天津→北京

14帖 ジャスミンティーとかぼちゃの種

『今は昔、広く異国ことくにのことを知らぬ男、異国の地を旅す』



 ボックス席にはおじさんが2人座ってる。

 僕の隣のおじさんは、40代前半ぐらいやろか少し痩せてたけど目つきは鋭く、背筋がまっすぐで良い姿勢をしてる。斜め向かいのおじさんはメガネをしていて年齢は50歳位。オールバックで少し太った優しい感じやった。

 向かいの席は加賀先輩が座ってる。


 列車が動き出し暫くするとメガネのおじさんが話しかけてくる。何を言うてるか分からへんったんで、僕らは「日本人や」とメモ帳に書くと、


「あーそうか。日本から来たのか。随分と遠いとこから来たなぁ。私はあなた方、日本人を歓迎します」


 みたいな事を言うて握手をしてくる。割と気さくな人や。

 隣のおじさんは、


「私は功夫コンフー(カンフー)の師範をしているのだ」


 と言うてた。まぁ全て筆談やけどね。

 隣のおじさんとも握手をする。


「君たちは、どこから来たのだ」

「上海からです」

「それは大変でしたな」

「めっちゃ疲れましわ」


 何回も書きますが、筆談ですから……。

 それからメガネのおじさんと僕らは色々なことを話した。

 上海から天津に行く時もそうやったけど、情報が無いのか興味深々なんか判らんけど日本のことをよう聞かれる。

 ほんで大概たいがいは日本と中国があまりにも違うんで、いつも驚いてくれる。


 また、「僕は24歳だ」と言うと、ほぼ間違いなく「結婚はしていないのか」と聞かれる。

 独身だと答えると「なぜ結婚していないのだ」と言われる。中国では24歳やったらみんな結婚してるんやろかと疑問に思う。

 ちなみに、質問の答えは「検討中」だ。これでだいたいみんなは納得してくれる。


 暫くすると師範のおじさんはカバンから魔法瓶のような水筒を出して、3人にお茶を振る舞ってくれた。もちろん黙って。それが格好良く見える。

 僕はシェラカップにお茶を入れて貰う。するとジャスミンのいい香りがしてくる。


 これがジャスミンティーか、初めて飲むわ。


 お茶を口にすると、なんかトイレの芳香剤を飲んでるみたいやったけど美味しかった。


 メガネのおじさんは、鞄から黒い何かの種の様なもんを出して僕らにくれる。

 これは何かと聞くと、


南瓜ナングァ(カボチャ)の種だ」


 と言う。

 そんなもん食べた事がなかったんで、どうやって食べるんか聞いてみると、師範のおじさんが手本を見せてくれる。

 メガネのおじさんは、それを解説をしてくれた。もちろん中国語なんで、意味は分からんけど、


「まず前歯でタネを縦にして軽く噛む。そして殻が割れたら、中身を取り出して食べるんだ」


 と言うてるみたい。


 なるほど、そうやって食べるんか。


 僕もやってみたけど、殻を破ろうとして前歯で噛むと、ぐしゃっと潰れてしまうだけで割れへん。それを見ておじさん達は笑ろてる。


「もっと食べなさい」


 と机の上に紙を敷いて、袋からいっぱい出してくれた。


 もう一回やってみたけど、やっぱり潰れるだけや。

 多賀先輩も食べる。多賀先輩はなんと、上手いこと殻を割って中身を食べてる。

 メガネのおじさんは、


「君は上手にできるね。なかなか筋がいいよ」


 と言うて笑ろてる。

 僕も負けずに力を加減してやってみる。すると次はうまいこと割れた。


 中の白い、所謂いわゆる胚乳はいにゅう」を食べたら、ちょうどいい感じの塩加減で、ひまわりの種とよく似た味で美味しい。

 多賀先輩を見ると、


「北野、これうまいわ。割って食べるんがむっちゃはまるわ」


 と言うて次から次へと殻を割って食べてる。僕も3回に1回ぐらいは失敗するけど、たくさん頂いた。

 ちなみに、


「割った殻はどうしたらええですか」


 と聞くと、


「殻は床に捨てるんだよ」


 とあっさり言われてしまう。ほんまかいなと思て見てると、おじさんはほんまに殻を床に捨ててる。こんな事してええんかなと心配な顔をしていたら、


「後で掃除の人がきれいにしてくれるからいいんだよ」


 と、どんどん捨ててた。

 床にゴミを散らかすというのんは罪悪感があった。でもこれが中国式らしい。


 実際に1時間ぐらい経つと掃除のおばちゃんがやってきて、怒ることもなく当然の様にゴミを取っていく。ただ、これに慣れるにはまだまだ時間がかかりそうやし、道徳的になかなか受け入れられそうにもなかった。


