北京

15帖 僕らは宿無し

『今は昔、広く異国ことくにのことを知らぬ男、異国の地を旅す』



 北京南ジャン(駅)を出ると、まず僕は駅横の売店で北京の詳細な地図を探す。

 探すまでもなく、一番目の前に置いてあった「北京ベイジン交通ジャオトン旅游图リュヤォトォゥ」(北京交通旅行図)という地図を手に取り、1元でうた。


 この大きな地図には、バス路線や地下鉄の路線が分かりやすく書いてある。

 それを広げて、北京中心地の西、玉泉路ユウチュエンルーという旅館街を探す。北京の中心地よりかなり離れてるけど、そこには安い宿がたくさんある。直ぐに見つかって、そこまでのルートを検討する。


 その時、後ろから人民に英語で声をかけられる。英語で喋ってくる人民は珍しかったんで振り返ってみると、


「チェンジマネー?」


 と言うて、指でお金を数える様な仕草をして男が近づいて来る。


「あなた方は旅行者ですね。両替しませんか?」


 本来、ドルや日本円の両替は銀行の窓口で行うもんやけど、こういうやからの様に外貨を稼ぐ為に闇で両替してる奴も居る。ほんまは違法行為やけど、銀行よりも高いレートで両替できるんで旅行者にとってはお得な話や。ただ、リスクもある。


 とうとうやってきたか!


 という感じで多賀先輩が対応する。


「10ドルで何元や?」

「10ドルで30元です」

「安いなあ。それでは両替できんわ。もうちょっと上げてや」

「分かりました33元ではどうですか?」


 いとも簡単に上がるんや。


「50元やったら交換したる」


 多賀先輩、ふっかけるなぁと思いながら僕は静観してた。


「それは無理」


 と言うて去って行った。

 そんなにふっかけたらあかんやろと思てたら、別の男がやってくる。

 多賀先輩は、ベテラン旅行者の風で交渉を始める。


「なんぼや」

「10ドルで、35」

「もっと上げて」

「50ドル分交換するなら、37だ」

「よっしゃ、そしたら200ドル両替したるし800でどうや」

「わかった。では800で手を打とう」


 こんな駆け引きをして、先輩が100ドル、僕も100ドル出して400元ずつゲットした。

 計算してみると1元25円や。銀行の倍のレートで両替できたわ。うふ。


 さっきも言うたけど、これは違法行為やから、良い子は絶対に真似しないようにね。(悪い子は……、知りません)



 近くのバス停からバスで地下鉄の宣武门シィユェンウーメン(宣武門)站へ移動する。そこから地下鉄で复兴门フウシンメン(復興門)站まで行き、乗り換えて玉泉路站まで行く。


 玉泉路駅を出て地上に出てみると、少し暗くなってきてるけど、


「まだまだ日暮れには時間がある」


 と余裕で歩き出した。

 目指すは安宿で有名な玉泉路饭店ファンディェンや。中国では安い旅館のことを「飯店」と言う。「飯店」がつく高級なホテルもあるけど、ここら辺はみな安い。


 駅の交差点から大通りを西に向かって行ったらあるはず。意気揚々と歩く。

 ところが……、簡単に見つかると思てたけど、それらしき建物も看板も無い。とうとう次の八宝山パーバオシャン站に着いてしもた。

 どこかで見落としたかも知れんさかい戻ってみる。


 あーしんど。


 地図上では大通りの北側に書いてあるんで注意して歩いてると、10分位で見つける。

 なんと茂みで隠れた所に入り口があって、その中に玉泉路饭店があった。


「なんやこのダンジョン! 難易度、結構高いわ」


 かなり歩いたんで見つかって嬉しかった。

 早速、中に入り、レセプションで安い部屋が空いてるかどうか聞いてみると、答えは速攻で返ってきた。


没有メイヨウ(ないよ)」


 やっぱり無いか。


 歩いて疲れてたんで、もう歩きたないなと思て、高い部屋やったらあるかと聞いてみる。そやけど、返ってくる言葉はやっぱり「没有」やった。

 そやし僕らは諦めて別の安宿を探すことにする。


 玉泉路駅の交差点まで戻り、今度は北に向かって通りを進む。しばらく歩くと旅館があったんで早速レセプションで聞いてみる。しかし答えは同じや。


「どこの旅館もいっぱいやなんて変やなぁ」

「なんか北京でイベントでもやってるん違いますかね」

「北野、今日は何曜日やったっけ」

「土曜日ですわ。そやし旅行客でいっぱいなんと違いますか」

「その可能性はあるなぁ。最悪の野宿やな」

「まあ、もう一軒あるし。そこに期待しましょ」


 僕らは通りを更に北へ進む。旅館を見つけ、部屋が空いてるか聞いてみたけど、やっぱり答えは「没有」やった。


「返事は『没有』しか無いんかい!」


 と思うぐらい何度も聞かさる。しかもちょっと怒りながら言うもんやから、こっちも腹が立ってきたわ。


 そやけど無いもんはしゃぁない。野宿確定かと思いながら、取り敢えず交差点まで戻る。かれこれ1時間位、重い荷物を背負って歩いてる。辺りはすっかり暗くなり、僕らは途方に暮れて座り込んでしもた。


