45帖 行き違い
『今は昔、広く
5月27日、月曜日。
早朝の北京は、風も爽やかで気持ちがええはずやった。と言うのんは、寝不足と不安で僕は全く何も感じられへんかったから。
今朝は出発が早いんで、昨晩は二人とも早く布団に入ったんやけど……。
僕らが寝ようとしてたら
「
と適当に返すと、その服务员は不服そうな顔をして出て行った。まぁええか。
その後、電気を消して早く眠ろうとしたんやけど、やっぱりミョンファの事が頭にあって眠れへんかった。
寝ながらも、結局のところ悩んでしもて頭は冴えとった。
僕の最終目的地はイラクや。その意志は固い。例え北京に残ったとしても、僕には何もできへん事は分かってる。それならすぐにイラクを目指すべきか。でもミョンファも悲しませたくないというのもある。日本に戻るという朴君の提案も今の僕には受け入れ難い。ほんならもう少し北京に居て出発を遅らせるべきやろか。果たしてそれがミョンファにも僕にもええことなんやろか。それとも逆にどんどん先に進むべきやろか……。
そんな感じで考えとったら無限ループに陥ってしもて、ほとんど眠れてなかった。
それでもウトウトしてたら起床の時間になる。
荷物を運び、宿泊の精算を済ませる。勿論、宿泊料金は前払いなんで追加料金は一切無し。一応、今日は部屋が空いてるか聞いてみたら、空いてるとの事。
僕は旅館の外に出て『
多賀先輩と地下鉄で北京駅に行き、外国人専用待合室に荷物を置きに行く。それからパキスタン大使館に向かうんやけど、どうも9時に間に合いそうにない。仕方なくタクシーで向かうことにする。
タクシーで行くと、パキスタン大使館には間に合うたけど12元もかかってしもた。
1時間ほど待たされて無事にビザをゲットできた。しかもタダやった。
朴君の店に行くにはまだ時間も早いんで、大使館のインフォメーションコーナーでパキスタンの情報を仕入れる。いくつかのリーフレットが並べてあり、ペルシャ語や中国語、英語で書かれてる。取り敢えず中国語と英語で書かれてるリーフレットと地図を一つ貰らう。
そろそろ昼飯を食べに行こかという事で、朴君の店に向かった。
何故か心臓がドキドキしてくる。
僕はまだ結論が出てなかった。どうにでもなったらええとも思た。出発できる準備は整ってる。
ここまで来たら、あとはミョンファの顔を見て、「その時に思た様にする」と決めた。
ビクビクしながら朴君の店に近づいてみる。そやのに、もう11時を過ぎてるし、いつもやったら開いてるはずやの店のドアはまだ閉まったままやった。
「あれ。店、閉まってるやんけ」
「どうしたんですかね?」
風邪でも引いたんかなと考えてみたけど、ミョンファも居るしおじさんおばさんも居るから変やと思てた。
店の前まで来たけど、やっぱりドアは閉まってた。しかも人気も何もない。
心配になって朴君やミョンファを呼んでみたけど全く反応がない。
「北野、張り紙があるぞ」
「えっ!」
多賀先輩が見つけてくれた店の看板に貼ってある紙を見る。
『
「なんて書いてあるんや? 読めへんぞこの字」
「一番上の字は「
「これて、臨時休業っていうことか?」
「そうみたいですね……」
どうしたんやろ。何で店閉めてるんやろ。朴君は? ミョンファは何処へ行ったん?
