64帖 マイノリティ

『今は昔、広く異国ことくにのことを知らぬ男、異国の地を旅す』



 まさかこんな異国の地で、しかもぎょうさん人がおるバザールで僕の名前が呼ばれるはずがない。聞き間違えやと思て無視する。

 ほんで再度バサールの中へ行こうとして歩きかけると、また聞こえた。


「ベイイェー」


 今度は、はっきりと僕の名前を「北野ベイイェ」と中国語で呼ばれるのが分かる。さっきよりも近くで聞こえた。しかも女性の声や。

 そやけどその声には聞き覚えがないし、ちょっと不審に思いながら後ろを振り返る。


「……ベイイェマー?」


 うんっ、誰? この子。


 年の頃は中学生ぐらいやろか。青い布を頭に被り、肌の色は透き通る様に白く、目は少し青みがかかってた。手にはカゴを持ってて、黙ってたけどクスクス笑いながら僕を見てる。


 誰やったかな?


 どっかで会うたかなぁと考えてみたものの、全く記憶にない。可愛いだけに、逆にちょっと怪しいなぁと思い始めてた。


 すると僕の背後からも笑い声が漏れ聞こえてくる。

 僕は首を回して自分の背中を覗き込むけど、誰もおらんかった。そやけど青い布が視界から消えて更に僕の背中の方へ回り込んでるんが見えた。僕は咄嗟に逆向けに首を振る。


「わー、見つかかってしまったー」


 みたいなことを言うて笑ろてるのはパリーサやった。

 ちょっと安心したけど、なんでこんなとこに居るんという気持ちと、見つかってしもたーみたいな気持ちが入り混ざって複雑やった。

 なんかちょっと面倒くさいなぁと思いながらも、パリーサの後ろに立っている女の子を見た。


「この子は誰なん?」

「妹よ」


 そう言われるとなんとなく目が似てる。よく見ると、ちょっと幼いだけでそっくりやわ。


「ほんで、何してるんよ?」

「お買い物よ」


 そりゃそうやな。バザールに来てるんやからな。


「ベイイェは、何してるの?」

「僕はバザールを見に来てん」

「それなら、一緒に行きましょう」


 と誘われた。昨日の洗濯の恩もあるし、何かお礼ができたらええかなと思て一緒に行動する事に。


 パリーサと妹は、歩きながら楽しそうに二人で喋ってる。その後を僕は付いて歩く。

 時々妹が僕の方を見て、クスクス笑ろてるのは気になってた。


「なんて言う名前?」


 と妹に聞いてみたら、恥ずかしかったんかパリーサの顔を見て笑るてるだけで答えてくれへん。


「レイラよ。この子は英語が話せないのよ」


 とパリーサは説明してくれる。そう言いながらも早速露店の前で立ち止まり、品定めをする。


 米や雑穀類、粉もんを扱ってる店や。いつも来てる店なんやろか、パリーサは米と白い粉を大量に買う。白い粉は小麦粉かな。

 お金を払ろて袋を受け取ると、レイラのかごの中に入れた。さすがにこの量では重たいやろと思たんで僕が持つ事にした。


「ありがとう。助かるわ」

「問題ない。いっぱい運んであげるよ」


 と昨日のお礼のつもりで荷物持ちを買って出る。


「重たくない?」

「全然大丈夫、これぐらい。もっと持てるで」

「ありがとね」


 と言うと、妹の手を引っ張って次の店に行く。

 それにしても露店の数は昨日よりも更に増えてる。それに品数も豊富で、見たこともない野菜や肉、香辛料などが売ってる。これはどないして使うんやろと想像もつかん様な道具も売ってる。


 二人に付いて歩いてると、僕の事が珍しいのか店の人によく声をかけられる。ウイグル語で話しかけられるし分からんけどね。

 そやけど僕は興味をそそられて立ち止まると、その度にパリーサが来て店主にひとこと言うては僕を引っ張っていく。


「また来いよー」


 みたいに言われて手を振られる。なんか笑われてるみたいやった。


 今度は肉の塩漬けやソーセージ、白いチーズの様な物を売ってる店で品定めをしてる。よう見ると、この店のおっちゃんはウイグルとは違った服装をしてる。どこの人やろうと思ってパリーサに聞いてみる。


「パリーサ、この人は……」


 あれ? 「民族」って英語でなんて言うんやったかな。


「この人は……、えーっと」

哈萨克族ハーサークェァズーよ」

「ハーサークェァ……?」


 するとおっちゃんは、


「カザーフ」


 と言うてくる。


「おお、カザフ族ね」


 おっちゃんは納得してるみたいや。そしたら隣の店のおっちゃんは、


「おれはクルグスや。クルグス、分かるか?」


 みたいなことを言うてくる。


 クルグス族ってどこの人? キルギス族とは違うの?


