16帖 あゝ水餃子

『今は昔、広く異国ことくにのことを知らぬ男、異国の地を旅す』



 北京の街は、どこか埃っぽいのに空気は湿ってて暑い。ましてや人生で初めて訪れた言葉も通じない異国の地。

 暗闇くらやみと宿無しになるかも知れんと言う恐怖と戦いながら、総重量25kgの荷物をかつぎ、1時間以上歩けば誰かてしんどなるわ――。


 僕らは、疲れて果てて寝てた。


 コン、コン!


 ドアのノック音で目が醒める。

 おじさん達は、酒を飲んできたんか上機嫌で入ってくる。


 もう少し寝たかったなぁ。


「君たちはもう晩御飯は食べたのか?」

「いえ、まだです」

「じゃあ連れて行ってあげるから、食べに行こう」


 と、半ば無理やりに連れ出される。いやいや、晩御飯のお世話までして頂いて、そんな言い方は失礼や。そやけど、もうちょっとゆっくりしたかったんも本音。


 食堂に着くとおじさんは、あれやこれやと注文してる。


 あれ、おじさん達は晩飯食べたんとちゃうのか?


「さあさあ、ここへ座って」

「あっ、どうも」


 もう一人のおじさんが、ビールを持ってきてくれる。

 何がどうなるんやろと見てると、料理がどんどん運ばれてきた。


 干し肉と野菜炒めと、それにこれまで食べたいと思いながら口にできひんかったあこがれの水餃子が、それも大盛りで目の前にドンと置かれる。


「さあどんどん食べなさい。私たちはもう夕食は済ませたから部屋へ帰りますが、ごゆっくりどうぞ」


 と言うておじさん達は部屋に帰って行く。


 えっ、これを食べろちゅうことか?


「なんや見たこと無い肉料理ですわ」

「そやな。これは豪華や。そやけどまずは乾杯や」


 やっと普通の中華料理にありつける。

 給仕のおばちゃんがコップを持ってきてくれたついでに、この料理は全部でなんぼするんか聞いてみる。


「お金はさっきの二人が払ってくれたからいいよ」


 と言うてたと思う。


 まさか食事代まで出してもらうなんて……。


 なんとお礼を言ったらええんか分からん様になってきた。

 まぁ取り敢えず乾杯や。この旅館に来て、まだ何も飲んでへんかったわ。


 コップにビールを注ぎ、今まで無事に来れたこと、それとおじさん達への感謝の気持ちを込めて二人で乾杯した。

 ビール自体は日本のそれと違ごてあまり美味しとは思わんかったけど、疲れたきった体には最高の一杯や。

 

 ぷはー!


「五臓六腑に染み渡るとはこういう事かぁ」

「うーん聞き飽きた台詞ですけど、分かりますその気持。生き返りますよねー」

「よし、飯の方も頂こか」

「そうやけど、めっちゃ量多いんとちゃいます?」

「そやなー、二人分にしては結構な量あるなぁ」

「残したら申し訳ないし、頑張って食べましょか」


 あれほど食べたかった水餃子が、今、目の前に大量にある。

 僕はたまらず水餃子から食べ始めた。


 もっちりとした食感、中からじゅわっと出てくる肉汁。めちゃくちゃうまかった。次から次へと食べた。


 やのに、どうした水餃子。いや、水餃子やない。僕のお腹や!


 7つほど食べたら、お腹がいっぱいになってしもた。

 もっと食べたかったけど、お腹に入っていかへん。

 疲れすぎて、胃が受け付けへんみたい。

 食べたい気持ちはあんねんけど、なんと言う仕打ち。

 食べたい時に、食べられへんやなんて……あまりにも残酷すぎる!


