3帖 没有!
『今は昔、広く
「おーい、大丈夫かー」
多賀先輩が荷物を背負って店から出て来る。
しもた! 僕の荷物置いたままや。
と心配してたら、あの陳が僕の荷物を持ってこっちへ向かって来た。
なんやこいつ?
「これから、どうするんですか。私も一緒に行きますよ」
僕は荷物を
「もうええ。ついて来んでええ。あっち行けや」
「いえいえ、さっきのお礼です。何か手伝いましょう。これから、どこへ行くんですか?」
何がお礼やねん、こいつ。しっかりぼったくったくせに。
陳は、どこ行くか何回も聞いてくる。僕と美穂は無視して、急いで歩いた。
そやのに……、多賀先輩! また陳と話しとるやなか。
「
なんやて。訳わからんこと言うとるなぁ。無視、無視。
僕は美穂と先を急ぐ。多分、駅はこっちの方やろ。
そやけど多賀先輩は歩きながら、陳と話しとった。
「そんなん、切符が駅に無いわけないやろ」
「いえいえ、切符は売ってません」
「なんで売ってないねん」
「切符はありません」
こいつ何言うとんねん。ほんま訳わからんわ。
切符がないの一点張り。
うん? そやけど、切符売ってへんてどういうことやろ。
ちょっと気になるなぁと思って立ち止まった。
日本と
いやいや、そんなこと聞いたことないわ。
「そんなら駅に行ってみるわ」
「そうですね。行ったら分かると思います」
陳は自信ありげな顔や。それが
少し歩くと陳は、駅まで歩いては行けないと言い出してくる。ここからは遠いから、バスに乗った方がええらしい。
「歩いて行くんじゃー」
と、多賀先輩は言い切る。それでも陳はバスを
「いえいえ、バスの方がいいですよ。遠いです。歩いて行けません」
そんなやり取りを、何回もやっとった。
正直なところ、僕はリュックが重いしバスで行きたいなーと思い始めてる。でも多賀先輩の勢いに負けてなかなか言い出せへん。
「時間がもったいないし、バスで行きません?」
そんな空気を察してか、美穂が多賀先輩を
タクシーやったらまた
それには多賀先輩も納得してくれてバスで行くことに。
流石、海外留学経験者。ナイスアシストやで、美穂。
近くの
バスの車窓から見える街の景色は、日本より10年ほど古い感じ。少年時代に見てた風景にどことなく似てて、懐かしい。
バスは商店街を過ぎる。地図の記憶が正しかったら、結構駅に近づいているはずや。地図を取り出せへんので、風景と記憶に残ってる地図を照らし合わせながら現在位置が何処か、方向は間違ってないかと言うことを考えてた。
少し高い建物が増えだす。と言うことは、やっぱり駅は近いな。
そして「
バスに乗って、20分ほど経ってる。こりゃ歩いたら大変やったわ。
僕らは上海站の駅前の汽车站で降りる。料金はなんと陳が払ってくれた。
安そうやったけど、一応「
駅前は結構広い。ロータリーにはバスとタクシーが数台止まってて、広場には列を仕切るための
老若男女、大勢の人が並んでる列もあったが、空いてる列もいくつかある。空いてる列の柵には、暇そうな男たちが数人腰掛けているだけで、今来た人は混んでる列に並んでいった。
ロータリーの向かいには、大通りを挟んで商業施設が立ち並んでる。手前の歩道はたくさんの人たちが往来してて、露店も出てる。日本の駅前風景とさほど変わりはない。
そやけど、やっぱりどこか古めかしくて懐かしい感じがする。鉄筋コンクリート造りのデパートや駅舎なんかもかなりレトロな雰囲気や。「上海站」という赤い文字だけの看板が更に懐かしさを醸し出しとった。
その駅舎の右端の一角だけ現代的なガラス張りになってるとこがある。
「これが噂に聞く、外国人専用入口かぁ」
ホンマに噂を聞いたんやのうて、ガイドブックにそう書いてあっただけ。入り口の手前には警備員が立っとって、出入りをチェックしてるみたい。
金髪でド派手Tシャツの欧米系バックパッカーが自動ドアを通って中に入って行った。
僕らもそこへ入るのかと思いきや、多賀さんは素通りして、大勢の列の方に向かって歩いて行く。
僕らは一応外国人やと思うんやけどなぁ。ちゃうちゃう。ここでは正真正銘の外国人や!
