第2話いじめられて気づいたこと
いじめられて今の私がある。話せと言われたら話すことが出来る。しかし話すまでには自信をつけなければならない。その自信の付け方には人それぞれの方法がある。今はいじめられることを自分からはあまりいうことは出来ない。顔を見て話すことはできないであろう。
私が話すことが出来るくらいに割り切れたのは小学3年生の時である。その時に出会ったリコーダーを指が痛くなるくらいまでたくさん練習した。「これくらい、いじめられてた頃よりマシだ」と励ましながら。そして吹けるようになって周りから褒められることが私の自信に繋がった。しかし、それだけではすぐに自信がなくなってしまう。ひとつではなく2つ、3つと自分が出来ることを増やしていき、周りはそれを支えてあげる。このようなことが出来ればいじめられても自分を押し殺すことはないだろう。私はリコーダーと読書、そして数学が得意になり算盤もたくさんやっていた。3級は取れなかったが、長い間続けたことを褒められた。このように、褒めてあげると子供というのは自信を持ち、新たなことを始めようとするのである。1度、吹っ切れるとあとはそのことを糧として生きていくことが出来るのであろう。
但し、褒めすぎるというのも良くない。海外から来日したことで様々な問題がある。互いに文化を認めるのはいいのだが、時には叱るということも必要である。
そして、いじめにあった子は反抗することを苦手とする。「僕が怒るとまたいじめられる」みたいに。親としては反抗して欲しくても子供それを我慢するので、怒りを貯める。しかし、その怒りはやり場がなくなる。大人なら、海や旅行で気を晴らすことが出来るだろうが、子供にはそれが出来ない。だからこそサポートが必要なのである。現に自殺した子達のニュースを見ると、「学校に報告したのに動かなかった。」などという人もいるが、学校は「動かなかった」ではなく「動けなかった」だろう。全てそうではないが、行政機関の学校では証拠がない限り動けないのだろう。
スクールカーストを取っても万引きで怒られるのはやった本人だけ。命令したのは別にいるのにその子は怒られることは少ない。学校としては証拠がひとつもない。もしくは、「子供の口約束くらい、破るくらいじゃなきゃダメだ」みたいな風潮があるのだろう。
スクールカーストはどの学校にも発生していると言っても過言ではない。
私は、中立(上と下を行き来している)の立場にいてその上下関係を出来るだけ減らせるように努力しているが、少しは出てきてしまう。それは人それぞれの好き嫌いのためどうしようもない。
いじめを無くすことは不可能だ。人のことは基準が曖昧だからだ。しかし、基準が出来れば自殺する子供を減らせるだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます