55帖 酔っぱらいのムスリム?

『今は昔、広く異国ことくにのことを知らぬ男、異国の地を旅す』



 ロバ車タクシーの少年ヤシーンと別れて旅館の部屋に戻ってみると、日本人の旅行者がベットに座ってる。若そうやけど顔に髭がたんまりあって、如何にも旅慣れたって感じの人や。


「あっ、こんにちは」

「こんにちはー」

「どこから来たのですか」

「北京からきました」

「そうじゃなくて……えーっと、僕は東京から来ました」

「ああ、僕は京都です」

「俺は滋賀からです」

「どこへ行ってきたのですか?」

「ロバ車で2時間ほど観光ました。カナートとかモスクとか……」

「なるほど。料金はいくらでしたか?」

「2時間で20元ですわ」

「それは結構吹っ掛けられましたねえ。大体1時間5元が相場ですよ」

「まじっすか。多賀先輩、やられましたね。倍ほどしてますよ」

「少年ヤシーンめ。明日懲らしめたるからなー」

「情報が無いとこんな事になりますよね。明日は取り返しましょう。それと……」


 僕はあの事・・・をこの人に聞いてみる。


「……駱駝らくだで砂漠を縦断するってできますかね?」

「ああ、ありますよ。僕はやってないですけど、聞いた話ではカシュガルまで400ドルぐらいらしいですね」

「そ、そんなにするんや……」


 僕が夢見てた「駱駝で砂漠の縦断」は消え失せたな。


「そしたらカシュガルまでは、やっぱバスですかねー」


 多賀先輩も駱駝を諦めて、バスに切り替えてきた。


「そうですね。2泊3日だったかな。50元ぐらいですよ」

「北野、バスの方がめっちゃ安いやん」

「ですねー。駱駝は無理っすね。明日バスターミナルに行ってみますか?」

「そやな、取り敢えず偵察しに行こか」

「ですね」


 この旅慣れた人、古沢さんに色々と情報を聞かせてもらう。主にお金に関すること。旅に必要な「相場」というのを聞かせて貰う。カシュガルについても、安いホテルとかオススメの店とか色々と。

 ちなみにこの古沢さん、若そうに見えるけどもう30代の大台に乗ってるって言うてた。

 日本に帰っては金を稼ぎ、貯まったらアジアを旅してるとか。すげー人がいるもんや。

 またトルファンはこれが3度目らしいけど、何度来てもええとこてやて言うてはった。今回は既に5日もここに滞在しているという。そして各地をぶらぶらした後、また8月にトルファンに戻ってくるらしい。どんだけトルファンが好きな人なんや。


 そんな話を聞いてたらお腹が空いてくる。


「古沢さん、一緒に食べに行きませんか?」

「うーん、僕はいいよ。夜は食べないから」


 食べへんって言われたらそれ以上誘いようがないんで多賀先輩と2人で高昌市场ガオチャンシーチャン(高昌市場)横の食堂街へ行く事に。


「さっきのウイグル人の店へ行こか」

「あの……、僕は隣の漢族の人の店へ行きたいんですけど。綺麗な女の人が居ましたよ」

「ほんまか! ほなそっちの店、行こか」


 昼間に見た女の子は居るかなーと期待しながら漢族の店へ入る。


 居た居た!


 忙しそうにしてるけど、間違いない。


「居ますよ。あの子です。めっちゃ可愛いでしょ」

「おおー、まあまあ可愛いな」

「まあまあですか。多賀先輩の基準って結構厳しいっすね」

「そうやで。俺って結構面食いやからな」

「そうですか、なるほど。でもあの子、めっちゃ僕のタイプなんですけど」

「そういえば、美穂ちゃんにちょっと似てるかいな?」

「そうですか。似てるかなぁ?」

「似てるて。顔の輪郭とか髪型とか似てるやろ」

「そうかなぁあ。それよりも、女優で……。えーっと、お笑い芸人の嫁さんになった人に似てません?」

「あー、安多成美かぁ。そう言えば似てるなぁ」

「あっ、そうそう!」


 と話してたら、その女の子と目が合うてしまう。

 ほんで急いで注文を取りに来る。普通に注文を聞きに来ただけやけど、めっちゃドキドキしてしもた。


 多賀先輩は炒饭チャオファン(焼き飯)を、僕は素麵スーミィェンを頼む。緊張してたんでビールを頼むの忘れてたわ。

 そしたら隣の席にいたウイグルのおっちゃんが日本語で喋り掛けてくる。


「お前達、ワイン飲むか?」

「へ? ワインですか」

「そうだ。ウイグルのワインは美味いぞ」


 不思議に思たけど、その「ワイン」とやらをコップに注いで貰う。なんで不思議かと言うと、イスラム教はお酒を飲んだらあかんはずや。そやのにこのおっちゃんは何でかワインを飲んでる。もしかしてこのおっちゃんはイスラムの決まりを守ってないんかなと思てしもた。


 取り敢えずおっちゃんが言うワインを飲んでみる。その「ワイン」の瓶のラベルには、新疆シンジィァン葡萄汁プータオヂーと書いてある。


 むむむ?