 僕は歩道の縁石に座ってタバコに火をつける。多賀先輩は交差点から野宿ができそうな所を物色してる。

 タバコを吹かしながら空を眺める。段々闇が迫ってきて街灯の明かりが点き、それがむなしく思えてくる。


 やっぱり今日も野宿かぁ……。


 そう諦めながらも、ふと多賀先輩を見ると、3人の人民に囲まれてる。

 また何か声を掛けられてヤバいことになるんかと警戒し、立って僕も近寄る。


 多賀先輩は、おじさん二人とおばちゃんに中国語で話し掛けらてる。

 筆談もできんので何を言ってるか分からんのやけど、おじさん達は一生懸命話してくれてる様や。


 もしかしたら、途方に暮れてた僕らを見て心配してくれたんやろか?


 下手くそな中国語やけど、宿が「没有」という事を伝えてみる。そやけど、おじさんたちには、僕の中国語はやっぱり伝わらんかったみたい。不思議な顔をしてた。

 それでも必死になって説明してたら、僕らが日本人やという事と「玉泉路飯店には部屋が無い」というのんは伝わったみたい。

 しかもおじさん達も、玉泉路饭店に泊まってる事が理解できた。


 その後、猛烈に話し捲くるおっちゃん達の中国語は分からんかったけど、なんとなく、


「大丈夫や、部屋はある。だから私たちと一緒に行こう」


 と言うてるみたい。

 まただまされたらどないしよかと心配してたら、おじさん達は僕らの腕を引っ張って、


「取り敢えずついて来い。ついてきたら何とかしたる」


 みたいな感じで玉泉路饭店に連れていかれた。


 レセプションで、おじさん達は服务员フーウーユェン(服務員)の女の人と交渉を始める。

 何を言うてるか分からへんかったけど、おじさんと服务员は喧嘩腰で話してる。僕らはその様子を見守るだけやった。

 ただ、おじさんは何とかこの旅館に僕らが泊まれるように頑張ってくれてる事は分った。


 しばらくして服务员が折れ、話がまとまった様や。

 おじさん達は僕らのとこへ来て筆談で説明してくれる。


「私達は二組の夫婦で北京に来ている。ひと部屋ずつ取っているから、二つ部屋ある。その一つに君たちに譲ろう。私たちは四人で一つの部屋に寝るから大丈夫だ。安心しろ」


 という事やった。


 なんと言う親切!


 僕ら日本人だけではこんな事は出来へんかったやろう。ほんまに嬉しくなった。

 中国語で感謝を表す言葉は「谢谢シィエシィエ」しか知らんけど、嬉しくて僕らは何回も「谢谢」と繰り返す。


「気にしなくていいよ。困っている人が居たら助けるのが中国人だから」


 みたいな事を言うてくれたと思う。


 レセプションで住所や名前を書き、パスポートを提示して手続きを済ませる。一泊の料金は30元。日本円で750円ぐらいや。二泊分の60元を前払いした。


 その後、おじさん達は僕らを部屋へ案内してくれる。一方の部屋のおじさんとおばさんはもう一方の部屋へと荷物を移動し、空いた方の部屋を僕らに引き渡してくれた。

 僕らはまた「谢谢」と言うて部屋に入ると、荷物を置いてベッドの上に横になる。疲れ果ててた。


「良かったですね多賀先輩。これで宿は確保出来ましたやん」

「おじさんらのお陰やな。助かったなあ」

「もし、あそこで多賀先輩がおじさん達に声掛けられへんかったら、今頃どうなってたんですかねー」

「そんなもん野宿してたに決まってるやろ」

「やっぱりそうか」

「俺に感謝せえよ」


 感謝するのはあんたとちゃうやろと心の中で叫んだ。


 あのおじさん達が神様のように思えてくる。まだまだ神様には見放されてへんわ。


 そっか、美穂がくれたお守りのお陰かも……。



 つづく

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る