたよ。ベイイェ、大声出すから……急に」

「いや、ごめんごめん。大丈夫?」

「うん。大丈夫よ」


 まだドキドキしてる。一瞬で目が醒めたわ。


「そ、そやけど、何しとったんよ」

「さっき仕事が終わったから、今から家に帰るって言いに来たのよ」


 そんなんわざわざ言いに来んでも黙って帰ったらええやん。


「そう。それじゃあー、お疲れさんでした」

「うん、じゃーまた明日ね。今日はありがとね。バイバイー」

「おう、バイバイ」


 あーびっくりした。まだドキドキしてるわ。ちょっと落ち着こ。


 フーー。


 えーっと。多賀先輩は帰って来てない。まだ何処かで遊んでるんやな。窓の外は……、もうだいぶん暗らなってきたなぁ。何時や? 8時11分。ってことはまだ夕方の6時か。そやけどえらい寝てもたな……。


 あれ、なんやったけ。何かあったよな?



 つづく

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