「これってただの葡萄ジュースやん」

「ほんまやな。炭酸が入ってるだけでアルコールは入ってへんぞ」

「偽物のワインですね」

「ほんでもこのおっちゃん、これで酔っ払ってるやん」

「ムスリムは、これで酔っ払いまーす」

「おもろいおっちゃんやな」

「桃のワインもあるぞ。飲んでみろ」


 今度はピンク色の液体を注いでくれる。


「これもただの炭酸入りの桃ジュースやね」

「しかしおもろいなー、こんなんで酔っ払えるんやから」


 おっちゃんの様子を見てみると、ほんまに酔ってるとしか見えへん。

 更に酔っ払ったおっちゃんは話してくる。


「あなた達、日本人ね?」

「そうです」

「日本人、ウイグル、朋友ポンヨウ(友だち)」

「なんで朋友なん?」

「日本人、戦争で汉族ハンズー(漢族)、やっつけた。だから朋友!」

「??」


 初めはこのおっちゃんは何を言うてんのやろうと思た。そやけど、じっくりと話を聞いてみるとその理由が分かった。

 その内容というのはこうや。


 昔、ウイグル民族は「ドン突厥斯坦トゥジュェスータン共和国ゴンフェァグゥォ」(東トルキスタン共和国)を建国した。ところが汉族の解放军ジェファンジュン(人民解放軍)が武力で占領しに来る。おっちゃんもその戦争で戦ったんやけど、ウイグル民族は汉族に負けて、中国の一部になってしもた。日本人は戦争(日中戦争)でその汉族をやっつけてたから、だからウイグル民族と日本人は仲間なんだ。という理論やった。


 敵の敵は味方か。


 なるほどなーと思た。

 と、そこへ頼んだ料理が運ばれてくる。お姉さんにお金を払おうとすると、


「日本、ウイグル、朋友、バンザイ」


 と言うて、おっちゃんがお金を払ってくれる。


「ありがとうございます」


 更におっちゃんは、


「私、バザールでお店してる。あなた、明日、買いにくるね」


 と言うて、腰に付けてた綺麗に装飾された短剣を見せてくれた。イスラム風と言うか、ウイグル風と言うか、エキゾチックな感じの装飾や。お土産にええかなっと思て見てた。


「ウイグル、みんな持ってる。明日、買いに来る。安くする」

「わかりました。明日、バザールへ行きます」

「安くするよー。安くするよー」


 と言うておっちゃんはお店を出て行った。ちょっとおぼつかない足取りで。


 やっぱりこのジュースで酔うたんやろか?


 僕らは改めて新疆啤酒シンジィァンピージゥ(新疆ビール)を頼んで、料理を食べる。

 多賀先輩が頼んだ炒饭はポロと言うウイグル風のピラフで、僕が頼んだ素麵は辛口のウイグル風焼きそばや。ここは汉族の店やけど、出てくる料理はウイグル風や。メニューの字だけ汉族調の漢字で、中身はウイグル料理やね。

 更にシシカバブーを追加して、明日の計画について話し合う。


「明日、バスターミナルに行ってカシュガル行きのバスを探しますか?」

「それでええと思うで。ほんでバザールに行って、さっきのおっちゃんの店行って、ほんで買い出ししよか」

「そうですね。時間があったら少年ヤシーンを捕まえて、どっか見に行きましょうよ」


 あの古沢さんの話しを聞いてたらトルファンを観光してみたいと思う様になってしもた。


「そうや、あいつにお仕置きせなあかんからな」


 そんなことを企んでたら、あの女の子がテーブルにやって来る。

 またドキドキしてくる。


「あなた、日本人ね」


 少し日本語が話せるみたい。


「そうですよ」

「明日も、食べに、来るよ」

「はい。いいですよ」


 と返事をしたら、笑顔で戻って行った。

 ほんの少しやけど喋れたんで嬉しくなる。笑顔がとても素敵や。


 僕は明日も来ようと思た。



 つづく

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