63帖 ウソはダメ

『今は昔、広く異国ことくにのことを知らぬ男、異国の地を旅す』



 6月2日、日曜日。

 天気は快晴で窓から入ってくる風は涼しくて気持ちがええ。


 多賀先輩は、ドライブと艾丁湖アイディンフー(アイディン湖)でバーベキューをする予定で朝早くからホテルを出てる。


 僕はと言うと特に何もする事がないけど、それでも早めにホテルを出た方がええかなと思て11時前には部屋を出る。今日は狐娘のパリーサに出会うことはなかった。


 その代わりと言うか、ホテル前にはロバ車タクシーの少年達が屯してて、僕を見つけると、


「サイトシーン、観光!」


 と言うて寄ってくる。


 そうか。今日は日曜日やし、学校は休みなんや。


「今日は要らんよ」


 と言うても、みんな笑顔でせがんでくる。これには参ったわ。

 なんとかして稼がせて上げたいけど特に行く所は無いし、行くとしてもバザールぐらいやから歩いて行ける。

 笑顔で断ってたけど、余りにしつこいんで無視をして歩き出す。それでも付いて来る子もおったけど葡萄棚の方まで歩いて行ったら諦めてホテルに戻って行く。

 振り返ると、後から出てきた欧米人の観光客が捕まってた。


 葡萄棚の通りは数人が行き来してるだけで、昨日の賑わいはもうない。少しゴミが散らかってて、昨日の夜の歌や踊りの余韻だけが伝わってくる。祭りのあとの何とも言えん雰囲気に寂しさを感じてしもた。

 僕は、昨日建萍ジィェンピンに会うた時と同じベンチに座る。


 太陽はだんだん高くなり日差しもきつなってきたけど、今日は風の方が勝ってる。風は心地よいと言うよりも、少し寒く感じてしまうほど冷たく吹いてた。

 時折、強い風が吹くと砂埃が舞い上がり、それが目に入って痛い。昨日の夜店のゴミが虚しく転がっていく。


 一人ベンチに腰掛ける僕。

 それでも建萍が通ってくれるかなと期待して待ってたけど、そんな事は無かった。

 時計を見ながら、もうすぐ通るかも知れん、もうちょっとしたら通るかな、頼む来てくれと願いながら待ってる自分が居った。


 多賀先輩がおったら気分も紛れるのに……。


 今頃は女の子とドライブを楽しんでるんやろなぁと思うと寂しくなる。一人で居る事の辛さをこの旅で初めて感じる事になってしもたわ。


 あかん、じっとしてても何も起こらん。余計寂しくなる。

 自分から動きだそ!


 と思てベンチから腰を上げる。

 葡萄棚の通りを南下し、右に曲がって团结中路トゥァンジェヂョンルー(団結中路)に出ると、遠くの方にたくさんの人影が見える。ここも人が居らんかったらどうしよと思てたさかい、なんか安心した。


 公会堂の前は、昨日ほどではなかったけどたくさんの人が居る。男女とも綺麗な民族衣装を着てる集団も居て、今からお祭りか舞踊ショーでも始まりそうやった。

 そんなん見るだけでもさっきまでの寂しさは吹っ飛び、気持ちが高ぶってくる。


 よし、建萍の店へ行こ。


 僕は先に朝昼兼用の飯を食べる事にする。

 バザールに近付くにつれ、人の数が増えてくる。バザールから100メートル程離れてる所にも露店が出てて、既にたくさんの人で賑わってる。

 それを横目に細い路地へ入り、建萍の店へ直行する。


 店は既に開いてて、半分くらい人で埋まってる。


 日曜日は朝からやってるんかぁ。そやからベンチで待ってても会えへんのや。


「アッサラームアレイコム(こんにちは)」


 とイスラム風に挨拶をして席に座る。

 奥から建萍の声が聴こえた。


「はいはい、何しましょー」


 みたいな感じで建萍が出て来る。僕の顔を見た時は笑顔やったのに、すぐに表情が曇る。なんか怒ってるみたい。


「シィェンタイサン。ニー昨天ズゥォティェン没有去店メイヨウチュディェン……」


 建萍はエプロンのポケットから紙を出し、それを見ながら呟く。


「ダメ、ウソ」


 昨日店にに来るて言うといて、来んかったらか怒ってんのかな?


 そう思て僕は、「店に来たらお客さんでいっぱいやったんで入れへんかったや」という事をジェスチャーで伝えてみる。


 それがなんとか通じたみたいで、僕の説明を納得してくれた建萍の表情は緩み、やっと僕の注文を聞いてくれた。ホッとしたわ。


我想吃ヲーシィァンチー早点ザオディェン(朝ごはんを食べたい)」


 と言うと、「任せといて」みたいな事を笑顔で言うて奥へ。


 あーよかった。そやけど、あのメモはなんやろう。日本語が書いてあるみたいやけど、誰かに教えて貰ろたんかな?


 しばらくすると2品運んできてくれた。


「これは何?」


 と指を差す。建萍はまたメモを見て、


「コレ……、マンタ。コレ、スユックアシュ、デス」


 と言うてくれる。そやけそれが何なんかはよう分からんし、取り敢えず食べてみる。


 マンタは、羊肉のブロックが入った肉まんの様なもんで、あっさりとして美味しい。スユックアシュは、野菜が煮込んであるトマトベースのスープに短い麺が入ってる。朝から涼しかったんで、暖かくちょっと辛めの味がめっちゃ美味しく感じる。


好好ハオハオ!」


 と言うと建萍は喜んでくれた。


 食べ終わったら建萍が器を下げに来て、


「これからどこ行くの?」


 みたいなこと聞いてくる。


「バザールに行って来るわ」

「……、在傍晚来ザイバンワンライ(夕方に来てね)」


 と言うてから建萍はまた紙を見て、


「ユウガタ、クルネ」


 と付け加えた。


「分かった。夕方にまた来るわ」

一会イーフゥイ儿见ェァージィェン(また後でね)。ウソ、ダメネ」


 と釘を刺されてしもた。


 店の外へ出ると更に日差しがきつなってる。そやけど風は相変わらず涼しくて時折突風が吹いてた。


 大通りに出ると、さっきよりかなり人が増えてる。露店がいっぱい立ち並び、大通りもバザールみたいになってる。

 ウイグル族に混じって漢族も居ったけど、そのどちらでもない人もぼちぼち見かける。今まで見たことのない民族服を着てる人たちや。

 よし、写真を撮ろう! と思たけど、カメラをホテルに置いてきた事に気が付く。アホやったわ。

 そやけど今日はまだまだ時間があるし一度ホテルに戻ることにした。


 ホテルに戻ると、さっきのロバ車の少年達は居らんかった。それに、もう2時を回ってたんでパリーサに会うこともなかった。


 カメラを持ってバザールに戻ってみると、また更に人が増えてる。


 みんなどっからやって来たんや?


 露店からは煙が立ち、いろんな料理の匂いがする。それらの匂いが混ざって日本ではお目に掛かれない様な一種独特の香りに包まれた。お腹は満たされてたけど、僕の食欲が刺激されてくんが分かる。


 取り敢えずいつものバザールの場所へ行ってみよと思たけど、歩道も車道も人で溢れててなかなか前に進めへん。

 道路に溢れた人々の間をロバ車や馬車が行き交ってる。バスやトラックはクラクションを鳴らして人を除けてた。そんな様子は活気があったし、めっちゃ賑やかやで僕はワクワクして来た。


 そんな人集りに、いざ突入しようと思てたら、


「ベイイェ!」


 と、僕の名前を呼ばれた様な気がした。



 つづく

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