ふと横を見ると、いつも朴君がシシカバブーを焼いてた窓ガラスにも張り紙がしてあった。張り紙というよりも手紙や。直ぐに近寄りそれを見る。
ひらがなで書いてあるところを見ると朴君が書いたやつや。
『どうふあさん しいえんたいさん わたしタチのおじいさん、病がワルクなつたので吉林に归リます。いつもミセに来てくれて、ありがとうございました。とつてもたのしかつたです。キをつけていつてください。またミセに来てください。しえんたいさん、
と書いてある。
「朴君ら、行ってしもたんやなぁ」
「そうですね。こんな事ってありますかぁ……」
なんてことや。おじいさんの病状が悪化したから吉林省に帰ったてか。それはしゃあないとしても、タイミングが悪い。悪すぎや。最悪やな。
僕は唖然とした。自分の情けなさに打ちのめされて全身の力が抜けていくのが分かった。
すると多賀先輩は、
「ミョンファの手紙があるで」
と言うてくれる。窓枠の下の方に、小さい紙が貼ってあって、メッセージが書いてある。
間違いなくミョンファのものや。
『憲太 キライ デモ 我真想见你 ダイスキ 明華』
と書いてあった。
そうか。「キライ」って、やっぱりミョンファは怒ってたか。今日の事、黙ってたもんなぁ。ほんまに情けない奴やな、僕は……。
こんな事に成るんやったら、ちゃんと言うとくべきやった。ミョンファがどんな反応するか怖かったし、多分ミョンファやったら泣いてしまうやろから、それにビビって言えんかった。僕はアホや。
その次の中国語は何のことか分からへんけど、最後に「ダイスキ」と書いてある。「キライ」で「ダイスキ」。どういう事や?
でもどっちにせよ、ちゃんと自分の口から言わなあかんかった。それがせめてものミョンファに対する誠意やと。
今頃気付くか。
僕は今からでもミョンファにちゃんと話したい。会って話したら分かってくれるんやないかと思た。
その可能性は……。ちょっと待てよ。もしかして?
僕は背負っているサブザックの中から「
もしかしたらまだ列車に乗ってなくて、今から北京駅に行けば会えるかも知れんと少し期待した。
僕は慌てて時刻表をめくる。朴君は
僕は
もしかしたらこれに乗るんでは……。
時計を見ると、11時18分。今からタクシーをぶっ飛ばしたら間に合うかも知れん。上海駅でも列車の発車時刻が遅れたし、この列車もなんかの理由で遅れてたら間に合うかも……。
そう思て僕は多賀先輩に提案する。
「今すぐ北京駅に行きましょう。もしかしたら会えるかも知れません」
「うーん……」
多賀先輩は黙り込んで、いつもと違う真剣な顔をしてた。
ほんで、いつも通りニヤっとした顔になって話し始める。
「北野、諦めろ。駅に行ってもたぶん会えへんと思うで」
「でももしかしたらこの列車に乗る様な気がします」
「前に北京駅に行った時に中も覗いてみたけど、めっちゃ人多いし、見つからへんで」
「そやけど……」
「それに、あの貼り紙見てみ。ちょっとシワシワになってるやろ」
僕は『临时歇业』と書いてある張り紙を見る。露で湿った様な後がある。
「あれはさっき貼ったんと違ごて、たぶん昨日の夜やで」
「……」
「そやし今から行っても居らへんって」
僕はもう一度、時刻表を見る。
22時07分発、
僕は昨日の夜の事を思い出し、肩落として天を仰いだ。
そうや、昨日服务员が部屋に来たんも、朴君からの知らせやったんや。もう行ってしもたんか……。
そう思てたらミョンファの顔が思い浮かんでくる。僕らが今日、北京を出発するって事を朴君から聞いてるはずや。
それを聞いてミョンファはどうも思たんやろ? 悲しんでたかな。どんな顔をしてたんやろ。どんな気持ちやったんやろ。
と、考えてたら、なんで昨日言わんかったんやと言う思いが再び湧き上がり、更に落ち込んでしもた。
ちゃんと顔を見て言うたら良かったと悔やんだ。悔やんでも悔やみきれんかった。
くそー!
僕は泣き崩れそうになってた。
「北野、取り敢えず駅に向かって行こか。俺らの列車の時間もあるしな」
「そ、そうですね……」
地下鉄の駅に向かって歩き出す。
歩きながら僕は思った。
絶対に帰ってきたるぞ。そしてミョンファに必ず会いに来ると。
僕は何度も振り返り、朴君の店を目に焼き付けた。
つづく
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