 判らん。もう少し民族のことも勉強しとったらよかったわ。でもその流れで、隣で白いザラザラの粒や岩の塊、岩塩かな、それを売っているおっちゃんにも聞いてみる。このおっちゃんもウイグルとは違って、ちょっと和服に似た様な服を着てる。


「おっちゃんは何族?」


 と聞いてみたけど、僕を見ただけで何も答えてくれへん。なんか気に障る事を言うたかなーと思て不安になってたらパリーサが教えてくれる。


「この人はたぶん藏族ツァンズーね。珍しいわ」


 と言うてる。するとおっちゃんはボソッと一言だけ言うた。


「プーリー」


 プーリー? プーリー族ってこと? 聞いたこと無いなー。それともこのおっちゃんの名前がプーリーなん。


「パリーサ、プーリーって何や」

「知らないわ」


 きっぱりと言われてしもた。そやけどどこかチベットの方の服に似てるなぁと思って聞いてみる。


「チベタンですか?」


 おっちゃんは、面倒くさそうに頷いてた。

 そうやったんた。まさかここでチベット族の人に会えるとは思てなかったし僕はちょっとびっくりした。

 実は僕も多賀先輩も、もし行けるのならチベットにもいっぺん足を踏み入れてみたいと思てた。ところが、その希望はすぐに砕け散る。


「たぶん、この人は新疆シンジィァン(新疆ウイグル自治区)の藏族よ」

「えっ。新疆にもチベタンがいるんや」

「そうよ。確か……南の方に住んでるわ」


 そうなんや。チベット族と言うてもチベット高原に住んでるだけやのうて、いろんな所に居るんや。ということはやで、もっと南に行けばチベットに行けるかも知れんという事やんな。少し希望の光が差してきた。これはいい情報かも知れん。


「はい、今度はこれ持ってね」


 油断してたらパリーサに追加で荷物を渡される。完全に荷物持ちになってますわ。


 他にもウイグルと違う服を着ている人、顔立ちが微妙に違う人を見つけてはどこの人やと聞いて回る。ほとんど言葉が通じひんのでパリーサに通訳に入って貰ろた。


 日本人にそっくりな蒙古族モングーズー(モンゴル族)や、锡伯族シーブォズー(シボ族)の人。ちょっとこわそうな顔の塔吉克族タージークェァズー(タジク族)のおっちゃん。ほぼ欧米系の顔をした烏孜別克ウーズービィェクェァズー(ウズベク族)の兄ちゃん。いろんな人がこのバザールで商売してた。

 パリーサのウイグル語や中国語も通じへん人も何人か居った。


 その中に「ヂュゥァン」と言うおじいちゃんが居た。顔は漢族に似てたけど言葉は全く分からんみたい。ただどこか遠い所を見ながら寂しそうに話しをしてくるんで、僕は「うんうん」と頷きながら聞くしか出来んかった。このおじいちゃんは遥々遠い所からやって来たんやなと想像する。ただ売ってるもんは普通の米やったけどね。

 売れてんのかどうなんか心配やったけど、「さいなら」と言うてパリーサの後をついて行く。


 その後も、あっちゃこっちゃで買いもんして、僕もレイラも荷物をいっぱい持たされた。


 途中、荷物を持ってパリーサ姉妹の後を歩いてると、先日の短剣屋のおっちゃんに達に見つかった。


「お前も一人前のウイグルだな」


 と言われて冷やかされる。そのやり取りを聞いてたパリーサは得意げやった。


 それてどういう意味や? こっちはしんどいねんぞ。


 そのおっちゃん達を横目にどんどん進むパリーサ。


「まだ買うのか?」

「あとひとつで終わりよ」


 と言うて、今度は果物屋を物色し始める。納得したもんが見つからんかったんか、次々と違う店に引っ張って行かれる。


 何があとひとつやねん!


 と愚痴る。

 時間が経つにつれどんどん人が増えてきて、じっと立ってる事もままならへん。まして荷物を持って歩くんはもっと大変やった。


 もしこの姉妹だけで買いもんに来たんやったらどないしてたんやろ?


 と思う。


 もしかしてホテルから後ろを付けられてた? まさかそれは無いやろ……、たぶん。


 5軒目にしてようやく納得いったもんがあったんか値段を交渉してる。その店でパリーサは少し黒みがかった紫色の果物を買う。


「これは何なん?」

「これはプラムよ。食べる?」

「食べたいけど、両手で荷物持ってるから無理」


 と言うと、パリーサは皮を剥いて食べさせてくれる。


 おお、気が利くやん。


 膝を曲げて一口かぶりつく。そのスモモみたいな果物はむっちゃ酸っぱかった。そやけど後味がほんのり甘く、喉が渇いてたんで美味しく感じる。一口目が食べ終わると、さらにもう一口食べさせてくれた。


 やっぱり酸っぱかった。うん? あかん。めちゃめちゃ酸っぱいやん。なんやこれ?


 口から唾液が溢れ出すほど酸っぱかった。

 そんな顔をしてると、


「これは調理して食べるのよ」


 と言うてパリーサもレイラもゲラゲラ笑ろてた。なんか騙された気分やったわ。

 荷物を持って2時間ぐらい歩かされたし、その上この仕打や。パリーサはほんまに変な奴やと思た。


 そやけど地元の人の生活に溶け込んでバザールをゆっくり見れたし、いろんな人と話しできたんは楽しかったかな。それだけはパリーサに感謝や。と思てたけど……。


 あっ、あかん! 写真撮ってへんやん。忘れてた!


 って言うか荷物を持ってたしそんな余裕は無かったわ。


 まあええか……。


 とパリーサに免じてそう思う様にした。残念やけど。


 やっぱりこいつは……、困ったやっちゃ。


 一通り買いもんが終わったところでパリーサは、


「ベイイェ。家まで来て」


 と言うてくる。


「ええっ!」


 と思わず声を上げてしもたら、


「荷物を家まで運んでほしいの」


 とあっさり言われてしもた。そうやわな。ちょっと期待した自分が恥ずかしかったわ。レイラにも笑われてた。


 意味わかってんのか?


 バザールの人混みを外れたとこでロバ車を捕まえ、荷物を載せ3人で荷台に腰掛ける。ロバ車はゆっくりと、团结中路トゥァンジェヂョンルー(団結中路)を東へ向って動き出した。



 つづく

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