48帖 ホームシック

『今は昔、広く異国ことくにのことを知らぬ男、異国の地を旅す』



 5月28日、火曜日。朝の5時38分。

 列車が止まって目が覚める。北京から1206キロ走って西安シーアンに到着。列車は河南フェァナン省から陕西シャンシー省(陝西省)に入ってた。


 周りを見るとまだみんな寝てたんで、そーっとホームに降りる。

 外は結構寒く気温は15度を下回ってる。朝靄の中、駅舎のすぐ南に巨大な構造物が見える。古の都、長安の城壁や。


 どこまで続いてるんやろう?


 西の方は霞んで見えへん。町一個分を城壁で囲んでるんやから相当でかいわな。


 西安つまり昔の长安チャンアン(長安)といえば、昔から日本人が来てはる所や。阿倍仲麻呂とか空海とかなら授業でも習って知ってる。ちなみに西安市は奈良市や京都市の姉妹都市である。

 また秦の始皇帝と楊貴妃の逸話も有名な場所。そんなことより僕にとって重要なのは、小学生の頃にTVの特集で見て憧れた「丝绸之路スーチョウヂールー(シルクロード)」の出発点である事。そやしここが僕の本来の旅のスタート地点や。


 あと付け加えておくなら、やはり大雁塔の存在。もとは唐の第三代皇帝高宗の母を供養するために建てた仏教寺院やけど、なんと言っても尊敬する元祖バックパッカーの玄奘シュェンザン(三蔵法師)が印度インドから持ち帰った教典を翻訳をした場所や。因みに僕は敬虔で信心深い仏教徒です。

 その他にも見所のある都市やけど、残念ながらやっぱり見て回ることはできへん。また来ることが有ったら是非見たいと思う。


 いずれにせよ「この西安の地に立った事には変わりない」と思といた。


 間もなく出発しそうやったんで急いで列車へ戻る。ほんの10分程度やったけど、命懸けでこの地へやってきた日本人、そしてここから遠い異国へ旅立った僧侶の思いをなんとなく感じる事が出来た。そんな気がした朝やった。


 席に戻ってみると、みんな眠たそうな顔で座ってる。そやし、多賀先輩に昨日のアタックの結果を聞いてみる。


 結果は簡単に言うと「あなたに興味はない」とのこと。思わずみんなで笑い転げた。でも多賀先輩は真面目な顔やった。「すんません、多賀先輩」と思たけど、笑いは止まらんかった。

 それでも話自体は結構できたみたいで、名前はフゥァンさん。多賀先輩より一コ下の27歳。好きな色は青。自宅は北京らしい。それ以外にも色々と話をしたらしいけど、決定的やったんは北京に旦那さんが居るという事。つまり既婚者やったらしい。


「もうこの話は終わり!」


 あんだけ頑張ってたのに、残念でした。ということで多賀先輩はそっとしておく。その後は誰も喋らんかったけど、教授からも公安の奥さんからもクスクスと笑い声は漏れてた。


 僕は昨日満足に寝れてないんで、座席の下で眠らせて貰う。みんなは気分転換に多賀先輩が持ってきたトランプで遊んでるみたい。

 列車の揺れが心地よく、僕はすぐに寝付けた。


 列車が停車して目が覚める。2時間程経ってたわ。

 宝鸡バオジー(宝鶏)に8時9分到着。ここでは20分ほど停車するらしいので、多賀先輩とホームに降りてみる。

 例によって移動式の屋台がいっぱい並んでる。僕は包子パオズを買うて食べながら周りの景色を堪能する。

 北の高台には立派なお堂が見える。南に大きな山脈があり、西にも山がある。今まで平地ばっかりやったんで少し新鮮な景色に思える。


 この街も歴史的には大変重要なところで、歴史の時間にも習ったあの「黄河文明」の発祥の地。

 宝鶏はまたの名を陳倉チェンツァンと言い、三国志やゲームに出てくる重要な拠点のひとつ。ここの近くには司马懿スーマーイー(司馬懿仲達)と诸葛亮ヂュグェァリィァン(諸葛亮孔明)が命をかけて戦った五丈原という場所がある。「死せる孔明、生ける仲達を走らす」という有名な言葉はご存知であろう。今でも「诸葛亮」と言えば、知恵のある人、機知に富んだ人を指す言葉らしい。