 カボチャの種を食べながら、その後もメガネのおじさんと僕たちは色々な話を筆談でやる。

 因みに師範のおじさんはというと、お茶を飲んだ後は綺麗な姿勢で微動だにせずに僕たちの話を黙って聞いてた。さすが功夫の師範や。



 この列車は各駅停車なので、およそ10分に1回ぐらいの間隔で駅に停まる。

 停車時間は上海から乗ってきた列車と違って2、3分や。そして15駅ほど過ぎたら街並みが急に都会っぽくなってきた。

 おじさんは、次の駅が終点の北京やと言うてる。そやけど最後の駅を出て少し走ると、列車は止まる。しばらくするとゆっくり動いて、そしてまた止まった。今度は5分ぐらい動かん。


 やっと動いたかと思たら、また止まって動かん様になる。そんなことが何回かあって、どうなることかと心配してた。


 メガネのおじさんは、


「別に何も心配いらん。いつものことだ」


 みたいな感じで平然としてる。北京南駅の到着予定時刻は16時48分やったけど、すでに30分以上過ぎている。もちろんアナウンスは一切ない。

 暫くして、また列車は止まる。


「なかなか進みませんね」

「せやなぁ、信号待ちとちゃうか」

「そうかなぁ。でも到着時刻はとっくに過ぎてますよ」

「ほんなら何かあったんかな? 事故とか」

「おじさん。ほんまに大丈夫なん?」

「あー心配ない、心配ない」


 と言うだけで何も焦っている様子も無いし、心配してる様でもない。中国の人って、「のんびりで、でおおらかやなぁ」と思た。


 窓の外には高層ビルが見え始め、少しオレンジがかった光がそのビルを照らしてる。太陽はだいぶん傾いてきてる。

 僕らは少し焦った。なんでかと言うと、今晩の北京の宿を確保してなかったからや。


「多賀先輩、今日の夜どこに泊まります?」

「うーん、安そうなホテルは無いけ?」

「ガイドブック見たんですけど、駅降りてから西の方に行ったら安い宿が幾つかありそうですわ」

「ほな降りたら宿に直行やな」

「でも北京は旅行客も多いし、予約でいっぱいかも知れませんで」

「まあ大丈夫やろ」


 多賀先輩も結構おおらかや。いや何も考えてへんだけかも知れん。僕は心配になってきた。


「もし宿がいっぱいで泊まれんかったらどうします?」

「まあ最悪野宿でええやろ」

「また野宿ですか」

「タダやぞ」

「そやけど危なないですかね」

「そやなあ。それはちょっと心配やな」

「もし襲われたらどないしますねん」

「お前アホやな。公園とかで誰にも見つからん様に隠れて寝とったら襲われへんがな」

「なるほどね、見つからへんかったら襲われへんか……」


 道理のかなった考え方やと感心する。

 そやけど、やっぱ足を伸ばして布団で寝たいし、二日ぶりにシャワーを浴びたいなーと心の中で叫んでた。


 すると漸く列車は動き出す。


「もうすぐ駅に着くよ」


 と、メガネのおじさんが言うてくる。


「この後、君たちはどうするんだ」

「しばらく北京にいます」

「その後はどこへ行くんだい」

「パキスタンやイランの方へ行きます」

「ほほー、そんな遠くへ行ってしまうのか」

「僕の最終目的地はイラクです」

「僕はギリシャに行きます」

「それは素晴らしい」


 と言うてくれた。

 みんなは荷物を整理して降りる用意をしてる。その時おじさんは、僕が持ってた登山用の赤いヘルメットを見て、それを見せてくれないかと言うてくる。

 そやし僕はヘルメットを渡した。


 僕のヘルメットには美穂が書いてくれたメッセージが刻んである。


「これは何が書いてあるのかな?」

「友人が旅の安全を願って書いてくれたもんです」

「そうか、それなら私も書かせてもらえないだろうか」


 と言うてきたんで油性ペンを出して渡す。おじさんは、漢詩をスラスラっと書いてくれた。


「この詩を君に贈るよ。この詩は旅立ってゆく友達のことを想って詠んだ詩だ」


 青山橫北郭

 白水遶東城

 此地一爲別

 孤蓬萬里征

 浮雲遊子意

 落日故人情

 揮手自茲去

 蕭蕭班馬鳴


 意味は分らんかったけど、こんな事をして貰えるなんてめっちゃ嬉しい。メガネのおじさんって粋やなぁと思う。


「おじさん、ありがとう」

「若者たちよ、気を付けて旅を楽しみなさい」


 列車は北京南駅に到着する。


 おじさん達にお礼とお別れを告げ、僕らは駅を出た。



 つづく

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る