58帖 砂漠の狐
『今は昔、広く
バザールを出ると、
「俺、ちょっとブラブラしてくるわ」
と言い残して多賀先輩は路地裏に消えていく。
北京でもそうやったけど、基本的に多賀先輩は単独行動派や。山行などグループでの活動も楽しむけど、一人飲みやバイクでの単独ツーリングなんかもこよなく愛してる。その辺のスタンスが僕は気に入ってる。僕も自分の時間を大切にしたいし、誰にも邪魔されたくない時がある。でも一人では寂しい。そういう時に多賀先輩は一緒に居てくれる。そのタイミングが絶妙や。
ただ今日に限って言うと、これから何をするか考えてへんかったんで、少し寂しい気がする。日程が延びた事が引っかかってるんやろかと心配もしてしもた。
ロバ車タクシーの少年たちはまだ学校やしそんな遠くには行けへんなぁと思いながら、自然とホテルに向かって歩いてた。
それでも何かないかと思いながら、遠回りをしてホテルを目指す。太陽も大分高くなり、歩くだけで汗が滲み出てくる。
大きな通りから右に曲がると緑のトンネルがある通りに入る。藤棚をでかくした様なもんで通りが覆われ、向こうの大通りまで延々と続いてる。
その緑のトンネルは葡萄の木で出来てて、よく見ると小さな房をつけた葡萄があちこちにぶら下がってる。こんな街中でも作ってるとは、流石は葡萄の産地や。魅力的な演出にも思えてきた。
葡萄のトンネルの両脇には一定間隔でベンチが設置されてる。歩き疲れたんもあったし僕はそこに座って葡萄の棚をなんとなく眺めた。
葡萄の葉っぱで日差しが遮られ、通りを流れる風が僕の汗を乾かす。それがとても心地よい。僕はベンチに横になり目を閉じた。
暑さを忘れ疲れも癒されると、パチッと目が醒める。
僕は少し焦ってきた。火曜日まで時間ができたんで、その時間を有効に使わんとあかんやろうという義務感が湧いてきた。別に誰にも強制される訳でも無いけど、「こんなとこでぼーっとしててええんか」という思いに苛まれる。
仕方がないんでホテルに向かって歩く。僕が持っているガイドブック「異国の歩き方」には、トルファンの紹介が2ページしか載ってない。昨日、旅慣れた古沢さんにガイドブックには載ってへんトルファンの見所を聞いてはいたけど、どこにあるかは分からへん。
それで僕は一旦ホテルに戻り、レセプションに置いてある観光マップを手に入れる事にする。
ホテルへ戻り、観光マップを貰う。観光マップは中国語でしか書いてへんかったけど参考になりそう。部屋のベッドに横になりながら行動計画を考える。
博物館やモスクなどが近くにあるのんが分かったけど、そこへ「行ってみたい」というところまで気持ちのエネルギーが高まらへん。僕が思うに、面白そうな所は全て郊外にある。
どうやったら行けるかと考えてたら、ドアをノックする音が聞こえたんで返事をする。
入ってきたんは綺麗なウイグルの女の子。
えっ!
と思たけど、掃除道具を持っていたので
「掃除しますねー」
みたいな感じで入ってきて、テキパキと作業をする。僕はそんな彼女の様子を眺めてた。
ウイグルの女性にしてはバザールで見た様な派手な服装ではなく、足元まである長い水色のワンピースを着てる。
仕事着かな?
長い髪を後ろで括り模様のある赤い布で被ってる。笑顔で楽しそうに掃除をしている横顔は魅力的やった。モンゴロイドでもなく、彫りは深いけど欧米人のそれでもない。日本人でいう美人の顔がここでは普通なんかも知れん。
彼女は、部屋の掃除を終えた後、今度は奥のシャワールームへ移動する。水を流し、鼻歌を歌いながらブラシで洗浄してる。ただ、水の音と鼻歌だけを聞いてると、覗きに行こうかなと思ってしまう位いろんなことを妄想させられる。
そんな邪念を振り切るかの様に僕は観光マップに見入る。そやけど頭には何も入ってこうへんかったわ。
すると鼻歌と水の音が消え、彼女が近づいて来るのが分かった。僕は観光マップから目を離さずにいた。なんでかドキドキしてる。
そのドキドキが的中してしもた。
ベッドが急に揺れたかと思うと、彼女は僕の横に座ってる。仰向けに寝ながらマップを見ている僕に顔を近づけてくる。そんなことをしたら反則やろと思いながらも、マップから目を離さずにいてると、彼女は話しかけてくる。
「ここはとってもいいわよ」
みたいな事を可愛らしい声で言うと、マップを指差す。そこは
彼女はいろいろと説明をしてくれてるみたいやったけど、ウイグル語なんでさっぱり分からん。それよりも彼女との距離が気になって仕方がない。
ほんで彼女は、更に顔を近づけて観光マップの右の方を指さしてくる。そこは
彼女の頬と僕の頬がくっつきそうな距離感と、彼女からする香水でもなく汗臭さでもない不思議な香りが僕の思考を停止させてた。彼女は囁くように火焰山の説明をしてくれてる。時々笑ったりしてるけど、その理由が分からん。
そんな彼女をよそに、僕は理性で僕自身を止めるのが精一杯やった。
それを察したかの様に彼女はベッドから立ち上がり、
「それじゃあまたね」
みたいな感じで掃除道具を持ってさっさと部屋から出て行ってしもた。
何なんやったんやろ? 今のは夢やったんかな。
暫くぼーっとしてしもた。狐につままれた事は無いけど、それはこんな感覚なんやろうと思た。
ふーっと息を吐き、現実に戻ってきた僕は時計を見る。
そろそろ12時か。
僕は昼ご飯を食べに行く事にした。
つづく
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