そやのに多賀先輩は人民たちが並ぶ列の最後尾に向かう。僕と美穂もついて行くと、陳もついて来た。
中国の一般の人のことを、僕たちは「
「さっき、めっちゃ可愛い人民(中国人の女の子)がおったでー」とか「あそこの人民(中国人のおじさん)におごってもろたわ」などと、敬愛の意味も込めて単数形で使用する。更に複数形として「人民たち」「人民ら」と言う、訳のわからん呼び方を用いることになってる。
この辺はどうやら多賀先輩の
言い出しっぺは多賀先輩やのに「さっきの中国人がな、いや人民がな……」と言い直してることが何回かあった。おもろい人やと思う。
「多賀先輩、外国人の切符売り場は、あっちとちゃうんですか?」
と外国人専用入口の方を指差す。
「あほぅ、あっちは高いんやで。そやし、人民らの窓口で買うんや」
それは知ってるけど、外国人やのに人民の窓口で買えるんかなぁと疑問に思た。
中国の料金には二重構造があって、人民料金と外国人料金が存在する。外貨獲得の為やと思うけど、外国人は基本、人民より高い値段で買わされる。公的に認められた「ぼったくり」や。
金額は大体2倍とか3倍程度が多い。宿の宿泊代、電車の運賃、観光施設の入場料などが対象で、電車の切符売り場の様に外国人だけ窓口が別の所もある。日本円や米ドルで請求されることもあるらしい。
多賀先輩は、お金をちょっとでも節約する為に、人民窓口で購入しようとしてる訳や。
僕らが列に並ぼうとしてると、さっきまで暇そうに柵に腰掛けていた男たちが寄って来る。そして、わざとらしい笑顔で話しかけてきた。
何を言うてるか中国語は分からん。それには陳が対応する。陳に聞いてみると、どうやらダフ屋らしい。
中国は電車の切符も転売するのか?
当然高値で売ってくるので「
さっきまでの笑顔は消え去り、不服そうな顔で男らは立ち去っていった。
仕事がないのんか働くのが嫌なんか、これで生計を立ててるとはすごい奴らやな。
ひと段落したと思たら、今度は少し離れたとこでこっちの様子を伺ってた男が近づいて来る。さっきの男たちより年は上で、少し落ち着いた雰囲気がある。
この男は英語で話しかけてくる。トレインとかチケットがどうのこうの言うとったから、こいつもダフ屋か。
「美穂、頼む」
「まかしといて!」
現役英語教師美穂、颯爽と登場。まだ2ヶ月やけど。
美穂は、流暢な英語で応対する。男は一瞬びっくりした様子やったけど、身振り手振りを交えて美穂と話した。
美穂の英語は結構きれいやと思う。そして早い。僕は半分くらいしか聞き取れへんかった。それくらい発音がいいんやろね。カナダに留学しとっただけのことはあるわ。
話が終わったとこで、美穂が翻訳してくれた。
「あなたたちの買った切符を、高値で買います。売ってください。できたら余分に買って、それを売って欲しい、って言うてはるわ」
なるほど。ダフ屋の買取部門やね、こいつは。これって分業システムなん?
当然、面倒には巻き込まれたくないし、そんなことして警察にでも捕まったら元も子もない。断るよう美穂に頼む。美穂とその男はしばらく英語で話して、そして男は立ち去った。
「どうやった?」
「あきらめたわ。それと北京に行きたいんやけどって聞いてみたんよう。やっぱり駅に切符は売ってないんやって。売り切れちゅうかぁ、あの人らが買い占めてるみたいやわ」
美穂は、向こうで腰掛けてるさっきの男を指差す。
「くそー、そう言う事か。でもなんで切符売り切れるんや。全席指定席か?」
「ええ商売しとんな、中国語勉強して俺もやろかなぁ」
「多賀先輩、そんなこと言うてる場合とちゃいまっせ。切符はどないするんですか?」
「うーん、そーやな」
「だから、駅に切符ないと言った」
陳が誇らしげな顔で、会話に入ってくる。
「ほな、どないしたらええんや」
「私、知ってます。マフィアさんの所に、切符あります」
なにっ! 組織的にダフ屋やっとるんか。そやけど上海のマフィアって、超やばいんとちゃうの。
「まぁとにかくいっぺん切符売り場に行ってみるわ」
と言うて、多賀先輩は列を詰める。陳は時間の無駄やとでも言いたげな顔をしとった。
並ぶこと30分。
とにかく遅い。僕の前のおばはん人民は窓口の人と長々と喧嘩しとったわ。ほんで切符も買わんと帰ってしもた。
僕の番。ガイドブックに載ってる中国語の例文を使って、北京までの切符が欲しいと言うてみる。そやけど窓口のおばちゃんは、
「
と、一言だけやった。やっぱ無いんか。
隣の窓口に並んでいた多賀先輩もやっぱり、
「没有!」
と言われてる。なんか怒られてるみたいな感じや。
結局切符は買えへんかって、僕らは美穂と陳が待っている所に戻ることになった。
つづく
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