 あぁ水餃子、もっと食べたい――。


 しゃぁないし気分転換に干し肉を食べる。これもめっちゃうまいやん。そやけどもう喰われへんわ。ほんまに苦しなってきた。


 多賀先輩はというと、黙々と食べてる。が、ついに限界が来たようで、箸が止まりかかってた。


「なんで食べられへんのやろ。くやしいなぁ」

「ですね。僕はもう食べられへんかも」


 お皿の上にはまだ半分以上残ってる。

 少し休憩や。


 それで明日の打ち合わせをする事に。そやけど、お腹がいっぱい過ぎてなんも考えられへん。それに、ビールはコップ二杯しか飲んでへんのに、もう酔いがまわってきた。

 二人とも黙ったままやった。


 ほんまに疲れ過ぎとるわ。


 そやし早く部屋に戻って横になりたくなってくる。そやけど残すのはもったいない。

 仕方なく、水餃子を食べられるだけお腹に詰め込む。悔いのない様に。

 でももう限界。吐きそう。


「どうします、もう無理ですわ」

「俺も無理やわ」

「そやけどおごって貰ろたのに残したら申し訳ないですやん」

「せやなー、そしたら……なるべく食べた様に見せかけよか。残ったもんは皿の端っこの方に……こうして集めといたらええやろ」

「それやったら少ししか残ってへんように見えますね」


 いかにもたくさん食べましたということを演出する為に、皿の上を整理する。

 食べ始めてまだ30分しか経ってないけど、諦めて「ごちそうさま」をしてしもた。


 給仕のおばちゃんに「ありがとう」と言うて、食堂を後にする。お腹が苦しかったんで、外で少し涼んでから戻る事にする。

 そやけど外の方が暑かったんで、やっぱりすぐに戻る。


 まず、おじさん達に夕食のお礼を言いに行って、そして自分らの部屋に入り、すぐに横になる。


「あー苦しい」

「俺も苦しいわ。中国でこんなに食べたの初めてやな」

「いやーほんまはもっと食べたかったなー」

「そやけど、あれはいったいなんぼしたんやろか」

「また金の話ですか」


 するとドアをノックする音がして、おじさん達がビールとつまみを持って入って来た。


「お腹いっぱいになったか」

「はい、お腹が苦しくなるほど食べました」

「おお、それは良かった」


 それからは皆でビールを飲みながら、筆談で話をする事になった。お腹は苦しいままやけど……。


 おじさん達は、黑龙江省ヘイロンジィァンシャン(黒竜江省)にある機械工場の偉い人で、北京に出張で来たらしい。

 メガネをかけた背の高いおじさんはチャオさんと言い、もう一人の小さい方のおじさんはジィァンさんと言う。

 まあ初めはやっぱり日本の事を色々質問された。もちろん結婚はしてるのかとかも。

 たまたま多賀先輩は機械関係の企業で働いてたんで、おじさん達はめっちゃ興奮した様子で多賀先輩との会話に大いに盛り上がってた。


 そのうち僕は眠たなって、ウトウトしだす。


 多賀先輩の声で目が醒めると、いつの間にか超さんと姜さんは帰ってた。


「おい北野、シャワーでも浴びたら。気持ちええで」

「そうですか。ほんならひとっ風呂浴びて、ほんまに寝よ」


 裸になって、シャワー室に入る。ところがシャワーからは水しか出ぇへん。


「多賀先輩。お湯、出ぇへんのですけど、どないしたらええんですか?」

「俺もいろいろ試したけどな……、お湯は出んかったわ」


 やられた! められたわ。あんな優しい声を掛けたんは、罠やったんや。自分が水しか浴びられへんかったさかい、僕にも同じ目に遭わせたかったんや……。油断しとったわ。


 まぁそれ以上言うても面倒臭かったんで、我慢してそのまま水シャワーを浴びる。

 シャワー室から出てきて、負け惜しみで言い放った。

 

「暑い日は水シャワーの方が気持ちええですね。よいも覚めましたわ」


 多賀先輩は、クスクス笑っとった。


 くそーー。


 頭を拭いて着替えてると、またおじさん達がやって来た。なんかなーと思ってたら、


「明日の朝、食べなさい」


 と朝食用のパンを買うて持ってきてくれた。本当に優しいおじさん達や。多賀先輩も見習って欲しいわ。

 僕は感謝の気持ちを込め、日本語で「おやすみなさい」と言うた。


 ベッドへ横たわり、今日の出来事をメモ帳に記録する。

 今日、列車で出会ったおじさん達のこと。そして宿や飯のお世話をしてくれたおじさん達のこと。

 ほんまに中国の人は人情味にんじょうみがあると思う。今日一日、なんとか終えられたんも、たくさんの人民のお陰や。


「多賀先輩」

「うん?」

「ええ人に出会えてよかったっすねー」

「せやなぁ。今日はほんまに助けて貰もろたなぁ」

「うんうん」

「まぁ、上海の陳は最悪やったけどな」


 やっぱ言うか。


 陳は、ほんま最悪やったけど。でも考え様に拠っては、キーマンやったと思う。

 公安のおっちゃんや張君にも会えたし、今日出会ったおじさん達にもながった訳やから。

 まぁええ様に考えとこーと思う様になってきた。


 そんな事を考えてたら、いつの間にか寝てしもてた。ペンもメモ帳もそのままで……。



 つづく

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