10帖 夜行列車
『今は昔、広く
列車が止まって目が覚める。15時08分。
ああ、ここが南京かぁ。
僕は少しいたたまれない気持ちになる。それは昔ここで旧日本軍による虐殺があったという話を思い出したからや。ほんで、日本人の僕は、周りの人民からどう思われるんか考えてしもた。僕が悪いことをしたんではないけど少し辛い気になってしもて、しばらく下を向いてた。
おっちゃんみたいに、逆に日本国民を代表して謝ったほうがええんかな……。
そやけど誰もそのことで僕に話し掛けてくる人民は居らん。
列車は15時20分に南京を発車する。なんかものすごく長く感じる停車時間やった。
暫くすると公安のおっちゃんは、窓の外を指差して大きな声で何か言うてる。なんやろうと思て窓の外を見ると、列車は高架の上を走ってる。
そやけど高架やと思てたんは違ごて、実は
公安のおっちゃんが言うには、长江の川幅は1千5百メートルで、それに架かってるこの橋の長さは7キロもあるらしい。おっちゃんが作ったみたいに、自慢げに話してくれた。
ほんまにめっちゃ長い橋で、すごいもんを人民は作ったんやなぁと感心させられる。橋もそうやけど长江もめっちゃでかい。湖かと思うくらいでかく感じた。
僕が小学校の時に聞いた話を思い出した。中国の人が日本に来て琵琶湖を見ると、「日本にもこんな大きな川があるんですね」と言うたらしい。なるほど、长江は川やて言われへんかったら湖と間違えるぐらい大きい。そやけどそれは中国では普通なんやと思う。幼い頃、琵琶湖の畔で育った僕が信州の「白樺湖」を見て「池」と言うたんと同じ感覚なんかな?
更におっちゃんは、橋ができるまでは船で列車を運んでたんやとも言うてる。
ほんまに長い橋で、いつまで経っても列車は橋の上を走っている。写真を撮る時間がたっぷりあったんで、思う存分撮りまくる。中国の雄大さを感じさせられる光景やった。
写真を撮り終えて席に戻ると、さっきの中学生が座席の横に立ってて、「満を持して」って筆談に加わってくる。
彼の名前は
張君は「あなたの名前は何ですか」と英語で聞いてきたんで、僕はノートに「北野憲太」と書く。
「ベイイェ シィェンタイ」
と読んでくれる。
中国語ではそう言うんや。
日本語では「きたの のりた」って言うんやでと教えて上げる。
ちなみに多賀浩二先輩は、
「ドゥォフゥァ ハオアール」
と言うらしい。多賀先輩は、発音が難しくてなかなか言えへんかったみたい。
張君は日本人と話すのは初めてらしく、僕のことを色々と聞いてくる。日本のこともあれこれ質問してきた。
周りのボックス席に座ってた人民たちも、僕ら日本人の事が気になってたんか、時々立ってこっちを見てる。
筆談で書いた事を公安のおっちゃんが中国語に訳してみんなに説明してる。そやし少し離れたとこからも質問がいっぱい飛んできた。
質問だけでなく、お菓子や飲み物、饅頭なども差し入れとして届けらる。
「おおきに!」
僕はお返しに、日本から持ってきた「泡あわ」という
筆談してて、たまに話が食い違ってるなーって思うことがある。日本の漢字の意味と中国の漢字の意味が異なってるからやと思う。
どうしても意味が伝わらなくて困っていると、張君が頑張って英語で通訳してくれる。しかし彼の知ってる英単語はあまり多くない。そうなるとそのお話は打ち切りになってしまう。
お互いにお互いのことを理解しようと頑張ってはみたものの、そんな訳でなかなかスムーズに会話が進んだことはない。
それでも話は尽きへんし、だんだんと列車の旅が楽しくなってきた。
17時56分、上海からおよそ500キロ離れた
お弁当を買うて食べると、中身はそんなに変わらんのに今度はまあまあ美味しかったわ。
弁当を食べ終わった頃、 ふと車窓を見ると外はすっかり暗くなってる。
晩飯と一緒にお酒を飲んで気持ちよくなったんやろか、どっからか歌声が聞こえてくる。それには周りの人民も手拍子で応えてる。車内で宴会が始まった。
歌い終わったら今度はまた別の人民が歌い始める。その後も歌は続き、車内はいい雰囲気で一体感が感じられた。
暫くして僕よりも少し年上の青年人民が立ち上がって歌い始める。もちろん中国語やったし歌詞の意味はわからんかったけど、メロディーや声の抑揚から恋愛の
歌ってる人も徐々に感情が入ってきて抑揚が激しくなる。僕は物悲しい気分になって、思わず美穂の事を思い出してしもた。
今朝駅で見た、悲しそうにしてた美穂の顔が浮かんでくる。歌を聴きながら僕は涙を流してしもた。
次に公安のおっちゃんがシートの上に立ち、そして歌う。
おっちゃんの歌はコミックソングなんか、ちょっとおちゃらけた感じの曲や。更におっちゃんは、面白い顔をしながら歌い続ける。
笑い声が聞こえてきた。日本語やったら「ええぞー、もっとやれー」みたいな掛け声も上がってる。
歌詞の意味は分からんかったけど、僕も笑ってしもた。
歌い終わって車内から大きな拍手が起こった。公安のおっちゃんは、頭を
たぶんおっちゃんは、悲しい顔をしていた僕を励まそうとしてあんな歌ってくれたんやと思う。
もう大丈夫、元気になったで。
おっちゃん、おおきにやで。
宴会は、次の駅に着くまで続いた。
23時04分に列車は、上海から800キロほど離れた
隣の席に座ってたおじさんが、
「私は座席の下の床で寝るから、君は座席で寝てええよ」
と言うてくれる。感謝して座席の上で身体を横にする。
あちこちで座席の上下を分担して、寝始める。
宴会の余韻に浸りながらも、横になるとまた美穂の事を思い出してしまう。
無事に帰りの船に乗れたやろか。
寂しい思いをしてへんやろか。
ホンマに辛い思いをさせてしもてごめん。
待っててな。
しっかり旅をして、必ず美穂の元へ帰るから。
そんな事を考え、僕は寝ながら窓の外を眺めてた。
すると雨が振り出し、雨粒が窓に当たると涙の様に後ろへ流れていく。
それを見て、僕はこんな漢詩を思い出す。
君問歸期未有期 巴山夜雨漲秋池
何當共剪西窗燭 卻話巴山夜雨時
天井の電灯が少し暗くなると列車の揺れが眠気を誘い、僕はすぐに寝てしもた。
つづく
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