 やっぱり、この旅では見る事ができなくて残念極まりない。


 その代わりと言うてはなんやけど、ディーゼル機関車の交換を見る事ができた。

 この先の天水ティェンシュイから鉄道の管理局が西安シーアン局から兰州ランチョウ(蘭州)局に変わり、ここからはどんどん標高を上げて行くんで機関車も重連運転で客車を引っ張ることになる。僕は思いっきり撮り鉄モードで写真を撮ってたけど、僕以外は誰も見てなかった。


 8時32分、列車は再び動き出す。暫くはみんなでトランプをして遊んでた。


 天水ティェンシュイに11時39分に到着した。ここからは陕西シャンシー省(陝西省)や。昼飯の車内販売が始まったんで、また4元のお弁当を買うてみんなで楽しく食べる。


 食べ終えた公安の夫婦が荷物の整理を始めたんで、どうしたんやと聞くと、次の次の兰州ランチョウ(蘭州)で列車を下りると言う。

 今日まで旦那さんの休暇で、北京へ遊びに行った帰りらしい。出会った思い出にと、北京で撮った写真を見せて貰らう。中年カップルというよりも、本当に若いカップルの様な写真。記念に「万里の長城」でのツーショット写真を頂いた。


 その後は公安の奥さんも話に積極的に加わってくる。日本では何の仕事をしてたとか、結婚はしてるんかとか、彼女はおらんのかとか、そんな話を延々と聞いてくる。最終的に落ち着くところは、僕の顔は中国人女性にモテるタイプの顔で、とてもイケメンに見えると言う事。公安の奥さんにも大変気に入られてしもた。


 2時22分に陇西ロンシー(隴西)に到着した。たった13分の停車時間やったけど、たくさんの物売りが乗り込んでくる。多かったのは果物売り。瓜とスモモを買うてみんなで食べる。

 列車は勾配がきついのか、時速60キロぐらいのゆっくりとしたスピードで走ってた。


 それでも5時57分の定刻に兰州ランチョウに到着する。

 公安の夫婦にはハグをしてお別れをした。


 兰州では乗ってくる人はおらず、6人掛けのボックスは僕と多賀先輩と教授の3人だけになってしまう。

 さっきまで賑やかに盛り上がってたのに、人数が減って急に寂しい感じになってしもた。


 兰州を出ると車窓の雰囲気も変わってくる。

 ここからは兰新线ランシンシィェン(蘭新線)を走る。窓の外には、ステップ気候の特徴である背丈の低い草原が延々と広がってる。海抜1600メートルを表す標識もあった。


 陽が沈むと急に気温が下がってきて、窓を開けてると寒く感じる。

 またこの列車は特急であるにも係わらず、ほぼ各駅停車で運行してる。駅に止まったけど誰か乗ってくる気配は無いし、降りる人もおらんかった。

 ここが駅なんかどうなんか分からん様な周りに明かりも人気も全く無い所にも止まったりする。


 人が少なくなった事も関係するけど、今夜の車内は静かで物悲しいの雰囲気やった。

 晩飯もまた4元の弁当を食べたけど、誰も一言も喋らんかった。

 そやし今日は早々に寝る事にする。


 列車は1時間ないし2時間おきに駅で停車するんで、床で寝ていた僕はそのたんびに目が覚めてぐっすりとは眠れんかった。

 そのせいか頭がぼーっとしてる。眠いのに寝られん。


 寝付けんでも目を瞑ってた。そうすると色んな思いが勝手に頭を駆け巡る。


 ちゃんと目的があるにも係わらず、「なんでこんな所にいるんやろう」、「なんでこんな所を旅しているんやろう」という疑問が自分の中に湧いてくる。それに孤独感にさいなまれることもあった。


 ホームシックやろか?


 いろいろ理由を付けてみたり、目的を再確認してみたけど言い訳にしか思えず余計に落ち込んでしもた。


 なんか家に帰りたいわ。


 そやけどいろいろ考えてる内にいつの間にか寝てしもてたみたい。

 日本を出て15日経ってた。



 つづく

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る